ゴークラン
統計について、喧しく言う輩がいる。
殆どは古典物理学としてのものである。
だが、その統計ほど当てにならないものもない。
そもそも、この手法には大きな落とし穴がある。
統計的なデータは、見方によって結論が変わる。
つまり、ある統計対象が特定の範囲に多く見られても、
そこに確実な因果関係がある、という事にはならない。
"二重スリット実験"が証明しているように、
統計から観測を除く事は不可能なのである。
占星術における統計といえば、ゴークランである。
だが、ハンス・ユルゲン・アイゼンクが 唯一評価した、
ミシェル・ゴークランの統計でさえ、全く例外ではない。
ゴークランの統計は著名度に依存しているのである。
その効果は、著名度が下がるにつれて消滅していく。
独立した物理法則などではなく、認知と関わっているのである。
しかも、それは、統計学という学問的定義内における、
偶然以上と言える頻度、というだけのものでしかない。
その対象を、著名度を無視して人口レベルにまで拡大した場合、
統計的にも、占星術的にも、まったく意味を成さないのである。
統計学的な厳密さは、多様な個々の有機的な事実を示さない。
むしろ不完全と揶揄される経験則としてのデータが意味を持つ。
実際直面する出来事の前に、統計は何もしてくれないのである。