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【推し(惜し)本】遠い山なみの光(カズオ・イシグロ)/新訳出してください!!!!

Nagasakiがなければ、ノーベル賞作家としてのKazuo Ishiguroもいなかったのかもしれません。
長崎出身で幼少期に英国に渡ったカズオ・イシグロの、戦後長崎を背景とした初期の作品「遠い山なみの光」、以前読んでも正直よく分からなかったんですよね。

今は英国に暮らす悦子は、かつては長崎で日本人と結婚生活をしていたが、何らかの事情で娘景子を連れて英国人と再婚しているらしい。
再婚相手との次女ニキは、今は家も出て、飛んだ感じで自由にやっているようだ。
そして大人になった景子が最近自殺したことも前半ですでに書かれている。
悦子は最近、かつての長崎時代の知り合いの母娘(佐知子・万里子)とのことをよく思い出す。
(おそらく再婚相手になるであろう米兵に頼って)娘のためにも、アメリカに渡ってやっていこうとしていた佐知子。
その母の思考・行動になかなかついていけず、猫を飼いたいなど言って佐知子をイライラさせていた娘万里子。
そこを取り持つように二人の間に入っていた悦子。

後半、なんだかつながりが見えにくく、カズオイシグロの初期作品はこんなぼやっとした感じなのかと思っていたのですが、どうやら日本語訳の段階で決定的な誤訳(と言ってよいと思う)のために、作品の最大のプロットが伝わっていなかったと知りました。

で、改めてそのプロットとして読むと、もう!もう!ものすごい才能としか言いようがないじゃないですか。
初期作品から、その後のカズオ・イシグロ作品に通底する、しっかりしていたような語り手が最後に”信頼できない語り手”になってあっといろいろ反転するトリック、この完成度が高すぎるのです。

かえすがえすも訳が残念すぎる・・・。
翻訳の難しさは、当の作家本人が原語と比較してこれでよし、とできないところですよね。
作品の素晴らしさを広く知って欲しいので新訳出版を待ちたいですが、その場合、ぜひ!ぜひ!土屋政雄さんに訳してもらいたいです。(日の名残り、私を離さないで、クララとお日さま、の翻訳は土屋さん)
本当に、お願いします!!

※追記
日本語訳がいまいちでは、とモヤモヤしていたので、原作「A Pale View Of Hills」も読了。やっとスッキリ!と言いたいですが、明るくスッキリ、ではないですね。
サスペンス的な仕掛けは原作がよりわかりやすく、一方で、都合よく記憶の修正をする(過酷な経験をすればするほど、生きていくためにそうせざるを得ない、しかしこれは多かれ少なかれ誰にでも起こりうる)語り手のゆらぎは、多重人格気味でもあり、読んでてやや車酔いのようになるのです。ただ、この「信頼できない語り手」こそがカズオイシグロ作品に共通する特徴で、それにより、確かにあると思えたことが実はないかもしれないという、足元の危うさというか、一貫したものなどないという世界の虚構をじわじわとあぶり出す凄みがあるんですよね。

カズオ・イシグロは偉大な作家のひとり。
翻訳も素晴らしい推し本はこちらでも紹介しました。


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