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エッセイ

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思い出や経験を発端に、思うこと思ったことを気儘に書いてます。
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#思い出

ジィの背中

ジィの背中

ちょいと前に、家族の思い出の話で登場した、祖父。
まーいろんな逸話を遺したヒトであったが( ̄▽ ̄;)
その中で ふと。
とても優しいエピソードを思い出したので書きたくなった。

あれは夏だった。父方の従姉兄、どちらかの娘(MちゃんだったかEちゃんだったか)であったことは確かなんだが、とにかく従姪が実家に遊びに来ていた。
彼女は何歳くらいだったろう?2〜3歳くらいだったろうか。
私と妹が家にいて、遊

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ワッタバーガーの日々

ワッタバーガーの日々

画像は借り物なんだけど。
もう20年以上前の私のテキサスの日々だ。

テキサスに来て数年。
なんとかドライバーズライセンスを取り、始めは顔が痒くてもハンドルから手を離せなかった私が、その頃はワッタバーガーでバーガーを買い、袋を助手席に置いて、信号待ちで止まった時はアツアツのポテトに手を伸ばし、コーラを啜るくらいの余裕になっていた。

クーラーがいまいち効かない車内(後にクーラー部分に故障があったの

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花のような友達。

花のような友達。

昨日、自分の不思議体験を書いたんだけども、
友達のことで思い出したことがある。
まぁこれは不思議でもなんでもない、友達から聞いた話だ。

昔、主人の海外転勤でアメリカ北部ミシガン州の中小都市に住んでいた時だ。
ご主人が同じ会社に勤めている日本人の主婦仲間、友達のひとりにUさんという人がいた。
彼女は誰からも好かれ、愛される、可愛くて素晴らしい女性だった。
優しくておおらかで。大変な経験もたくさんし

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名言2. いつまでも あると思うな親と金。「ないと思うな

その次に続くのは何か。

「運とツキ」

だそうだ。

これは母方の祖母が言った言葉。

祖母は、一代で鰹節屋を築いた祖父に嫁いだ。
昔の祖母の家は工場があって一日中削節を作っており、職人さんやお手伝いさん、そして母たち兄弟(7人兄弟であった)の出入りが激しい、活気のある家だった。
祖母はいわゆる家庭的なタイプの人間ではなかった。
お手伝いさんに家事を任せ、子供たちが成長してからは外に出て婦人会や

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出がらしコーヒーの味

出がらしコーヒーの味

昔、義母がアメリカに遊びに来てグランドキャニオンを我ら夫婦と旅行したときのこと。
車を運転していた主人が「喉が渇いた、コーヒーが飲みたい」と言い、すかさず義母が「あら!あるわよ」と言ってステンレスボトルに入ったコーヒーを渡した。
旦那、ひと口飲んで「何これ?!まずい!」と突き返す。義母はムッとしている。
私は飲み残したコーヒーを一口飲んでみた。
あっ・・・

ぬるい。(笑)
なるほど。(笑)
今朝

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長生きしたくない2

長生きしたくない2

「人生は死ぬまでの暇つぶし」
と 誰かが言っていた。
そう思えたらどんなにいいかと思う。
私は実行力ないくせに、少しでも人様の役に立ってそれで自分が満足していたい人間である。
何の役にも立たないままただ食って寝て排泄している毎日は、何のために生まれてきたのかと考えがいつもそこに還る。
昨年中に亡くなった叔父たちは、いい仕事していた。家族のため、姪甥のため、一緒にいて楽しくて、うんとうんと可愛いがっ

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