生徒は教員を選べないからこそ
放課後、昨年教科担任を持っていた生徒から、
「〇〇先生の授業がよかった〜」
「〇〇先生、自分たちのクラスには授業来ないの?」
「今年も〇〇先生授業やってよ〜」
「▽▽先生の授業わかりづらいんだよね〜」
と話してくる生徒がいます。
皆さんはどうですか?中学3年生の教科担任を持っている先生方では多いのではないでしょうか?
そういった話を持ちかけられ、話していると、まあ自分ができないことを先生のせいにしようとしている面もあるのかな…(笑)と思ってしまいます。
そんなことを頭の片隅で思いながら、
「そっか〜ありがとね〜」
「今年は□□さんの教科担任じゃなくて残念だったよ〜」
と当たり障りのない受け答えをして生徒と楽しく話しています。
少し思うことを箇条書きにまとめました。
⬜️ 生徒は教師を選択できない
まあ、先生も同じですが、生徒は教科担任を勝手に割り振られるわけですから、選ぶことなんてできません。
よく4月の始まったすぐに「〇〇先生か〜…」と嘆く生徒を見かけます。
⬜️ 他の先生との比較ができない
授業を繰り返し行うことを想定して授業は行いません。
一度行った授業は他のクラスでない限り、生徒は人生で一度きりの授業内容です。
そのため、他の先生はどうやって教えていたのかなど生徒が授業の内容に関して比較することはできないのが現状です。
比較してその先生が良い悪いをあぶり出すということではなく、できない問いが単に自分の理解力の問題なのか、その先生との相性の問題なのか生徒自身の中ではっきりと考えることができるので、わからない問題に出会った時などの復習には有効ではないのかなと思います。
⬜️ ある程度のレベルの指導ができるという前提のもと教師は成り立っている
同じ教科を教えるにしても、その先生ってどのくらいの知識があるのかなと疑問に思ったりします。
知識がアップデートされていなく、いまだに過去の知識を正しいと思い込み授業に臨む方もいます。
教師は学習指導要領に書かれている内容は必ず扱う必要があり、その内容をきちんと定着させる義務があります。
つまり、教科担任制で複数の教員が1つの学年を分担して教えるときには、最低限みんなこのくらいの知識は持っているはずだから安心!という前提があって成り立っていると思います。
正直、指導できるレベルなのか不安な教員の方もいらっしゃいます…
⬜️ 指導要領の最低限をこなしても点数を取れないから不満がでる
結局テストの点数を取らなければならないという壁がある気がします。
いくら学習指導要領に書かれている内容でアクティブな授業をしくんだとしても、結局テストに出るのは教科書・ワークの内容が多いのではないでしょうか。
自分がいくら単元を貫く課題を設定し、プレゼンなどを通して深い学習を計画しても、そこでの深い学びはテストには出題されません。
なぜなら、他の教員は教科書しか授業で扱っていないから。
もちろん、授業中は生徒たちは楽しく「あ〜なるほど!」と閃いたり、納得する姿があり、自分的には良い学びになっているのかなと感じることも多くあります。
しかし、その深い学びがテストにでないとわかったとき、すこし悔しいなと思う気持ちがあるのではないでしょうか。
もちろん他の教員と足並みを揃えるということも大切なのは重々わかっていますが…
⬜️ 教科書を読み込むように教え込むような指導は結果が出やすい
最高点は出ないものの、細かい用語や説明、留意点などを細かく確認できるので平均点層の点数を押し上げることができます。
つまり、教え込みの授業の方が点数は圧倒的に取れます。
なぜなら、演習問題をひたすら解くので問題になれ、見たことある問題が定期テストに出題されるからです。
⬜️ 競争がないからこそ、先生は天狗になりやすいのかも
中学校であれば、あるクラスのある教科の指導はたった一人で行います。
つまり、その先生のいうことが絶対的なことということです。
同じ内容でもYouTubeのようにたくさんの発信者から選択するようになると必然的に競争が生まれ、より質が高いものが残り、質の悪いものは淘汰されていきます。
こういったことをくりかえし行っていくからこそ、常にアップデートが行われ、よりわかりやすい授業をすることができるのではないかと感じています。
しかし、学校という閉ざされた環境ではそういった競争は起きることは決してありません。
だから教員には「自分は絶対に正しいんだ!だからいうことを聞け!」のような根性論で物事を押し付ける天狗のような人があるのではないでしょうか。
人がアップデートされなく、そういった人が上司のような立場だと生徒も先生もしんどいですよね。
<さいごに>
やっぱり、教師って「この教科ってこんなに楽しいんだ!」と思わせなければならないと思います。
学習ができるようになるのではなく、学習をするきっかけを作ってあげる、また、学習をするための方法を教えるということが一番大事なのではないでしょうか。
目の前のテストの点数に追われていては生徒の本当の学習の姿を奪ってしまう可能性があるのではないでしょうか。
生徒は先生を選択することが現状できないからこそ、その先生が持つ学習の面白さとか、役に立つこと、魅力などを実感を伴ったり、熱意を込めて話していかなくてはならないのではないかなと思ったりしています。