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他人の絶望や希死念慮に寄り添うために

昔から、相談事を引き受ける性分だった。

パートナーに浮気されて。
勉強が上手くいかなくて。
家庭環境に問題があって。
友だちと喧嘩しちゃって。
自分が好きになれなくて。

正直、死にたいんだよね、と。

HSPと言えば分かりやすいのだろうか、私は感情に非常に敏感な気質を持っている。
基本的にこの性格は生きづらさの要因ではあるのだが、こういう相談事の時に、相手が求めていることを理解することや本音を引き出すのが異常なまでに得意なのは、数少ない自分でも誇りに思っている特性ではある。

一方、レストランや大学などで、他人の相談事の様子を伺うとーまあ下手くそである。

そして何より、自分が辛かった時、こういうのが下手な相手に相談してしまい、辛さが悪化してしまうという最悪な事態を経験したことがある。

そこで今回は、絶望の渦中にある人の相談を引き受けている時に、やってはいけない事や、心構え等について雑に書いてみたい。

これは仕事で業務上の相談など比較的フラットなものではなく、「人生に希望が持てないから死のうと思っています」、のような重たい悩みに対して当てはまる話である。
また、私はカウンセラー等専門的な立場のもと発信しているわけではなく、個人の経験に基づいた内容になるため、あくまで参考程度に留めて欲しい。

そもそも

そもそも論ではあるが、こういう相談事に向いている人と、向いていない人がいる。

これは、論理的思考力だとか、傾聴力だとか、(勿論それらは大事ではあるけれど)能力の有無の話をしているわけではない。

(専門家でもない限り)あなたが心の奥底から「死にたい」と思ったことが人生で一度もないのならば、こういう相談事に乗るのには向いていないと私は思う。

助けたい気持ちは分かる。
誰かを助ける自分に酔いたい気持ちも分かる。

それでも、「経験」の差は、とてつもなく大きいのだ。

「タイタニック」をスクリーンで眺める私たちは、その海水の冷たさを未だ知らない。

私は男性だから、女性の生理の辛さをどんなに理解しようと努めても、共感することは決して出来ない。
そこには「経験」というどうしようもない壁が立ちはだかっている。

そんな私が、生理に悩む女性に何を言おうが、本質的には響かないのである。
仮に医学的知識に基づいた「正しい」アドバイスをしようが、そこに魂が乗ってこない。相談者の脳内では私の言霊は右から左へ流れていく。

逆に、例えば男性特有の「モテない事でテストステロンレベルが下がり、デフレスパイラルに陥る感覚」なんていう悩みならば、私は魂レベルで同調しながら相談に乗ることが出来る。

というより、もはや「自分に対して」相談に乗っている状態に近いのだ。

これから書こうとしているハウツーも、本質的には「相談相手の為に何らかの科学的根拠に基づいて意図的に実践している」ものではない。自分が似たような経験をした時に、他人にされたかったことをただ自分がやっているに過ぎないのである。

SOSを見抜く

残念ながら、本当に絶望の中にいる人は、そもそも相談しに来ない。
自ら助けを呼べる段階では、まだ心に余剰があるのだ(だからこそ、本格的にヤバくなる前に、悩みはなるはやで相談するべきなのだが)。

こちらから見つける必要がある。

これは正直、発せられるオーラからなど直感レベルで見抜いているところがあるが、記憶を片っ端から引っ張り出して、何とか言語化してみる。

太字は深刻度高
*無論、これらは全員に当てはまるわけではない

外見

・肌荒れ
ー自律神経の乱れ。体質もあるが、急激に悪化している場合はメンタルの不調を疑う。

荒れた髪、不精髭
ー自己肯定感の欠如、無気力。

目の開きの悪さ(俗にいう虚ろな目)
ー不眠症、無気力。

・数か月だけで目に見える太り/やせ
ー高ストレス。

・顔色の悪さ(特に唇)
ー高ストレス。

・夏なのに長袖、服越しで無意識に手首を何度も触る
ーリストカットしている、DVを受けている。

会話

・ボディランゲージの少なさ
ー抑うつ。

自分の話(近況報告)をしない/聞いた時に目を逸らす、髪を触る、曖昧な回答
ー自己嫌悪/羞恥、抑うつ。「元気?」等健康面を聞いた場合の反応でも同様。

呼吸が浅い
ー抑うつ。

・心理学/精神医学/思想関連の用語が伝わる、使っている
(e.g. HSP、境界性パーソナリティー障害、反出生主義)
ー自覚症状があり調べている。

・会話のテンポが悪い
ー抑うつ。

その他

他者への攻撃性
ー劣悪な家庭環境、パートナーからのDVなど。

本棚に複数の自己啓発本/自己啓発系チャンネルを見始めた
ーそこに焦燥感があれば自己批判傾向。

・プレイリストの選曲が暗い
ー厭世的な価値観、抑うつ。

趣味をしなくなった/SNSの更新頻度が激減した
ー無気力。


言語化できる手がかりなどなくても、違和感には従った方が良い。
その直感が外れていても、何の問題もない。

当たっていたのに従わなかった・・・・・・・・・・・・・・事こそが問題である。

マインドブロックをぶっ壊す

さて、SOSサインを感じた後に、どのように相談に持っていくのが良いか?
ーいきなり「最近悩みとかない?」等と聞いても、塞ぎ込んでいる場合は話してくれる事の方が珍しい。

何故なら、「病んでいる自分が恥ずかしい」という自己嫌悪/羞恥心と、「自分の都合で重い話をするのが申し訳ない」という罪悪感の双方が、自己開示にブレーキを掛けるからである。

だからこそ、寧ろこちら側から話すべきである。

まず、「最近メンタルの調子悪くてね~」等と、簡単な自己開示をする。
自ら病んでいる事をカミングアウトすることで、「病んでいる自分が恥ずかしい」というマインドブロックを壊す。心の蟠りは平気で喋るものだという共通認識を形成する。

もし今病んでいないなら、過去の話でも良い。
雑談の時に、「あの時実はめちゃくちゃメンタル病んでいたんだけど、この趣味に救われたんだよね」のような話でも大丈夫。

ただ、自己開示をし過ぎて自分が寧ろ相談をする側にならないように注意したい。
メンタルが壊れる人間は基本的に自己犠牲的で、思いやりがある。

続いて、話の対象を少し広げる。
「病み」に関して、自分中心から、周囲の人間、社会全体へと、抽象度を上げていく。

私もそうだけれど、最近病んでいる人が周りに多くて、よく相談事を引き受けるんだよね。やっぱり、現代社会は構造的におかしいんだよ。
簡略化したが、こんなイメージ。
「最近病んでいる人」の中に、共通の知人がいると尚良い。

これは、「自分の都合で重い話をするのが申し訳ない」というマインドブロックに対してアプローチしている。

私にとって、重い相談を引き受けることは日常茶飯事のこと。
そして人が重くなる要因は個人ではなく社会にある。

この二つの論理で、罪悪感を取り除いていく。

絶対にやってはいけないこと

さて、このようなプロセスを経て本題に入るわけだが、幾つか禁忌がある。

正解を10個積み重ねるよりも、不正解を1個でも出すダメージがデカすぎるので、先にやってはいけない事を紹介したい。

①飲み会

飲み会でこういった相談事を引き受けるのはオススメしない。

まずアルコールが入って、適切な対応が出来なくなる。

また、相談者にとっては確かに本音は出やすいだろうが、ヤケ酒的な側面が強く、逆効果になることもある。

そして何より、空気を読まない奴が割り込むと全てが台無しになる。
真剣な話をしている時に、外野からダル絡みされたり、相談者を馬鹿にするような発言なんてされたら溜まったものじゃない。

同様の理由で、基本は相談事は一対一で引き受けるべきである。

酒があった方が良い気持ちも分かるが、せめてサシで行ってあげて欲しい。

②激励

頑張れ」。

絶対に、絶対に、言ってはいけない。
悪いけどこれを言えちゃう人は相談者として壊滅的に向いていないから、端から相談を引き受けないで欲しい。

頑張っていない人間なんかこの世にいない。
寧ろ、頑張りすぎたから心に闇を抱えている。

同様に、努力の有用性を示唆するような発言は慎むべきである。

週刊少年ジャンプ的な価値観は相談事にいらない。メリトクラシーが果たしてどれほどの人間を殺してきたのだろうか。

③「正しい」アドバイス

食事睡眠運動日光を意識すると良いよ。
腸活サプリやセントジョーンズワート飲んだら?
心療内科行った方が良いんじゃない?
ジャーナルといって、感情を紙に書くと良いよ。
マインドフルネス瞑想を習慣化してみよう。
筋トレをして、テストステロンレベルを向上させよう。
毎日「自分は最高だ」というアファメーションをしよう。
毎日良かったことを3つ日記に書くと良いよ。
自然との繋がりを意識して生活してみよう。
ペットとか飼ったら?
孤独は良くないから、コミュニティに顔を出そう。
趣味に夢中になると良いんじゃない?
一日の自由時間を2-5時間にしてみよう。
スマホのスクリーンタイムを制限しよう。
インターネットポルノ断ちしよう。
SNS一旦やめた方が良いよ。

これらは「正しい」。
科学的根拠や個人の経験則に裏付けされた、メンタルハックである。

だが、こうしたアドバイスは、今の時代比較的簡単に辿り着くことが出来る。

そんなアクセス容易なアドバイスを、彼らはなぜ実践できずにメンタルが落ち込んでいるのか?

ー逆だ。
メンタルが落ちているから、セルフケアなどとうに出来ないのである。

そして何より、こうしたアドバイスは、しばしば自己責任論の押しつけになりやすい。

これは、「自分のことは自分で管理しろ」と、もう既にパフォーマンスが著しく低下している人間に言っているようなものだ。

④希死念慮の否定

死んだら親が悲しむよ、あなただけが辛い思いをしている訳じゃないのに、生きていたら良いことがあるよ…。

希死念慮を抱える人は、必死に生きて、数々の地獄をみてきた現時点での最終結論として「死にたい」というある種の作品を完成させている。

こうした発言は、その作品を木っ端微塵に破壊する行為だ。

希死念慮を否定するのは、その人の人生そのものを否定するに等しい。

②激励と同じくらい地雷。
何度も言うが、死にたい気持ちが心から理解できないのなら端から相談に乗らない方が良い。


他にもあるだろうが、思いつくのはこの辺である。
意識的に避けたい。

相談事の基本

心構え

いざ相談事に入る際に、基本となる心構えがある。

それは、「ゴールを設けない」こと。

明るく元気になってほしい。
心のモヤモヤが解消されてほしい。
目の前の課題に集中できるようになってほしい。

ついつい相談事にゴールを設けたくなる気持ちは分かる。
だが目標があると、どこか作為的で違和感のある相談になるばかりか、エゴの押し付けになりやすい。

相談事は、それ自体に意味がある。
本音をぶちまけるだけでも、カタルシス効果で多少は心理的に幸福を感じやすい。

手段を目的化して良い。
寧ろ、何らかの目的を設けたせいで、本音が出しづらくなることこそが問題だ。

傾聴

それでは、具体的なコミュニケーションに入っていく。

別に意図的に行っているわけではなかったが、私が相談事に乗る時は、基本は、「傾聴」に重きを置いていたと思う。

要するに、相手の抱える悩みや負の感情を、そのままに受け取って会話を続ける。
巷ではオウム返しをするのがテクニックとして言われているが、それこそ意図的で違和感があるので、多少自分なりに言葉を言い換えると良いと思う。

(例)
「彼女に浮気されて、もうなんか、今までの時間は何だったんだろうって、」
浮気されていたんだ、なるほどね、時間が無駄になった喪失感みたいなやつか…
「そう、だって〇年も付き合っていたんだよ?
結婚だって考えてたし、割と本気で好きだったのに」
そうだよね、長い間付き合っていたよね
「それなのに、裏切っていたなんて…。
もう自分には価値がないって思う。死んだ方が良い」
結婚まで考えていたのに…そりゃあ、死にたくなるよな

相手の悩みも、感情も、全てありのままに受け取っているだけである。
そこに余計な評価も、判断も、アドバイスも何もいらない。

余談だが、街で見かける下手な例は、こんな感じである。


(下手な例)
「彼女に浮気されて、もうなんか、今までの時間は何だったんだろうって、」
浮気されてたんだ、まあ浮気するような女なら端から別れられて正解だったと思うよ」(評価)
「だって〇年も付き合っていたんだよ?
結婚だって考えてたし、割と本気で好きだったのに」
まあ、結婚してから気づくよりはマシじゃね?」(判断)
「でも、やっぱり自分には価値がないんじゃないかって…」
そんな事ないって!よし、これを機にマッチングアプリ登録しようぜ!」(アドバイス)

傍から見ても、相談者の顔色がどんどん悪くなっているのが分かる。

当たり前だ。

人は、「死にたい」から死ぬのではない。
「死にたい」と思っているのが自分だけだと思うから、その疎外感で死ぬのだ。

余計なお世話は、疎外感を加速させる。

エピソードトーク

ただ、傾聴だけでは不十分だと思う。

相談者が一方的に喋っているだけだと、徐々に「申し訳ない」という感情が復活してくる。
それに、本当に自分の気持ちを理解してくれているのか?という疑念が出てくる可能性もあるだろう。

だからこそ、自分のエピソードも話すと良い。
似たような経験があればベストだが、例え全てが似ていなくても、感情や状況等で共通点があれば、感情を理解している説得感が増す。

(例(さっきの続き))
「それなのに、裏切っていたなんて…。
もう自分には価値がないって思う。死んだ方が良い」
結婚まで考えていたのに…そりゃあ、死にたくなるよな。
俺は、彼女に浮気された経験はないからあれけれど、ほら、昔受験失敗したじゃん?
その時も、長年努力したのに、その全てが無駄になった気がしてさ。自分には価値がないんじゃないかって、死にたくなったもん。

ただ、不幸バトル選手権にならないように気を付けたい。
相手の不幸や負の感情と比較するような言葉(私はもっと辛かった、もっと長い間付き合ったのに別れた等)は、積極的に避けた方が良いだろう。

背景の理解

ついでに、相手の絶望感や希死念慮の背景を掴んでいくと、より理解が深まる。

基本的に、絶望や希死念慮を抱える人間は、家庭環境や学生生活、恋愛などの過去に致命的なトラウマ/問題があった場合が殆どである。

環境に恵まれた人間でも、直近の不幸な出来事で抱えることもあるが、その場合の負の感情は一時的であり、次第に寛解することが多い。

例え「彼女と別れた」のような具体的な問題について相談していても、出てくる悩みが「自分には価値がない」など抽象的な場合は、人格形成の段階で何らかの問題が生じている可能性を疑う。

その場合は、相談範囲を「直近の問題」から「家庭環境」など過去に広げる必要がある。

テーマが変われど、傾聴が基本の相談スタイルは変わらない。
何度も言うが、本音を話すことそのものに意味がある。

最後に

絶望感や希死念慮は、多くの場合、「感情」ではない。
一種の生き物である。

心の中に、生き物を飼っている。
だから、他人の「生き物」を追い出すことは容易ではない。

飼い主ですら、出来なかったのだ。


まず無理だと思った方が良い。
こうして偉そうに相談のコツを書いているが、救えなかった人もそれなりにいる。

というか、救おうなんて傲慢以外の何物でもない。

ロバを水飲み場に連れていくことが出来ても、水を飲ませることは出来ない。
アドラー心理学でよく引用される諺だが、言い当て妙である。

「あなたのお陰で、生きようと思えました」

ー「死にたい」という感情に、これまで何度も寄り添ってきたが、一度も言われたことがない。

言ってほしくもない。
人の生き甲斐になれるほど、私は高尚な存在ではない。

相談という行為も、相談を引き受ける私も、人々を絶望感や希死念慮から救い、生き甲斐を感じながら確かに人生を歩んでいけるほど立ち直らせる力はないし、過去に抱えた深い傷の前では、殆ど、あるいはまったく刃が立たないものである。

せめて、その気持ちに共感し、あるいは理解しようと努める事しか、今の私に成す術はない。

強いて言うならば、救われているのは、私の方である。

過去に受けた大きな傷や、慢性的に抱える絶望感や希死念慮というものは、現代社会を生きるうえでは単なる足枷に過ぎない代物である。

唯一、誰かが「死にたい」と口にした時、社会が「もっと辛い人なんかごまんといる」と石をぶつける中、ひとり「そうだよね」と心から返せるくらいしか、使いどころがない。

「死にたい」と同時に抱える孤独感や疎外感は、視野狭窄な所も否めないが、確かに合っている。
人生で絶望感や希死念慮を抱える人は、そんなに多くはない。

ただ、だからこそ、別の誰かがそう口にした時、死にたかったあなたは「そうだよね」と返すことが出来る。

そして、そういう存在になって欲しい。

そういう存在が世の中を埋め尽くし、

いつか「死にたい」が、

「眠たい」と同じくらい、

気軽に話せる社会になる一助に、この記事が少しでも役立てられれば、

死にたかった私も、私に死にたいと話してくれた人たちも、

本当の意味で救われるのではないだろうか。

おわり

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