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(短編小説)大発明の薬について
「お母さん、最近太ったんじゃない?」
小学生の息子が言います。
「俺もそう思ってた」
中学生の兄も声を揃えます。
「そんなことないわ、太ってないわよ」
みき子は言い返します。内心はいらいらしています。
「お母さんは太ってない。太ってない」
夫の幸彦が息子たちに向かって言います。優しい夫がムキになっている様子からして、みき子は観念しました。やっぱり太ったんだ、もう周りからもわかってしまうほどに。
四十歳を過ぎてから、だんだん体が丸くなりました。食べる量は変わっていないつもりでした。しかし、もともと食いしん坊なみき子のこと、料理を作りながらもつまみ食いはするし、パートの休憩時間はお菓子をみんなで食べているし、ちょっとずつ食べる量は増えていたのも事実です。気に入っていた洋服も苦しくなったし、なんとなく動作ものろくなったし、冴えない気持ちが心の底辺に漂っている感じが、ずっと続いていました。
そんなある日のこと、びっくりする出来事がありました。みき子のパート先であるドラッグストアで、店長からお知らせがあったのです。
「わが社の研究が実を結び、夢の薬ができました。食べても決して太らない薬です。ただ、まだ販売にはこぎつけてなく、治験の段階です。きっと安全です。きっと大丈夫です。希望者を募っています。ただし申し込めるのは一人だけ、一人だけです!」
社員もパート仲間も一同、ざわめいています。興味はあるけれど、首をかしげています。なんかこわそう、という声も聞こえてきます。
「これはもう、私のためにあるチャンスよ!」
みき子は矢も楯もたまらず、挙手しました。
こうしてあっけなくチャンスを勝ち取ったみき子は、本部にある研究所に呼ばれました。メディカルチェックを受けたのち、研究所長から薄緑色の液体を差し出されました。
「小林みき子さん、いいですか? こちらが、わが社の開発した薬です。これを飲むと、あなたはもういくら食べても太りません。今の体重をずっと維持し続けられます」
「あ、やせる薬じゃないんだ」
そうつぶやいてから、虫のいいことを言いすぎたと、みき子は小さく反省しました。
「わかりました」
「さあ、お飲みください」
「はい」
コップ一杯ぐらいの量を、みき子は慎重に飲み干しました。いつもお昼に飲んでいるペットボトルのお茶と同じ味がしました。でもそんな薄っぺらな感想は言わないでおこうと思いました。
さあ、それからというものの、みき子の生活は大きく変わりました。最初の数日間はおそるおそる食べていたけれど、体重計の数値はピクリとも増えません。あのお茶っぽい薬の効果は本当だったのです。
みき子はドラッグストアで売っている袋菓子を毎日のように買って帰るようになりました。チョコレートやらポテトチップスやら、グミやクッキーなど、みき子は大好きなのです。お菓子だけではありません。焼き鳥のぼんじりや、豚の角煮や、マグロのトロなど、脂身の多いものも、ためらうことなく食べています。
「お母さん、よく食べるなあ」
「ほんと、俺たちと変わんないよな」
子どもたちも感心するほどです。
「お母さん、明るくなったよね。怪しい薬を飲まされているんじゃないかと心配したけど」
幸彦も最初は心配していましたが、のびのびと生活しているみき子を見るうち、安心していきました。
ちょうどひと月ぐらいたったころ、ちょっとした変化がありました。
「小林さん、いますか。ちょっとこっちにきて手伝ってくれませんか?」
お店の奥から店長が読んでいます。
「はーい」
そそくさとみき子が行くと、
「小林さん、いますか? あれ、どっか行ったかなあ」
「店長、ここにいます!」
「あ、ああ、いたいた。ごめんごめん」
こんなやり取りが時々起こるようになったのです。家の中でも同じようなことがありました。
「ただいまー」
「おかえり」
「あれ、今、母さんの声がしたけど」
「あら、ここにいるじゃない」
「あ、いたわ」
息子たちとのやり取りも数回ありました。
「お母さん、なんか薄い」
「お母さん、なんか変だよ」
「変だ! 絶対変だ。お母さん、薬のせいだよ」
幸彦の表情が険しくなります。翌日、みき子は幸彦に付き添われ、研究所に行きました。
「どういうことか説明してほしい」
幸彦の問いに、所長は答えました。
「みき子さんが飲んだ薬には、食べ物をカスミに変える成分が含まれているのです。つまり、食べたものはごくごく小さな分子に分解され、体じゅうの毛穴からすべて外に逃げていくのです。体重に見合った量だけは消化吸収し、オーバーした食べ物はすべて外に飛び去って行くよう調合したわけです。だから体重が増えなかったでしょ?」
「なるほど。そういうしくみだったんだ。じゃあ、どうしてときどき姿が薄くなるんですか」
「そこなんですよ。我々もそこが思わぬ落とし穴でした。毛穴から外に飛び去って行くうちに、人の体もちょっとずつ分解されて、見えなくなっていくみたいで……。これは、今後の課題になりそうです」
「そんな、冗談じゃない! そんなこともわからず治験していたんですか」
幸彦は立ち上がりました。
「じゃあ、こうすればいいんじゃない?」
みき子が発言しました。化粧ポーチからファンデーションを取り出し、薄れてきている腕をそっとなぞりました。くっきりと腕が見えるようになりました。
「あ、いける。これでいいんじゃない」
みき子は得意げに言い、近くの研究スタッフは戸惑いながらもうなずいています。
「何言ってるんだ! ちがうだろ!」
幸彦は言い、みき子を抱きしめました。
「君はちゃんといてくれないと困るんだ」
幸彦はずっとみき子を抱きしめたままです。
「うん……。ありがとう。心配かけてごめんね」
やり取りを見守っていた研究者たちは、治験の終わりを告げました。
「治験にご協力ありがとうございました。はい、ではこれをどうぞ」
差し出されたのは、また薄緑色の液体でした。解毒剤のようなものと説明がありました。
「本当に大丈夫? ペットボトルのお茶じゃないですよね?」
みき子は言いました。
「大丈夫ですよ。安全をモットーにしていますから。ゆっくりと元の体に戻れますよ」
「それはそうと……」
所長は付け加えました。
「小林さん以外にね、治験に参加した方は数名いたんですよ。みんな各店舗から選ばれた人たちでね。二人だけ、連絡がつかないんですよ。もうこちらから見つけることはできなくなってしまいました」
--END--