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斎王のまち・明和町
こちらは私のホームページにも書かせて頂いている内容と重複する点も多いとは思いますが2018年より明和町観光大使をさせて頂いております。6月1日(土)本年の明和町最大のまつりである斎王祭りが開催されました。
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明和町は何よりも斎王(伊勢神宮に巫女として奉仕した内親王または女王(奉仕はわずか年3回の祭りの為)の生活された地である「斎宮寮」の所在した処として知られております。斎王が神宮に赴く3回の祭りは9月の神嘗祭、6月、12月の月次祭であり、8月には尾野湊御禊場(跡地は町指定史跡)で身を清めたと伝わっています。
初代斎王は十代崇神天皇の皇女豊鍬入姫命と伝わり、斎宮制度設立以降初代の伊勢斎王は天武天皇の皇女大来皇女であります。一般的に天皇の譲位・崩御に伴い退位され、新斎王が占いの一種である亀卜により選ばれました。その後途絶・復活を経て76代の後醍醐天皇祥子内親王まで続きました。
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都から斎宮寮へは200人ほどの従者を伴い5泊6日の旅により到着したとされており、道行きには嬉野・三雲の忘井や垂水斎王頓宮跡などの史跡も残されています。
明和町に残る史跡は「祈る皇女斎王のみやこ斎宮」として日本遺産に指定されています。
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最も目を引くのが史跡斎宮跡に平成25年正殿・脇殿・東脇殿の三棟が復元されているさいくう平安の杜です。斎宮跡は昭和45年初めて発掘され、国の史跡に指定された後も現在も続いて発掘調査が進められています。その威容はまさに明和町のランドマークといえます。
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斎宮跡から東に4kmほどの斎宮のハナショウブ群落は面積はそれほど広くないですが、毎年5月下旬~6月にかけ素晴らしい花を咲かせます。近年有名になった明和町のマスコットキャラ”めい姫”はハナショウブが斎王に憧れて姫の姿になりました。
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そして斎宮を知る上が訪問が欠かせないのは斎宮歴史博物館です。こちらは塚山古墳群の中に所在し、重要文化財に指定され日本遺産の構成要素でもある斎宮跡出土品を中心に充実の展示内容です。斎王まつり期間前にはNHK大河ドラマ「光る君へ」巡回展も行われました。
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源氏物語で詠まれる詩にも登場する、いにしえの花園である「竹川の花園」は斎宮歴史博物館を南西に自然豊かな田園地帯(田のあぜ道)を進んだ線路岸にあります。平安期には湿地地帯で、四季の花々が咲き誇った園であり、多くの斎王もそれを愛でたと伝わります。こちらは大変賑わう祭りの中でも静けさを湛えていました。
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近鉄斎宮の駅からまっすぐ北にいつき茶屋を過ぎたところに所在する斎王の森。江戸後期にはその存在が知られた斎宮御殿の跡地とされています。
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今回初めてじっくり見せて頂いたのが、いつきのみや歴史体験館北側の斎宮の1/10モデルです。とても精巧な造りで往時の斎宮の広大さを伺い知ることができました。
また東側のロマン広場一角には古代米の黒米と赤米の栽培もおこなわれています。
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竹川の花園同様に静寂を保っていたのが、斎王が斎宮に入る前に禊を行ったとされ、江戸時代に神宮を参拝する旅人も身を清めたとされる祓川です。
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最近インスタを中心に満月の御朱印と花手水で有名になりました線路南の竹神社。明治11年に鎮座されたこの地はかつて野々宮が祀られていた地であり、旧竹神社の地は斎宮歴史民俗博物館南方に標示と碑があります。周辺では平安期の大規模な塀列や掘立柱建物の跡が発掘され、斎宮の中枢・内院の場所ではないかといわれています。その他面白いのが、室町期に地元の住人野呂三郎がここに城砦(斎宮城)を築き狼藉を働いた為、国司北畠材親に討伐された斎宮城の跡地でもあります。
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最後になりましたが、祭りに話を移しますと、本年は赤福さんが運営される五十鈴茶屋提供で限定販売の多気町ポモナファームさんのトマトを使用した水饅頭「赤王」や平素よりお世話になっております多気町のルナ月さんの美味からあげなどのグルメの他、社会活動が積極的な明和町らしく更生保護女性の会さまのバザー、町役場と町民の連携により緑化活動を進められている明和町みどりの会さまのブース(廃油石鹸を頂きました)、明和町手話の会さまなど本当に多彩なブース。斎王群行には本年近衛官人役で三重県議会のパワフルウーマン松浦慶子県議さまも登場され、大変にぎやかな祭りとなりました。
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斎王まつり実行委員会さまも若手メンバーに入れ替わり、より一層の飛躍を僭越ながら期待しております。
斎王まつり実行委員会さまは1口1000円から寄付金を受け付けておられます。ふるさと納税共々よろしくお願い致します。