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【創作】水霊の碁 第3話 鎖の遺言


時は元禄、華の江戸

これは、無鉄砲で前向きな少年、弥之吉と
囲碁の天才にして後の名人
本因坊道知こと長之助の
芸と力、長年の友情と挫折をめぐる
物語である


※前回はこちら



 
 

第3話 鎖の遺言


 

3-1


 
(俺は一体何を望んでいるのか)
 
弥之吉やのきちは自分に問いかけた。自分が本因坊ほんいんぼうの跡目になって、名人になる。それは実力的に無理なのは痛感していた。だが、長之助ちょうのすけにはそれができる。その能力がある。
 
だが、長之助を跡目にするのには、年齢という高い壁があった。まだ12歳。対して、兄弟子で実力者の因出いんしゅつは、22歳。適齢期であり、十歳差。

もし、因出が跡目に就いたら、長之助は一生跡目になれないかも知れない。
 
弥之吉は、因出をあまり好いていなかった。
 
過剰な自信家で、自分が跡目にふさわしいと吹聴してやまない男。何よりも、因出の碁は、名人のような気品に欠けていた。
 
力碁一辺倒で、相手をなぎ倒さないと気が済まない。それは、弥之吉自身の碁のように、名人の風格に欠けていた。

そんな碁が、道策の華麗な碁の跡を継げるとは思えない。継いで欲しくない。
 
となれば、行動を起こすのみだ。




弥之吉は長之助と二人きりになった時に、名人になりたいかどうか直接聞いた。最初、長之助は冗談と見て、取り合わなかった。
 
「名人かあ。誰だって憧れる。いい着物だって着られるし、こんな薪割りなんてしなくて済むし」
 
弥之吉は、そうやって楽しそうに笑う長之助の肩を掴むと、顔を近づけた。少しいい匂いがする。その大きな潤んだ瞳を覗き込んで、真剣に語り掛ける。
 
「俺は、長之助が名人になれると思っている。だが、それにはまず、本因坊の跡目にならんといかん。その覚悟があるか。あるなら、俺は、盾になって全てを助ける。無いなら、この話は忘れておくれ」
 
長之助は驚いた顔で、弥之吉をまじまじと見つめた。そして、瞬きもせず、静かに囁いた。
 
「なりたい。弥之吉がいてくれるなら、我は名人になる
 
その言葉で全てが決まった。弥之吉の中でもう迷いはなかった。




まずは、師の道策どうさくの前に、井上家の当主で、今は本因坊家の師範代、井上因碩いのうえいんせきに、誰が跡目になるべきか、直接尋ねた。
 
因碩は、少し思案した後、因出の名を挙げた。理由を聞くと、因出か長之助だが、年齢的に上であるし、因出の方が実力があるから、という。
 
「それは、今の話でしょう。この先は分からない」
「そうさな。なんにせよ、今、最も実力がある者が、跡目となるべきだ。だが、一番は、道策師のご意向であろう」
「では、道策様がお決めになったことには、反対なさらない?」
「無論である」
 
とすれば、後は道策である。弥之吉は、道策の二人きりでいる時、因出の碁を酷評した。力一辺倒で何の取柄もない碁。道策は愉快そうに笑って頷く。

その度に、弥之吉は自分の碁を自分でけなしているような痛みを覚える。
 
「俺は次代の名人などと言っておりますが、とてもそんな器にございません」
「何じゃ、今日のそなたは随分ものを言うのう。面白い」
わたくしが思うに、最も跡目にふさわしいのは、神谷長之助にございます




とうとう決定的な言葉を口に出した。その瞬間、道策の笑顔が消えた。その考えもあるな、とそっけなく弥之吉に応じる。しかし、まだ聞き出さなければいけない。
 
「決めるのは師でございます」
「まだ幼い。最も力があると、坊門全員が認めねばならん」
 
では皆が認めればよいのですねと言おうとして、言葉を呑む。今日はこれくらいだ。そして、もしこれで道策が弥之吉を呼ばなくなったら、この考えは気に入らないということ。何事もなく接するなら、これを進める。
 
弥之吉は一睡もできずその夜を過ごした。

そして次の日、いつものように道策から身の回りの世話に呼ばれた。道策は昨日の話などなかったように、朗らかに接する。弥之吉は賭けに勝った心持だった。




弥之吉は長之助の雑用を助け、体調維持と、できる限りの睡眠時間を確保させた。
 
練習の場から、常に真剣勝負のように臨め、とにかく勝ち続けろと何度も伝えた。

長之助もそれにこたえ、二十戦近く、負けなしの記録を作った。徐々に道場の皆が、本格的に道知の力を認め出しているのが、弥之吉には感じ取れた。




弥之吉は一計を案じた。
 
弥之吉は、道場の外の桜が見頃であることを道策に話した。この頃、因碩が中心になって稽古をしており、道策はあまり道場に出ていなかったのである。道策は関心がないように頷いていた。
 
「そういえば、明日の昼、長之助と因出が、長之助の白で打つそうです」
 
いつもの如く何気なく、付け加えた。道策はそうかといつもの如く言って、そのまま別の話になった。




次の日、道場で皆が打っていると、道策がやってきた。久しぶりの顔見世に、内弟子たちは騒然となった。
 
「なに、桜が綺麗じゃと聞いてな。気にせず稽古せよ」
 
そんな中、長之助と因出の対局は始まった。

桜を見るようで、道策はいつの間にか二人の対局に見入っていた。因碩や弟子たちもその様を見て、段々と集まり、人だかりができる。誰も声を発さずに、真剣勝負の場になっていた。
 
内容は、白の長之助の完勝だった。道場はしんとなった。道策は立ち、たった一言、道場中に聞こえる野太い声で言い放った。
 
「見事であった」




それから、数日後、弟子の皆が集まった場で、道策は、長之助を将来の本因坊家の跡目にすると宣言した。

まだ年少であり、時期を見て跡目にして、他家にお披露目する。異を唱える者は誰もいなかった。長之助もそれを受けた。
 
長之助の名前は、道策から一字とって、「神谷かみや道知どうち」となった。そして、弥之吉も、道策から名前を貰い「石田いしだ策侑さくゆう」と名乗ることになった。




道知は、弟子たちの相部屋から、一人の部屋を与えられた。道策の隣の部屋である。諸々の荷物の移動が済み、策侑は部屋を訪れると、平伏して挨拶した。
 
「道知様、おめでとうございます」
 
道知は、ゆったりと笑って、首を横に振る。
 
「堅苦しい挨拶は無し」
「もう薪割りはしなくて済みますね」
 
道知は相好を崩して笑った。
 
「策侑、これからも我の元にいてくれ。そなたがいてくれると、道知は己自身でいられる。そなたと一緒に名人を目指す」
 
策侑は、実は、あの時道策が来ることを、長之助には伝えていなかった。そんなところで優位を作っても仕方がない。あくまで同じ条件で因出を負かすことに意味があった。
 
自分と道策の会話の内容は、自分一人が墓場に持っていくものだ。

裏でこそこそ動き回るのはどこか後ろめたかったが、それでも、道知がこうやって笑ってくれるだけで嬉しかった。策侑は笑顔で、朗らかに答えた。
 
「勿論でございます、道知様」




コラム


囲碁は、基本的には先手(黒)が有利です。そのため、現代では、6.5目分、黒の方から点数を引いて計算しています。これを、「コミ」と言います。
 
では、コミのない江戸時代はどうしていたかというと、実力の同じ者は、「互先」(たがいせん)と言って、黒と白を交互に持って打っていました。
 
コミなしの後手番の白で相手に勝つというのは、相手より格上の力を持っているということであり、非常に重い意味がありました。


天和3年(1683年)
桑原道節(井上因碩)(黒)-本因坊道策(白)
白中押し勝(棋譜は中途迄)
因碩37歳と、師匠道策38歳との二子局

黒は序盤から右下~中央下の白を猛攻するも、
白は意に介さず、左上を目一杯囲う。
黒の攻撃をかわすと
左の黒地まで侵入して勝ち切った。
名人道策の至芸であり、
この時の因碩は、全く及ばない





3-2


 
道知が次の跡目と認められてから、道策は体調を崩しがちになり、床に臥せる時間が長くなった。
 
元禄15年(1702年)の年明けにはいよいよ病状も厳しくなった。出入りも慌ただしくなり、何度も因碩や周囲の者が呼ばれた。
 
そんな中、策侑も呼ばれた。二人きりで話したいという。




道策は、かつての堂々たる威容の影もなく、瘦せ衰えていた。どこか痛ましさを覚える。
 
「何度もこうして話したものだな。今は懐かしい。楽しかった」
「有難いお言葉。わたくしもでございます」
 
道策は、今までの格段の働きを感謝すると伝えた。型通りに受けていると、道策は突然、道知の名前を出した。
 
「道知が最も信頼しているのは、そなただ。因碩ではない。そなたは若いが、人を見る目、動かす力は、因碩など遥かに凌駕する。
 
因碩は、碁は強いが、人の心持を見通す力がない。しかもあの男は野心家だ」
「それはよいことでございましょう」
「・・・いや、心配だ。道知はまだ赤子のようなもの。わしが見守ってやれたなら、どれほどよかったことか」
 
そこまで道知のことを気に留めていたのか、と策侑は意外に思った。公の場でも、いや、二人の場でも、道策とはそれ程深い会話はしないと、道知自身から聞かされていた。
 
道策はじっと策侑の眼を見つめて、嗄れ声で言った。
 
「もしそなたが、今後一生、道知を支えてくれると約束すれば、本因坊家に次ぐ相応の扱いと俸禄の保証を、遺言に加える。どうだ」
 
策侑は虚を突かれた。

今後一生?

その言葉に思わず、喉から出た言葉が詰まった。何とか言葉を探す。少しの間があり、ようやく口を開く。
 
「わたくしなどには、勿体ないお言葉。まことに有難く存じます。わたくしは、お師匠様に引き立てていただいた身。本因坊家へのご恩を、生涯貫く身でございます。
 
そのような俸禄があっては、余人が勘繰るだけでございましょう。お気持ちだけ有難く受け取る所存でございます」
 
道策は、見るも明らかに落胆した様子だった。悲しそうに目を伏せていたが、ふっと笑って呟いた。
 
「そう、そなたはそのような者だったな。もうよい。私の不覚だ。そなたの力で歩くがよい」




部屋に戻って、策侑は自問した。
 
(これでよかったのだろうか。なぜ俺は道策様の言葉を、応諾することができなかったのだろう)
 
そこには迷いが確かにあった。このまま一生、本因坊家を支える。名人としてではなく、「下働き」の一人として。そんな言葉が頭に浮かぶ。俺の人生はそれでよいのか。

一生という言葉は重い。

道知を支えるという言葉を試された気がした。しかし、道知を愛し、支えたいと思うのとは、また別の話である。
 
だが、ではどうすればいいのか、自分は何になればいいのか。それは答えが出てこないのであった。
 
それにしても因碩が野心家というのは、意外な気がした。因碩は、非常に朗らかで、兄貴肌で、誰からも慕われている。道策名人に対しての敬意も、誰よりも持っているように感じる。
 
因碩は、道策の「五弟子」の生き残りであり、現在最強の実力者であることは間違いない。それ故に道策も一番の信頼を置いているように、策侑には見えていた。




その次の日。道策から話があるということで、病床に弟子たちが全員集められた。
 
将棋所で将棋名人の、大橋宗桂までが来ている。おそらくは、師の最後の言葉があるのであろうと、皆緊張して息を潜めていた。
 
道策は、臥せたまま、これまでの全てに礼を言う。

そして、改めてこの場で、道知を本因坊の次期当主にすること、弟子たちには今まで以上一層、碁の修業に励むことを、息も絶え絶えの声で告げた。

弟子たちは、畏まって頭を下げた。




道策は、因碩を呼んだ。因碩は、道策の枕元に座る。
 
「私は獲れるものを全て勝ち獲り、坊門は、私が入った時と比べ物にならないほど栄えている。何の後悔もない。
 
ただ一つ気がかりは、道知のこと。あの子は稀代の傑物。必ずや名人になる。そなたは傍で支えてほしい」
「勿論でございます。必ずや道知を名人にする所存でございます」
 
因碩が道策の手を握って、涙ながらに答える。貰い泣きしている者もいる。
 
だが、次の瞬間、全員が耳を疑った。
 
そなたは決して、名人に就いてはならぬ。道知を支えると約束するなら、そなたに八段準名人の位を与える。だが、決して名人を望むな
 
その場が凍り付いた。
 
因碩の喉元が動き、唾を飲み込むのが分かった。因碩は、できる限り落ち着いた声で答える。
 
「かしこまりました」
ここで証文を書け
 
道策は冷たい声で告げると、傍の者に硯と筆と紙を持って来させた。予め用意していたのだ。策侑は、呆然となって、成り行きを見つめていた。
 
因碩は表情を変えず、無言のまま、筆を動かした。その背中が微かに震えている。
 
(これは、鎖だ。。。)
 
策侑は、背中にぞっとしたものが走るのを感じた。

わざわざ将棋所の部外者まで呼んで、全員の前で、絶対に断れない約束を完成させる。相手を鎖で縛り上げ、遺言を絶対に破らせないようにする。
 
名人は終身制であり、道策の中では、次の名人は道知でしかありえなかった。
 
それは、最強の名人道策が、人生最後に繰り出した、命を懸けた大仕掛けだった。策侑は道策の痩せこけた頬を見つめた。
 
(そこまでして、道知を名人に就けようとしている。。。)
 
道策は半身を起こし、証文を何度も読み返すと、もうよい、と言ってまた床に臥せた。
 
それから三か月後の、元禄15年(1702年)3月、本因坊道策は57歳でこの世を去った。
 



(続)



※次回 第4話 星の船出


※この文章は、架空の人物・作品・地名・歴史と現実を組み合わせたフィクションです。

【参考文献】
・『日本囲碁大系 第三巻』(筑摩書房)
・『日本囲碁大系 第四巻』(筑摩書房)
・『日本囲碁大系 第五巻』(筑摩書房)
・『元禄三名人打碁集』 福井正明著
(誠文堂新光社)
・『物語り 囲碁英雄伝』田村竜騎兵著
(マイナビ囲碁文庫)
・『坐隠談叢』安藤豊次著
(關西圍碁會 青木嵩山堂)
・『道策全集』藤原七司著(圓角社)


※第1話

※第2話





今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回の作品・エッセイでまたお会いしましょう。


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