思い出ほやほや(母と私のこと 1つめ)
母が先月、旅立ちました。母がいなくなることが、私にとって一番こわいことでした。帰りの通勤電車では涙を必死にこらえます。駅から家までの間は、こらえきれずぽろぽろ落ち始め、家の玄関を開けた途端、号泣するといった日々です。
ときどき母と会話をするようになりました。といっても、もちろん、母の想定する返事を私がしているだけです。
「明日は童話教室。でも休もうかなあ」
「行ってらっしゃい! 先生によろしくね」
「でも泣いて涙が止まらなくなったら、はずかしい。わんわん泣いたら聞いているみんなも、先生も困る」
「あーちゃんが泣いても、だれも困らないわ。それに泣かないかもしれないし」
「うん」
「ほら、じゃあ教室で御殿の話をしなさいよ。楽しくなるよ」
「うん」
御殿の話というのは、以前、私が童話で賞をいただいたときから、母とふくらませていった空想です。私が書いた童話がとってもヒットして、童話御殿ができるのです。エントランスには編集者が並んでいます。玄関入ってすぐの部屋には、受付係の母が座っています。大型犬もそばにいます。
「あのお母さん、手ごわいよな」
「しっかり仕切ってる」
編集者たちは母を恐れています。
奥の部屋では私が執筆しています。ときには取材旅行、ときには老舗のホテルにこもって、ケーキやらご馳走やらを食べつつ、空想をぐんぐん広げていきます。
「あー、いいないいな」
いつもこのあたりになると、母と笑い始めます。御殿の話はいろいろなバリエーションがあります。とてつもない作品が書けて、とてつもないことが起きたら、さあどうしましょう、という話もたくさんしました。
こんなことを思い出していると、少し元気が出ます。
「今日はケーキを買って帰りなさい。必ず買って帰るのよ」
また母の言いそうな言葉が浮かんできます。
「わかった。買って帰る」
私が元気になれるコツを知っている母。ケーキ1つじゃとても無理。でも、ちょっとずつ元気になれるといいな。