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職業選択の自由⇔専門家の枯渇!? ~自由⇒無秩序⇒ムダ?~

こんにちは! あたたけ です。

先日、テレビかラジオか忘れましたが、副業や転職といった『多様な働き方』をテーマにしたトークがされていました。
あたたけ自身、転職を何回かしていますので、『職業選択の自由』は当たり前、転職も副業も別に個人の自由で良いのでは?と考えています。

が、話を聞いていると、『そんな都合よく仕事って見つかるものなのか?』という疑問も。。。。
だいぶ記憶があいまいなのですが、『30代くらいまでは経験を積む仕事、40~50代ではそれなりの収入を得る仕事、それ以降は積んできた経験を活かせる仕事をしたい』みたいな話だったのですが、それはあまりにも理想論、勝ち組の発想じゃないのか??と、目が点に。。。。
一言であらわすと『そんな簡単にそれなりの収入は得られると思ってるの?』というところですね。

転職や副業自体は、収入アップ・労働条件向上だけでなく、視野が広がるきっかけにもなる等、良い面が多数あるのも事実でしょう。
が、『本業との一貫性・関連性はあるのか』は常に意識しないと、『目先の収入は増えても、長期的に見たら総収入は減る』ってことになる気がします。

『転職でキャリアアップをする』『副業が好調なので本業にする』という人は、今の世の中、大勢います。
ただ、転職や副業で成功する人って、本業というか『自身の(目指す)専門性』にはブレがない方が多いと思うんですよね。
『全く関係ない分野で成功を収める人』もいるでしょうけど、そんな人ってごくわずか、まれな存在だからこそ話題になるんじゃないかなぁと。

それなりの収入を得るには、やっぱりそれなりの専門的な力量(≒他の人では代わりが難しい存在になる、希少性がある)が必要ですから。
で、凡人が専門性を身につけるには、やっぱりそれなりの時間?努力?が必要なわけで、いろんなことに手を出していると専門性は身につきにくいと思うんですよね。
※別路線で『多くの人がやりたがらない仕事』で収入を得るという手段もあります。

この辺りの『収入は専門性に、専門性はそれに費やした時間に繋がる』という、ごく普通の人にとって理解しておくべきことを抜きにして、転職や副業を勧めるのはどうなのかなぁと。
確かにろくでもない会社も多々ありますので一つの会社に固執する必要はないですが、『一つの分野』は自分の専門として意識しないと『使われる側』で終わる、もっとストレートに言えば『使い捨てられる存在』になってしまう気がします。

さらに別の側面から見ると、『働き方の多様性』が『専門家・職人の枯渇』に繋がっているのではと思ったり思わなかったり。
もしかしたら『一億総中流』という時代って、定年まで一つの会社が普通という価値観の元、『誰しもがそれぞれの分野でそこそこの専門家になり社会に貢献していた時代』なのかなぁという妄想すらしてしまいます。
個人の自由が認められるのはとても良いコトな反面、社会全体としてはデメリットもあるのかもとか。。。。
まぁ、『社会のために個人を犠牲にする』のは論外だと思うんですけどね。

ただ、エントロピー増大の法則ではありませんが、『自由と無秩序は表裏一体。放置しておくとカオスな世の中になり、戻ることはない。』というのは確かだと思います。
さらに、無秩序という状態は『エネルギーのムダ』なので、成長ではなく衰退に繋がるのかもしれません。
かと言って、個人の自由を制限すると、人のやる気・活力というエネルギー自体を失くすんですけどね。
そう考えていくと、個人の自由が認められる今の時代、『個人の自由意志で組織の秩序を維持する』、つまり、『自分を律する』という価値観を広く根付かせた組織が生き残っていくのかもしれないなぁと思います。

そんなこんなで、あたたけは『食の安全』という一点に絞った専門性を高め、少しでも社会に貢献したいものです。

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ではでは。今回はこの辺りで!

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