【推し本】夜間飛行/サンテグジュペリは仕事哲学・リーダー論としても秀逸
サン・テグジュペリといえば有名なのは「星の王子様」、”大事なものは目にはみえないんだよ”、なのだが、何と言っても傑作は「夜間飛行」だと推しに推したい。
「夜間飛行」はせいぜい100ページちょっとの小編ながら、仕事哲学、組織論、リーダーシップ論としても秀逸なのだ。
わたしも、仕事で迷ったときや、何を軸にすればいいのか悶々とするときなど、折に触れ何度も何度も読み返してきた。
20世紀もようやく二十数年たったころ、第一次世界大戦では、まだ航空戦は本格的なゲームチェンジャーではなかったくらい、飛行機という新しい乗り物は冒険的なものだった。
その飛行機の商業利用の黎明期に、縦に長い南米大陸での航空輸送会社で、冷徹で人を寄せ付けない支配人リヴィエールのもと、監督のロビノー、操縦士のペルランやファビアンがいる。
パタゴニアから、チリから、パラグアイから、ブエノスアイレスに郵便機が飛んできて、さらに欧州便に郵便物を乗せ換えて空輸する。
円滑な運航のためには、各地からの郵便機は決められた時刻通りに戻ってこなければならない。
ネオンや電気が十分ない時代に、しかも人気もまばらな南米大陸の上空を、精密な通信機器もGPSもなく、夜間に飛行機を操縦するというのは想像を超える危険な行為である。
登山家が、命をかけても山に登るのは、ただそこに山があるから、というように、飛行機乗りにとって、危険と隣り合わせでも飛行機に乗るのは、やはりそこに大空のロマンがあるからだろう。
その冒険家的な精神を体現するのがファビアンであるのに対し、地上で采配するリヴィエールにはロマンなど無縁だ。
たとえ天候が大荒れで、操縦士が命がけの危機を脱して戻ってきたとしても、遅刻したら斟酌せず必罰を与える。
その命を伝えないといけない監督ロビノーは、どこの会社にもいる少しひねた中間管理職だ。遅れて到着した操縦士ペルランに処罰を伝えられないどころか、部下である彼に阿り、リヴィエールにこう叱られる。
こんなリヴィエールだが、一人苦しみながらこう考えてもいる。
リヴィエールが対峙しなければならない、過去とは何だろうか。
夜間飛行でそれまでにも多くの犠牲を出してきたことだろう。
しかし、その過去にとらわれていては、夜間飛行に怖気づかせては、だめなのだ。確実に実績を上げなければ、事業として持続も進化もしない。(現代なら宇宙の商業利用がこれに近い)
そのために、前しか見えない競走馬に鞭打つように、余計なことを考えさせずにやるべきことをやらせないといけないのだ。
リヴィエールの覚悟は、冷徹に見えて、組織のトップがどういう哲学をもって決断しないといけないのかを物語る。
ある夜、ファビアンが操縦する郵便機がブエノスアイレスに戻ってこない。暴風雨に巻き込まれたようだ。通信も途絶えた。
ファビアンの若い妻がリヴィエールに面会に来て、おろおろと主人の行方を問う。いつものように、家で花とコーヒーを用意しているのに・・・。
待つしかない状態の中、このリヴィエールの合理性の正反対にあるような妻の存在に、胸を痛めはするが、話を聞いて同情する以上のことはできない。
妻には妻の世界としての権利と義務があり、真実がある。
その後、リヴィエールがロビノーに吐露するのはこんなセリフだ。
暴風雨と戦いながらも、燃料が尽きてきたファビアンが雲の隙間に見えた星に向かって上昇する光景は、宮崎駿の「紅の豚」にもオマージュとして描かれている。
ファビアンが還らないことがはっきりしてなお、動揺する部下たちを制してリヴィエールは進む。
組織で働いていると登場人物のいずれにも、何らか自己投影するものを感じるのではないだろうか。
あなたがファビアンだったら、ロビノーだったら、そしてリヴィエールだったら何をすべきだろうか。
そしてまた、組織のラダーの外にいる妻の存在も実は大きい。そう、人生は仕事だけではないのだ、仕事と同じくらい、あるいはそれ以上に大切なものがある。
およそ100年前の作品ながら、大切なことが詰まっている。
サン・テグジュペリのそのほかの作品
文庫の「夜間飛行」には「南方郵便機」も収録されていて、こちらも堀口大學訳で優れた作品。いずれも1935年、1939年の翻訳で、戦前のインテリジェンスを感じる。
サン・テグジュペリ自身も飛行機乗りで、砂漠に不時着して死線をさまよったときの話が「人間の大地」。(この本の表紙は宮崎駿)
砂漠でジプシーに襲われるほうが危ないとか、水の渇きにくらくらしながら、飛行機の羽にたまった夜露の水滴をなめるシーンなど、実際に体験したものでしか書けないリアリティが迫る。
「人間の大地」に出てくるこの文章について、須賀敦子は「遠い朝の本たち」の中で、次のように述べている。
なんというか、この時代の飛行機乗りは、本当に命知らずなのだが、特に地上では戦争が行われていた時期、大空を飛べるものだけが持てる視点や自由度を得ると、人間が決めた国境の陳腐さはいかにちっぽけなものかとも思わせられる。
現代の宇宙飛行士も外から地球を眺めては、そう思うだろう。
そしてこの壮絶な経験から、あの純真無垢な「星の王子様」が生まれている。
「戦う操縦士」は書籍もあるが、堀口大學訳はKindle版でしか読めない。
第二次世界大戦も近づいてきた時期、空を飛ぶ仕事を得る先は空軍となる。サン・テグジュペリは軍人向きだったとは思えないが、自らのスキルを活かせる場はそこだったのだろう。
「夜間飛行」に比べて、「戦う操縦士」はより戦時色が濃くなり、空飛ぶロマンのようなものが薄れている寂しさを漂わせる。
須賀敦子は、「遠い朝の本たち」の中で、人生の中で途方に暮れたときに支え続けてくれた文章として次の堀口大學訳を引用している。
サン・テグジュペリは1944年にコルシカ島の基地から出発したまま、消息を絶った。撃墜されて地中海に沈んだといわれている。
須賀敦子についてはこちらにも書きました
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?