minmin735
母が亡くなって、3年が経ちました。だれもがいずれはお母さんとお別れする日が来ることはわかっていました。けれどもそれは、私にとってあまりにも大きな出来事でした。書くことで3年間をなんとか過ごしてきました。書き溜めていたものを読み返しながら、少しずつ投稿していきたいなと思います。
母が先月、旅立ちました。母がいなくなることが、私にとって一番こわいことでした。帰りの通勤電車では涙を必死にこらえます。駅から家までの間は、こらえきれずぽろぽろ落ち始め、家の玄関を開けた途端、号泣するといった日々です。 ときどき母と会話をするようになりました。といっても、もちろん、母の想定する返事を私がしているだけです。 「明日は童話教室。でも休もうかなあ」 「行ってらっしゃい! 先生によろしくね」 「でも泣いて涙が止まらなくなったら、はずかしい。わんわん泣いたら聞いている
はっと気がついた。眠っていたみたい。とっても寒い。にぎやかな声が聞こえる。小さな子どもたち? (えっとえっと、、、ここはどこだっけ、何だっけ、何だっけ?) 私は一生懸命考えた。早く思い出さなきゃいけないような気がして焦っていた。 ふいに、私は工場の天井を思い出した。高くて、真っ白で、固そうな天井。そうよ、私はあそこで生まれたのよ。型に入れられて固まって、熱い熱で焼かれて。その時に命が芽生えたんだっけ。 ああ、思い出した。私を眺めながらこんなことを言っていた人たち。
トランクに見立てた赤い箱。それを絨毯の上に水平に寝かせて、そっと蓋を開けます。すると、ソファセットとレースのカーテンが張り付けられた窓、そして本棚までついている小部屋があらわれます。幼い少女たちはそれぞれが大切にしているリカちゃんをソファに座らせます。手足が動き、着せ替えも出来る人形です。靴を履かせては脱がせたり、バッグを手に持たせたり、髪の毛をとかしたりと、少女たちは夢中になって遊びます。遊んでいるうち、いつかきっとリカちゃんみたいになろうと、あこがれが高まっていくのでし
「信じられない。50歳だなんて」 亜希子はこの頃何度もため息をついている。1週間後に50歳になる自分になかなか落ち着かないでいる。30の時も40の時も、節目の年にはいろいろ思うことはあったが、やっぱり半世紀の区切りは大きく、50は重く響く。 子どもの頃に思っていた50歳なんて、遠い遠い未来だった。そんな未来にたどり着いてしまった。朝昼晩、朝昼晩、の繰り返しで50年も経ったことが、不思議でしょうがない。ご飯を食べて、寝たら、次の日で、という、それだけだったような気がした
「寒くない?」 「寒くないよ。ちょうどいい。うとうとしてたよ」 「わたしもわたしも」 「もう、だいぶ経つね」 「長いよね」 「ここにいるの、ちょっと飽きちゃった」 「きっと、もうすぐ動けなくなるはず」 「そうね、わかってる」 「あ、しゃべってると音が出てきた。聞こえる?」 「聞こえるよ。私のは?」 「うん、聞こえはじめた!」 「ねえ、そっちに行ってもいい?」 「だめなんだよ。もう近づいたらいけないんだ」 「うそよ、わかってる。ぶつからないように、ってことだもんね」 「そう、ぶ
「お母さん、最近太ったんじゃない?」 小学生の息子が言います。 「俺もそう思ってた」 中学生の兄も声を揃えます。 「そんなことないわ、太ってないわよ」 みき子は言い返します。内心はいらいらしています。 「お母さんは太ってない。太ってない」 夫の幸彦が息子たちに向かって言います。優しい夫がムキになっている様子からして、みき子は観念しました。やっぱり太ったんだ、もう周りからもわかってしまうほどに。 四十歳を過ぎてから、だんだん体が丸くなりました。食べる量は変わっていない