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世界の熱に触れる旅 -小説『蒸気で動く家』の面白さ


 
 
【水曜日は文学の日】
 
 
ある作品が、その作り手の中で例外的な存在でありながら、それ故に美しく感じられることがあります。
 
『八十日間世界一周』や『海底二万哩』といった空想科学小説で知られるジュール・ヴェルヌが1880年に発表した冒険小説『蒸気で動く家』は、彼の特徴が出ながらも、彼の作品群からやや逸脱した面白さのある作品です。
 
インスクリプトから「ジュール・ヴェルヌ 驚異の旅 コレクション」の一冊として翻訳出版されており、原作の優れた挿絵を全てつけて、冒険にどっぷりと浸れます。

『蒸気で動く家』原書扉絵


舞台は19世紀末のインド。語り手のモークレールは、イギリスの陸軍士官エドワード・マンローと出会います。
 
嘗てのインド植民地での大反乱「セポイの乱」で妻を失い、鬱屈したものを抱えるマンロー。そんなマンローを慰めようと、友人の天才技師バンクスと狩猟の名手ホッド大尉は、北インド旅行に誘います。
 
そこでバンクスが用意したのは、なんと鋼鉄製で歩き、中でゆったり快適に過ごすことのできる、巨大な象の「車両」。この鋼鉄の象、「蒸気で動く家」に乗りこんで、一同は旅にでます。
 
そんな一行が道中出会うのは、インドの雄大な自然、襲い掛かる反乱軍の残党たち。マンローとは、かつて互いの伴侶を殺し合った宿敵にして反乱軍の首領、ナーナー・サーヒブ。そして、松明を持って夜な夜な森をさまよう謎の狂女「さまよえる炎」。
 
旅の果てに、彼らは果たして何を見出すのか。。。


『蒸気で動く家』邦訳表紙


イギリス植民地下のインドの歴史を基にして、作中ではかなり丁寧な解説もあり、読者に親切な設計です。作者が当時イギリスと覇権を争っていたフランスの人だからなのか、サーヒブの力強い造形等に、イギリスへの微妙な距離感があるのは興味深いところ。
 
 
そして、風光明媚な自然の描写、スリル溢れる冒険に、あくまで優雅な物腰を崩さない主人公たち、宿命の対決と、夢いっぱいのある種の「最新科学技術」、と読者サービス満載かつ、リーダビリティ抜群で、ヴェルヌの特徴が良く出た傑作です。




ジュール・ヴェルヌは1828年生まれ。フランスの港町ナントで生まれ、海や航海への憧れを持って育ちます。
 

ジュール・ヴェルヌ


法律を学ぶためにパリに出るも、芸術家たちの生活にどっぷりはまり、自分でも戯曲や小説を書きます。
 
友人で写真家・冒険家だったナダールに触発され、空想科学小説『気球に乗って八日間』を書くと大ヒット。その後、ユゴーの出版もてがけた名編集者エッツェルの元で、次々に空想科学小説の傑作を手掛けます。
 
『海底二万哩』、『地底旅行』、『八十日間世界一周』等、空想科学と冒険に満ちたその大衆小説は、子供向けにリライトされたりして世界中で読まれていますが、改めて原典を読むと、色々興味深い作家です。




巻末の大変詳しい解説によると、『蒸気で動く家』はある種の「組み合わせ小説」、つまりは過去の焼き直し的な側面があるとのこと。『八十日間世界一周』のインド部分と微妙な繋がりがあったりもする。

そもそもこの作品は、デビュー17年目にして長篇21作目です。いくら多作で才能豊かでもマンネリと言われて仕方ない状況です。
 
しかし、『蒸気で動く家』には、他作品にはない魅力があります。それは何と言っても、タイトルになっている鋼鉄の巨象なのは間違いありません。
 
山道を苦にせずのしのしと歩き、一行を体内に入れて暑気や風雨から保護して運んでくれ、ある時は民衆に崇められ、ある時は一行を敵から守ってくれるパワフルな守護神。

蒸気と鉄だけでこんな凄いものが造れるかというツッコミを忘れるくらい魅力的です。

『蒸気で動く家」原作挿絵


主人公を守って冒険を可能にするこうした心地よい「カプセル」は、ヴェルヌの作品に頻出します。
 
『海底二万哩』の潜水艦ノーチラス号、『月世界旅行』の宇宙船(砲弾)、『十五少年漂流記』等で頻出する船や、筏、そして気球と鉄道。
 
しかし、それらはあくまで主人公を外界から遮断するだけの「ゆりかご」でした。この鋼鉄の巨象「スチーム・ハウス」は、まるで生きているかのように蒸気の雄たけびを上げて、積極的にインドの大地を踏みしめ進んでいくのです。
 
そこには、文字通り「スチームパンクSF」的な、あるいは、主人公が乗り込んで操縦する、ロボットアニメ的な胸ときめかせる香りがあります。

『機動戦士ガンダム』のような、そうしたアニメが魅力的なのは、主人公に強さを与え、その意志を反映して、世界に触れることができるからでもあるでしょう。




では『蒸気で動く家』で主人公たちが触れるのは何か。それは言ってみれば「火」です。
 
襲撃する反乱軍の残党たちの松明の火、かつての大乱の燃え盛る劫火の記憶、そして何よりも「さまよえる炎」という女性。
 
彼女のイメージが飛躍するクライマックスはヴェルヌの作品では稀な、飲み下せない異様なものに触れるようなイメージがあります。そしてその果ての、大スペクタクル。
 
そこには、冒険の果てに出会うこの世の未知なるものが、主人公たちだけでなく、私たち読者にも降りかかってくるような、驚くべき瞬間があるのです。

『蒸気で動く家」原作挿絵


ヴェルヌの小説は、四大元素で言うところの「水」と「風」に満ちた作品と言えます。

船や気球のカプセルに包まれて、水と大気のひんやりとした心地よい感触を味わいながら、謎を解明する冒険に出かける。
 
勿論、『地底旅行』にはある種の火の要素もありましたが、あの作品では「海もある、空洞になった地球の中心」という胎内じみた場所から排出されるための、液体的な役割が強調されていました。
 
しかし、『蒸気で動く家』では、鋼鉄の巨象型マシンという驚異の道具を得て、四大元素でも寧ろ「土」と「火」との要素の探求に重点が置かれています。
 
熱い大地に触れ、万物を灰にする火を間近で見つめ、この世界が様々な熱に満ちていることを知っていく。それは、いつものヴェルヌ的な世界と異なっています。

『蒸気で動く家」原作挿絵


もしかすると、マンネリ打破のための、様々な試行錯誤の末の産物なのかもしれない。また、その不可思議さや曖昧さから言って、『八十日間世界一周』や『海底二万哩』のような彼の代表作になるのは難しいでしょう。
 
しかし、人間が一つの面だけで説明しきれないように、一人の作家にも多くの側面があります。
 
『蒸気で動く家』は、ヴェルヌの作品中ある種の例外でありながら、まぎれもない「冒険小説」であり、彼が世界の多様な面を描き出すことのできる大作家であったことを示す作品のように思えるのです。

是非、その胸躍る旅を味わっていただければと思います。



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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