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【創作】美女と野獣と白鳥【幻影堂書店にて】


 

※これまでの『幻影堂書店にて』



 
光一が店のドアを開けると、ノアの顔がぱっと明るくなった。
 
「よかった、戻ってこれたね」
 
「ああ、この前は君の前から急に消えてしまって、すまなかった」
 
「大丈夫。君が消えるのはいつものことだからね」
 
「うん、まあ確かに思いだしてみればそうなんだろうけど」
 
「ただ、本を読んでいる途中はあまりない。新しいしおりがあったから、大丈夫とは思ったけど」
 
その言葉で、光一はカウンターの壁にかかっている金のしおりが並ぶ板を見つめた。


羽ペン
革靴


方位磁針
ヒトデ
クジラ
ぶどう


 
今度はぶどう。一体これらに何かの規則性か共通性があるのか、さっぱりわからない。それでも、何か大切なものだという気持ちは確かに感じられる。それにしても、これは何枚あるのだろう。
 
光一が思案していると、ノアが、急に光に包まれた。そして、いつもの黒いゴスロリ服ではなく、真っ白いロリータ服に変わる。まるで白い羽の鳥のようだと思った。
 
「どうしたんだ」
 
「たまには衣装を変えて気分転換したくてね。この本にある衣装に変えてみたよ」
 
「それは?」
 
「フランスのボーモン夫人が書いた『美女と野獣と白鳥』だ」
 
「『美女と野獣』は知っている。映画にもなっているよね。同じ作者かな?」
 
「うん。『美女と野獣』ができる前のプロトタイプのような作品だ」
 

映画『美女と野獣』
(2014年版ポスタービジュアル)


「面白そうだな」
 
「実は、『美女と野獣』は元々ヴィルヌーヴ夫人という18世紀の小説家によって書かれた童話を、ボーモン夫人が短縮して分かりやすくしたものだ。しかし、その前にボーモン夫人は、独自の『美女と野獣と白鳥』を書いていた。勿論表の世界では流通していない。読んで御覧」




昔あるところに、貧しいが美しい娘が住んでいた。彼女は父親の商売の失敗によって、城に住む醜い野獣のもとに奉公に行かされる。
 
野獣は白鳥と結婚しており、美しい娘は白鳥の世話をする。やがて、白鳥は病気に罹り死ぬ。野獣は嘆き悲しみ、日がな一日泣いて暮らす。娘は野獣の優しい心持に触れて心を打たれ、かいがいしく世話をする。
 
やがて、野獣は娘に求婚する。娘は迷ったが拒絶して、城を出ていく。旅宿で働き始めるも、ある日、急に自分が年老いていくのを感じる。人の数倍速く年老いて、醜く肌は垂れ、ある日鏡を見ると、あの野獣そっくりになっているのを感じる。娘は川に飛び込む。
 
水の中で、娘は白鳥の幻を見る。白鳥が野獣を連れてきて、野獣の姿が白鳥に変わる。実は、野獣は悪い魔法使いに魔法で醜い姿にされていた。二羽の白鳥は生前の彼女が世話してくれたことに感謝を述べ、二羽に連れられて娘は天国に行く。


『美女と野獣』挿絵
(ウォルター・クレイン画)


光一は、挿絵入りの薄い緑の本から顔を上げて言った。
 
「一応救われるけど、結構破滅的な物語だね。童話とは思えないというか、流石にこれを子供に読み聞かせるにはいかないから、ロマンチックなハッピーエンドにしたんだろうな」
 
「そうだね。それはひょっとすると作者のボーモン夫人の人生に起因しているのかもしれない」




ジャンヌ・マリー・ド・フランシス・ボーモンは1711年、フランスのルーアン生まれ。修道院で教育を受け、ダンサーと結婚するが、うまくいかず、フランスを離れてロンドンに渡っている。そこで、ボーモン夫人と名乗って、貴族の子女の家庭教師を務めている。


ボーモン夫人


それに並行して、子供向けの雑誌を発行した。これは、聖書から地理歴史・神話までを分かりやすく子供に読み聞かせるための本で、各国で大ヒットした。その中の一編が名高い『美女と野獣』。
 
彼女はその後、フランスに戻って娘夫婦や孫と暮らしながら、教育書の出版で忙しく過ごした。1780年に69歳で亡くなっている。




「ダンサーと結婚っていうのが珍しいね」
 
「そう。そもそも、彼女は「ド」なんてつけているけど、貴族と結婚していたかどうかも怪しい。というか、ロンドンで貴族の家に抱えてもらうための方便じゃないかな。本人は歌手として舞台に立っていたと言われている。
 
ダンサーとの間にできた娘も抱えながら生活していたわけで、18世紀当時の女優やダンサーというのは、かなり社会的に危うい立場であったことは考えておく必要がある。貧しい同僚女性の飛び込み自殺も、彼女は見たことがあったはずだ」
 
「そんな人が、海を渡って貴族の家庭教師になって、子供向けの道徳的な本を創るっていうのが面白いね。おそらく、彼女には貴族が信用できるような雰囲気もあったんだろうね」
 

18世紀の上流階級の家庭教師(カヴァネス)


光一の言葉に、ノアはドレスの羽を揺らすように頷いた。
 
「そうだね。実のところ、彼女がそういう出自を持っているからこそ、道徳的な童話を創ったとも言える。基本的にボーモン夫人の作品は、18世紀のヴィクトリア朝の品行方正な道徳方針に沿ったもの。
 
彼女がそれを元々身に着けていたからじゃない。本当は貴族でも品行方正な家庭の出でもないのに、努力して後天的に貴族になりきったからこそ、「立派な子女」に必要な物語が創れる。
 
自分は変われる、変わって人の心を信じて本当の愛と幸せを掴める、という強い信念があるからこそ、彼女は物語を創れた。それが『美女と野獣』のストーリーというわけだね」
 
「ということは、そのちょうど裏返しの物語がこの話だね。元の物語を手にする前の、彼女の信念の中にある不安が表現されているのかも」


映画『美女と野獣』(1946年版)




「そうだね。そこには、年をとることへのある種の恐怖もある。彼女はイギリスに渡って以降、再婚はしていないけれど、元スパイで進歩的な思想を持った男性と、同棲生活を送っていたと言われている。自分の衰えていく容色についてどう思っていたのか、私は機械だから興味があるね」
 
「そうした思いを蒸留して残ったのが童話だったんだね」
 
「うん。童話を書く人というのは、誰よりも強い信念をもっている人なのかもしれない。自分や現実の醜い部分があるのを知りつつも、子供に向けて、そうしたものを様々な意図で見せないという強い気持ちがあるのだから。
 
あるいは、あらゆる物語というのは、現実を蒸留した美しい煌めきを見せるためにあるのかもしれない。野獣のように醜い見た目の現実の中の美しい心を見つけ、「物語」という名の美しい王子様に変えようとしているのが、人間なのかもしれないね」








(続)


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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