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【もう一人のわたし】が存在する人へ

私には長い年月、私の中に【もう一人の私】が存在しました。

本当の私とはかけ離れた、私の中での【完璧なわたし】でした。

私は長い間、その私をわたしだとは感じていなくて
いつも演じて作っている、【もう一人のわたし】でした。

NAMIDAサポート協会カウンセラーあさみです。

演じているわたし

ありのままの私であると、人間関係が上手くいかないとかという理由で
完璧なわたしを演じる方がいらっしゃいます。

ありのままの私だと『人に嫌われてしまう』などの理由で、嫌われるであろう
ことをありのままの、本来のわたしから排除をして
人に好かれるであろう自分を演じている方です。

つまり、本当は嫌だと感じているのに『いいよー。大丈夫だよー。』と笑顔で対応したり
本当は苦しいのに、元気で明るいわたしを演じていたり
本当は違うのに、外には全く違うわたしを見せているという状態です。

これは、何か別の人格が私の中に存在するのではなく、多重人格というのではなく、あくまでも、私が私を守るために【これ以上傷つかないように】人に好かれる私を演じているという感覚です。

きっかけは壮絶ないじめだった

冒頭にも書いた通り、私も【もう一人のわたし】を存在させ、演じた私で生きてきた一人です。

私は、小学校の5年生から6年生の2年間、クラスの男子全員(当時の人数は21人いました)から、教室の真ん中に連れて行かれて、囲まれてリンチを受けるという壮絶ないじめを受けていました。

『学校に来るな!』
『まだ生きていたのか!』
『早く○ね!』
『お前の存在自体が迷惑』
『明日も生きていたら、覚えてろよ!』
『生きていることがこの世の邪魔』
『今すぐ○んでくれ!』
『お前の顔があるせいで具合がわるくなった!俺を○す気か!人○し!』

そんな暴言を毎日毎日浴びせ続けられました。

そして、リンチも毎日、いや授業のたびに続きました。

教師は助けてくれませんでした。

『男子が嫌だって言っていることを直しなさい』
『いじめられるあなたに問題がある』

そう言われていたのです。

(いじめの体験談は、また別の記事に書きます)

当時、私は家庭でも両親からの虐待を受けており、両親の思い通りの私でいなくてはいけないと思い込んでいましたので、『あなた達の娘は、こんなにたくさんの人間に嫌われて、生きる価値がないと早く○んでくれと願われている人間なんです』と宣言するに等しい、【親に相談する】という勇気はどこにもなかったのです。

なので、学校には毎日行き続けました。
親にバレることが、リンチを受けるよりも怖いことでした。
なので、教室にも休まずに行き続けました。

‹生›と‹死›の間を綱渡りの毎日

もちろん、辛くないはずがないのです。
もちろん、苦しくないはずがないのです。

崖っぷちでした。
命の崖っぷちに立たされているような毎日でした。

私は【遺書】を書いて、毎日持ち歩くようになります。
これは、なにか復讐をするために、書いた内容ではありません。

男子の暴力行為によって、私になにかあれば
男子全員が犯罪者になる、と思ったのです。
犯罪者になれば、21人の男子の未来がなくなります。
私ごときの小さな命を奪ったがために、そんなことは許されない!と、当時の私は考えていたのです。

遺書の内容は『学校ではなんの問題もなかった。全て私だけの問題です』というものでした。

そして、私は

もし、私の命が尽きそうになったら、最後の力を振り絞って学校の屋上に駆け上がって、そのまま飛び降りようと、本気で覚悟をしていました。

家でも虐待を受ける
逃げ場がない。
夜に眠れなくなりました。

毎晩、自分の首に手ぬぐいを紐状にして巻きつけ、自分の首を締め付けます。
そして、意識が飛ぶ寸前に『ああ、やろうと思えばいつでも○ねる。大丈夫。』と少し安心できるのです。

こうして、私は眠りにつきました。

自分が自○する姿をイメージすることが、私が実行さえすれば、いつでもみんなが言っているように私の存在自体を消すことが出来る。

これが、私の唯一の〈救い〉でした。

生まれ変わったわたし

この地獄のような2年間がやがて終わりを告げ
私にも小学校卒業の日がやっとやってきました。

そして、私は決断をするのです。

【中学校から私は生まれ変わって、人気者の私になろう!】と。

中学校の入学と同時に、私は生まれ変わって、【全然違うわたし】になったのです。

私は元々凄く人見知りが激しくて
大人しい子でした。

中学からの私は、子供会のリーダー活動を積極的に始めて、人の前に立つようになり

いつも笑っていて
優しくて
頼りがいもあって
そんな私を演じ始めたのです。

つまり、私の何が悪くてあんないじめを受けていたのか?私にはわかりませんでした。

なので、『私のネガティブな部分が人に嫌なおもいをさせるんだ!じゃあ、嫌な部分を消せばすきになってもらえるはずだ』と子供心に考えました。

そして、ネガティブな部分は全て【なかったことにして】【すべて排除して】、ボジティブな部分だけを全面に出して、ポジティブな私しかいないように演技していたのです。

限界を迎え、崩壊する

私は感情封印もしていたので、苦しいとは感じていませんでした。

しかし、人に頼まれれば、次の日仕事があっても友達の悩み事を聞きに車で数時間かけて駆けつけたり、人が私のいない所で私の悪口を言っているのではないか?と常に不安で、仕事のギリギリの時間まで子供会の行事に参加したり、必要とされれば吹奏楽の団体の助っ人を4団体掛け持ちし、ゴスペルの団体の活動にも参加し、人がいないとなれば、ドラムも習い、、、。

カラダが持つわけがありませんでした。

そして私は、十数年間、寝込んで起き上がれなくなったのです。

「本当のわたし」も「もう一人のわたし」も全てが【わたし】

そして、テープ式心理学と出逢うことになるのですが、テープ式心理学の創立者の仁先生のカウンセリングを受けた時に

こんな取り組みをしました。

【本当のわたし】と【もう一人のわたし】の特徴を文字にして書いて、ノートの見開きで並べてみたのです。

よくよく見てみると、驚きがありました。

『これ、全部わたしじゃないか!』と。

そうして、私は二人別々になっていた私を統合させました。
一つにしました。

ネガティブなわたし、ポジティブなわたし、どちらもあっていい。と受け入れて行きました。

そして、今のわたしが居ます。

今でも、わたしの中に【元もう一人のわたしだったわたし】は存在していて、外に出ると、まるで別のキャラのように動き回り、人前に出るわたしがいます。

でも、私はもう別々ではありません。

居ないものとした、ネガティブなわたしも存在していて、どちらもあってこそ【わたし】なのです。

以前の私のように、演じたわたしがいて
本当のわたしを誰にも出せなくて苦しい。
という方はいらっしゃいませんか?

大丈夫です。

わたしもあなたとなにも変わりません。

そして、わたしはそこから楽になった経験をしている、あなたの少し先輩です。

もし、あなたが苦しんでいるタイミングにいるなら、良かったら一度お話を聞かせてください。

NAMIDAサポート協会カウンセラーあさみ

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