朝井まかて『秘密の花園』読了
いらしてくださって、ありがとうございます。
朝井まかてさんの新刊『秘密の花園』(日本経済新聞出)は、2020年に新聞連載された作品です。
単行本の表紙は(おそらくは江戸の黄表紙にちなんだ)あざやかな黄色をベースに、花園というタイトルにふさわしく色とりどりの花が描かれ、とても華やかです。
作品の主人公は、里見八犬伝の著者として知られる江戸の戯作者・曲亭馬琴。彼の青年時代から晩年までが語られる本作は、460ページ超(原稿用紙換算で860枚超)の長編ながら、中弛みすることなく一気に読了いたしました。
9歳のときに松平家に仕えていた父が亡くなり、諸事情により、三男ながら滝沢家の名を背負うことになった馬琴。
主家の孫の小姓として仕えはじめますが、その幼君の異常なまでの癇症に耐えかね出奔。その後、他家に仕えるも長続きせず、放浪の身に。
母や兄たちの暮らしも困窮を極めるなか、その母と次兄が病に倒れ、馬琴は度重なる不幸と不遇のなかで青年時代を過ごします。
幼いころから絵草紙に親しみ、和漢の典籍などさまざまな読み物に触れてきた馬琴は、兄の影響で俳諧に親しんではいたものの、自身の表現したい世界が五七五ではおさまりきらないことに気づきます。
そしてあるとき、名声高き戯作者・山東京伝をたずね、弟子入りを志願。
この場面の山東京伝が、所作といいセリフといい、江戸の粋を体現していてとてもいいのです。さすが江戸を描かせたらピカイチの朝井まかてさん、情景がまざまざと浮かぶ描写が素晴らしくて。
このとき、弟子入りは拒まれますが、以降の京伝宅への出入りを許され、ここから馬琴の「書き手としての人生」が始まります。
とはいえ書くことで生計を立てるには程遠く、版元(出版社)の蔦屋重三郎のもとで手代として働くにあたり、武家としての名を捨て、瑣吉(文中では左吉)と名乗りはじめます。
さらには「書くために」生活を安定させようと履物屋の婿になり、三十歳ごろから本格的な執筆活動を開始。作品は次第に評判を呼び、馬琴の真骨頂ともいえる長編小説・里見八犬伝の連載がはじまり、やがて視力を失いながらも長男の妻・路の口述筆記を経て、二十八年にわたる連載が完結するのでした。
物語には当時の江戸を生きた人々があざやかに活写され、山東京伝や蔦屋重三郎、葛飾北斎などは本当に魅力的。
馬琴の人生をなぞりながら、江戸の出版事情も丁寧に描かれており、その内幕は、現代の出版界に通ずるものがありました。
そして、書き手としての馬琴の悩みは、そのまま朝井まかてさんという作家が通ってきた悩みが投影されているようでもあり、小説家を志す方にはとても響くものがあるだろうなと。
何者でもない己を自覚し、世を拗ねていた青年時代。それでも何者かになりたいと懸命にもがく馬琴の姿は、読んでいて苦しくもありました。
いざ小説の書き手として歩き出すも、書き方に悩み、売れないことに悩み、それでも苦しみながらひたすらに書き続けて。
やがて「こう書けばよいのだ」という手ごたえを得ていく姿には、胸が熱くなりました。
また馬琴は、滝沢家という武士の家に生涯こだわり続ける人でもありました。放蕩する己を見限らずにいてくれた長兄を亡くしてからは、なんとかして滝沢家の名をつないでいこうと奔走します。
個の自由がもてはやされる現代に、家名を継ぐことの意味を見出す人はすくないかもしれません。けれど馬琴にとって滝沢家は、家名というより、母や兄や息子、愛する家族の思い出そのものだったように感じます。
たしかに存在していた愛する者たちの記憶を、後世につなぎたい──。
吾、百年の後の知音を俟つ。
物語の最後に吐露される馬琴の言葉、「どうか、百年の後まで残ってくれ。読んでくれ」という彼の切なる願いが、読み終えた今もしみじみと胸に残るのでした。
尊大と評されることもあり、当時の文人らと絶交した記録も残る馬琴。
本作でも狷介、頑固といった性格がしっかりと描かれていますが、生涯を青年期から丁寧に描き、その時々に彼が感じ、考えたことがつづられているため、そうしたネガティブな面も含めた、愛すべき馬琴の魅力が存分に味わえます。
里見八犬伝は1842年完結。それから二百年近くを経た現代でも、その作品を知る人は数多いて。
馬琴は、この国で「ほぼ原稿料のみで暮らしを立てられた」初めての人ともいわれます。
彼の波乱に満ちた生涯を見事に描き切った本作、ご興味をお持ちの方はぜひご一読を(´ー`)ノ
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(ここからは言わずもがなの感想なので読み飛ばしてくださいましね。
『秘密の花園』という本書タイトル、読後もいまひとつしっくりこないのです。彼が作品に込めた「秘された思い」と、彼と長男の大切な花園とをかけてのタイトルであることは十分理解しつつも、彼のあれだけの波乱の生涯をしてこのタイトルはいささか軽すぎるように思えました。
また、帯のウラの作品紹介文には、「主君のパワハラに堪えかねて出奔」「妻はヒステリー」といった文言があり、本作は江戸期の歴史を扱った作品でもあり、物語の各所の描写からも、パワハラやヒステリーなどという(しかもカタカナ語)安易な一語が使われることに違和感を覚えました。出版社としてはキャッチーな文言をあえて使ったのかもしれませんが、個人的にはこちらもなんだかな……と)
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最後までお読みくださり、ありがとうございます。
今宵の当地は花冷えで、久しぶりに暖房をつけてしまいました。
明日はお花見を楽しまれる方もおいででしょうか。
みなさまも佳き春をお過ごしになれますように(´ー`)ノ