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どうでもいいことが私を救う
最初にネット上で文章を公開したのは2005年の1月だった。
そのサイトはもうない。
それからあちらこちらを転々として、退会と出戻りを繰り返して今に至る。
この20年、文章を書くことが私を支えてくれたと思う。
いや20年どころではなくて、一家で東京に夜逃げしてきた5歳のときから私は書いてきた。
両親が勤めている会社がとっている新聞の広告チラシを大いに歓迎した。
ただし裏白に限る。
裏白のチラシを依頼する店や企業は、インク代など両面印刷にする費用を惜しんでそうしているのか。
せっかく宣伝するからには片面だけではもったいないと思う人もいる。
相反する理由を、書き出しては、どうでもいいことを考えた。
子供のころから、お金の心配のほかは、どうでもいいことばかり考えて生きてきた気がする。
小学校入学早々に不登校となり、家の内職に参加していた。
手伝うというのではなく、本格的に参入して、ひとついくらで報酬を得ていた。
同年代の子が学校に行っているあいだ、私はアメリカンクラッカーの球に紐を通したり、既製服に品質ラベルをつけたり、共布と予備のボタンの袋をセットしたりしていた。
うちには小遣いというものがなかったので、やがてその報酬を、同様に小遣いのない兄に貸し付けて増やした。
年の離れた兄は、高校、大学となると、バイトの給料日前にはだいたい友達と遊ぶお金が不足していたから、私はそこにつけこんでいた。
親への口止め料も上乗せした闇金も真っ青の高金利である。
テレビがきてからは、国会中継やお昼のメロドラマやワイドショーを見ながら手を動かした。
そして感じたこと、考えたことを、チラシの裏に書き綴った。
兄のお古の国語辞典と漢和辞典が、最初の教科書であり参考書であり愛読書。
わからなくて調べた語句や文字の説明に用いられた語句や文字を次々と引いていると時間を忘れた。
小学校高学年になって不登校を脱したころには、父の「上司と喧嘩していきなり退職」「飲み屋で酒を奢ってくれただけの人に大金を貸して踏み倒される」「同郷というだけで信用して起業の保証人に判をついてドロンされる」「現金支給の給料日にオヤジ狩りに遭い血だらけ文無しで帰宅する」というのが日常になり、お金のことで思い悩まない日はなかった。
祖母の在宅介護も始まり、前は学校に行くのが嫌で家にいたのに、今度は家にいるのが苦痛で学校に行く。
15歳で一人旅を始めたのは、家でもない学校でもないところに、居場所を求めたのだろうと思う。
その頃には、チラシの裏を脱してノートを買い、ストレス解消のために書き散らかしていた。
日記というかエッセイというか、ドラマの悪口や、世の中への不平不満。
日常のちょっとしたことへの違和感。
いまここに書いているのと大差ない。
進歩がない。
幼いころから、アン・シャーリー・カスバートのごとく、風景にことごとく名をつけた。
私だけの呼び名にすると、どうでもいいところが特別な場所になる。
その特別なところが妄想の中で組み合わさって、私だけの「街」になる。
架空の町割りをして、そこに暮らす人々を想像する。
頭の中で、大通りや路地、店や施設をひとつひとつ造る。
脳内シムシティ。
そして、暮らしている人々の名前や年齢や職業や性格を決める。
そこに私もいる。
実際とは別の名前で年齢で、生い立ちも家族も違う。
裕福で平穏で申し分のない家庭だ。
家の間取りも考える。
家具の配置、カーテンの色、庭の花まで。
それを図も含めて、事細かに書き付ける。
想像だけの旅もする。
鉄道弘済会の大判時刻表は定期購読したが、道内時刻表は本屋さんで買った。
これには、ローカルバスの時刻まで乗っていたので妄想旅プランニングに欠かせなかった。
そのうち、トーマスクックのヨーロッパ時刻表にも手を出す。
それらを使って、旅程を作成する。
入る店、泊まる宿。
いまと違ってネットから情報が得られないから、完全妄想である。
時刻表で実際の運行に沿ったのは、どこかで現実とリンクさせたかったからだろう。
これは、実際に旅を始めてから、離婚して一人暮らしになるまで何十年も続いた。
私にとって、旅と旅の計画とは、まったく別のもの。
実際の旅には地図もガイドブックも持たない。
先日書いた「妄想大河」のように、ドラマのキャスティングもよくする。
本を読みながら、勝手にドラマ化し、これはどの俳優とかついつい想像する。
セリフや演出も想像する。
だから、小説の実写化に違和感を持つことが多い。
先に自分の脳内でイメージを作ってしまっているから。
そうしようと意図しなくても自然にそうしてしまう。
純粋に楽しめないという点で、なんだか損をしている。
いまは、人さまの目に触れることも考慮して、これでもだいぶ控えめ。
チラシの裏やノートに書いていたころのように書くと、頭がおかしい人だと思われそう。
でも、確かなのは、書くことが私を救ってきたということ。
いじめも貧困も、病気も不妊も、しんどかった結婚生活も介護も。
お金の心配は、いまももちろんあるけれど、昔ほどはしなくなった。
ちまちまと爪に火を点すように暮らすのが面倒になったのもあるし、守らなければならない家族が死に絶えたのもある。
怠惰な暮らしを容認することで、私は穏やかになった。
しかし、書くのは止まらない。
ストレスは、もうそんなにないはずなんだけど。
ここ20年のブログにおいては、架空の話はあまり書かないのでほぼ日記。(大河のキャストは書いたけど)
物語や短歌などの創作物は、公開のところには載せないように心掛けている。(短歌を盗用されたことがあるので)
いずれにしても、どうでもいいことしか書いていないのは子供時代と同じ。
写真はウンブリア。
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