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むしろ暇を認め、それを利用することで暇の中でこそ映える自分を作り上げたのであり、それこそが建築家夫婦の美意識・美学の特徴だと主張する
どうも、アトリエタカキです。
設計事務所を営む建築家夫婦です。
「 暇 」
この言葉を見て、あなたはどう思い浮かべますか?
かのアリストテレスは
「閑暇(かんか)」の重要性を説きました。
閑暇とは要するに「暇」です。
暇を得るために人は労働し、暇をいかに有意義なものにするか。
有意義な「暇」とは「遊戯」という意味ではありません。
「遊戯」は「休息」です。
「暇」は個々が幸福を求めるために存在し、それが「よき魂」を養う。
そのために行われるのが本来、学問であり、思索したり、討論したり、芸術に触れたりすること。
「学校:school」の語源は、ギリシャ語の「暇:schole」からきていると言われています。
「暇」を有意義にしようとするものが学校なのだとすると、カリキュラムをぎゅうぎゅうに詰め込んだだけの現代の学校は忙しすぎて、本来の目的を果たせているようには思えません。むしろ子どもや若者たちから大切な「暇」を奪っているようにさえ見えてしまいます。
ある人に「お忙しそうですね。」と言葉をかけると
「いえ。わたしなんか暇ですよ。」返ってくる。
なぜそんな卑下するような言葉で返したのか尋ねてみると
「あなたな忙しそうにして充実している様子ですが、自分はそんなことはありません。」と言う。
まるで
忙しくしている=充実している
という前提で話をする人がいます。
このように自身が「暇」であることをネガティブに捉えている人、辛いことになってしまっている人は、あえて忙しくすることで「暇」な時間をなくそうとしているようにも見えます。
わたしたちは仕事に追われる日々の中で、その時間のあまりの無益さを痛感し、「何もしない」時間の大切さに目を向けるようになりました。
「何もしない」とは厳密に言うと、作業やタスクをこなすことにばかり集中し没頭しているのではなく、ぼ~っと過ごすことができる時間のことです。
人それぞれだと思いますが、外を散歩したり、ドライブしたり、料理したり。
脳がリラックスした状態で、考え事をしているようでしていない時間です。
わたしたちは、できるだけ「暇」でありたいと願っています。
健康面も問題はなく元気に働くことはできますが、できるだけ働きたくありません。なるべく楽に稼いで、「暇」であればあるほど理想的です。
「暇」で得られるもののほうが、はるかに価値があるように思っているからです。
なのでここで言う「暇」は、ポジティブな言葉として用います。
では、「暇」を礼賛していきましょう。
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