【今を生きる】出逢うべき時はくる#89
Good&New
カンボジアから帰国したばかりの、大友くんと赤羽
ジリリタ高島さんを紹介していただき、お話しさせていただいた。
知る人ぞ知るのスラックレールの開発者で、その使い方の探究者
開発者が語る商品の可能性を聞いたら「なるほど」が止まらなかった
実は7年前にすでに持っていたのに、活かしきれていなかった
今日からアップデートされた知識で、スラックレールと向き合おうと思う
まずは自分のルーティンにすることから
これは、初見なんで 早速買って帰ってきた
すでにある
スラックレールの話もそうがが、大半のことは「すでにある」
自分は足りないと思って、新しい何かを探し求めるんだけど
実は、すでにある
多分これって、見ようとしていないか、見るフェイズにいないか
タイミングじゃないってことを示唆している。
変な話だが、持っていたのに活かせなかったものを
再度活かせる場面が来るということは
今そのものが見えるようになったから、みてる
7年前に、高島さんの話を聞いても「?」で、逆に触らなかったかもしれない
タイミングってやつと、運命みたいなものがある。
すでにあったのに、わからない、見えないっていうのはそういうことだ
批判する前に
批判をすることや、反証することはかっこいいような風潮がある。
特に体験なく、想像の範疇で可能性を言語化したがる人は多い
施術や、トレーニングの世界ではよく見る現象
もちろん、的を得ることもあるのだが
中には、自分の到達地点を露見しているだけの強い言葉がある
これは、見る側も気が付かずに同じ視点で見えてしまうから恐ろしい
その気になってしまう
実際に体験もせずに、決めつけるのが本当に正解だろうか?
「ん?」と思った違和感は、そのまま体験の哲学へ持ち込んだ方がいい
やったことのない人、使い続けていない人の想像に自分の可能性を委ねていいのか?
見せてけらたそれは、なんだったんだのか?みてみようじゃないか
批判する位置に、自分はあるんだろうか?考えてみた方がいいケースは多々ある。
同じものをみても
教育者の森信三の言葉を、昔の上司が結婚式の時に使っていて
結構好きな言葉になった
なったというのも、随分たってから良さがわかるようになったからだ
結局のところ、同じ景色であっても逢うべき時になるまでは
どんな無理強いをしても、逢えない
今その時じゃないと、割り切る必要があり
見る側の未熟さであると、認知できるか否かが
人生において、大事な技術なのかもしれない
「すでにある」が、見えるようになって出逢うまで
生き延びて、その数が増えていくことが幸運ならば
健康で長生きすることは、最高の幸運なのかもしれない。
まとめ
学校の教科書なんかもそうなんだけど、
中には、すごい良い内容が詰まってる。
でも、受け手の問題と、学び方の期間や方法で
その良いものが見えないようになってしまうことがある。
鍼灸のそれなんかは、体感済みで
東洋医学を受け付けなかった初期の自分には、苦痛の授業であったが(相応の努力はしたけどダメだった)
のちに、見直してみると「すでにある」を体感することもしばしば
自分のキャパが、その意味に出会えるまでに達していなかっただけで
学校では、習っていたし、テストも解いたけど、出逢えていない
10年以上してから、出逢い感動するんだけど
その時の、自分が悪いとかじゃなくて「今」だっただけ
今回のスラックレールも、発達障害・グレーゾーンに触れたからこそ出逢えた
そう思うと、「今」を楽しんだもんがちであり
「足りない」と嘆き、喚く時間は勿体無いのかもしれない
人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に
これは、真理
而今(じこん) 今の一瞬を一生懸命に生きる
さすれば、出逢うべき時に出会うべきものと出会える
そう思うと、過去の自分も、未来の自分も許せるような気がする。
あのとき良さに気づけなくて、良かったかもしれない
正しさも、愚かさも飲み込んで進んでいこう
✳︎最後まで読んでくださってありがとうございます。
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