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ゲームを通して学んだこと。

こんにちは。
ゲームを、やったことはありますか?

ゲームは、遊びですが、とても大切なメッセージを伝えてくれます。

そんなゲームから、学んだことを、書いていきたいと思います。

恨みや、憎しみでは、何も生まれない。

私が、やっていたゲームではよく、登場した言葉です。

『恨みや、憎しみでは、何も生まれない。』
『憎しみを憎しみで返しても、憎しみがどうどうめぐりするだけだ』

こうした言葉が、印象的です。

これは、確かに、的を射ていると思います。

何か、嫌な思いをさせられても、憎しみを募らせ、復讐しようとし、それを果たしても、なんにもなりません。
虚しいだけです。

例えそれが、違法行為により、受けた被害であれ、裁判沙汰になり、勝訴したり、有罪判決を、証明したとしてもです。

失ったものが、帰ってくるわけでもない。

非建設的なのです。

それよりも、為すべきことを為すべきではないでしょうか。

幸せは、復讐で掴めるものですか?

 事件の被害者、また、その関係者の気持ちが分からないわけではありません。

しかし、裁判で、勝っても、あなたの傷は癒えない。

それを、ゲームは言っているのです。

そんな一般的見地よりも、高度なことを語るから、ファンがいる。

それがゲームなのです。

人生は自分で決めるもの。


人生は、自分の力で切りひらき、創りあげるもの。

 『人生は神さんや、他人が決めるものじゃない。自分が決めるものだろうが!』
『おいらは、自分の人生は自分で決めるって決めてんだ。』

当たり前のようで、意外にも、人は自ら努力せず、
神(宗教・信仰)に頼ったり、占いや、まじないで、
努力はせずに、楽に願いを叶えようとしたり、
状況を改善することを望んだりします。

あるいは、病気になれば、医者が何とかしてくれるだろう、と病院へ行き、医師の意見に左右され、診断を信じます。

しかし、現実はそう甘くはありません。

神に祈るだけで願いが叶うなどと、神社などでは言ってませんし、

占いは、アドバイスです。

まじないも、楽して叶うなら皆、やってます。

病院で病気が簡単に治るなら、病に苦しみ、治療に奮闘する人はいません。

病院へ行くだけで治る病気など、限られたものです。

人生は自分の意識で決め、選択し、また、それに責任を持ち、自らの脚で歩む覚悟がなければ、とても、目標である山の頂上まで、行けません。

希望の炎を絶やすことなかれ。

『希望の炎』
『光のある方へ…』
『人生とは、崖を登るようなもの。希望の炎を絶やしては、とても頂上まではたどり着けない。』
『こんな状況だからこそ、希望を持つべきじゃない?』

希望という言葉が多いのも、ゲームの特徴です。

希望を持つことをやめず、前向きに生きていく。

そんなことで、人生の困難を自らの力で乗り越え、夢へと、到達するのでしょう。

絶望するなら、生ける屍(ゾンビ)と、なってしまう…

そんな風には、なりたくありません。

人を信じる事が大切。

『人が人を信じることが出来ずに誰を信じるのだ』
『人を信じるからこそ、強くもなれる』

人を信じる心は、大切であるとゲームは語ります。
確かに、人間関係でトラブルに遭い、人間不信になると、人生、闇です。

人に裏切られても、人を信じる。

それは、忘れてはいけないことですね。

終わりに。

ゲームは、一時期、子供に悪影響を与えると言われました。

しかし、ゲームを創ってきた人たちは、とても素敵な人たちです。

それは、ゲームをやって、そのストーリー、音楽、演出、セリフ、キャラクター、背景、ゲームシステムなどで、伝わってくるものです。

高価になってしまったゲーム機ですが、無料で紹介動画などありますし、

お好みであれば、是非ともゲーム鑑賞でもいかがでしょうか。




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