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【創作】水霊の碁 第2話 彗星の光芒

 

時は元禄、華の江戸

これは、無鉄砲で前向きな少年、弥之吉と
囲碁の天才にして後の名人
本因坊道知(どうち)こと長之助の
芸と力、長年の友情と挫折をめぐる
物語である

※前回はこちら

 


 

第2話 彗星の光芒

 

2-1

 

弥之吉やのきちは圧倒されていた。時の名人本因坊道策ほんいんぼうどうさくは、恰幅の良さ、金箔のついた派手な着物、丸々とした坊主頭等、全身から「力」を発散させていた。このような覇気は今まで見たことがなかった。
 
これが名人、天下一の碁打ちとはこのようなものなのだ。弥之吉は武者震いがするのを覚えた。強烈なその「気」に羨望を覚え、自分もこうなりたいと直感した。




道策はぎょろりと目をむくと、居並ぶ弟子たちの中で平伏していない弥之吉の方を見た。野太い声で言い放つ。
 
「今日の入門希望に、石見から来た者がいると聞いていたが、お前さんかな」
「はい」
 
すると、目尻を下げて優しい声になる。
 
「懐かしい。わしも、石見の出だ。もう随分帰っていないのう。あそこは貧しいが、人は賢く、心は綺麗な場所だ。そうであろう?」
「はあ。。」
「どれ、どのような碁か見ようかの」
「すみません、今丁度打ち終えたもので」
 
本碩ほんせきが、身体を元に戻して答えた。
 
「おお、そうか。それは残念。確か今日はもう一人来ると聞いていたが」
「はい、そちらの方です。これから打つところです」
 
柱の陰で口を開けて立っていた長之助ちょうのすけを示しつつ、策元さくげんが答える。道策はその姿を見てふふっと笑うと、道場に響き渡る声で言った。
 
「そうか。では、この子の相手はわしがしようかの。今日は安井にも勝って気分がいい。たまには一興であろう」




その言葉で道場中がざわついた。ただの入門希望者に名人が打つことなど異例なのだろうと弥之吉には分かった。

名人の碁をこの目で見られる!

弥之吉は興奮して頭が一気に沸き立った。
 
長之助は、柱の影からおずおずと表れて、上目遣いで居心地悪そうに碁盤の前に座った。道策と長之助の碁は、七子置きとなった。




対局が始まる。道策は殆ど考えることもなく、力強い打音で、石を碁盤に打ち付けるように腕を下ろす。長之助は対照的に、そっと碁盤に石を置いていく。
 
しかし、打ち進めるうちに、長之助が素晴らしい技量の持ち主だと、弥之吉には分かった。柔らかい、工夫に満ちた手筋を次々に出し、乱暴な白をいなしていく。左上の攻防では、名人相手に殆ど互角の分かれとなった。
 
白の石をむやみに追いかけたりしない。気品に満ちて、繋ぐ石の形が美しい。弥之吉とは一回りも二回りも上の、卓越した打ち手だ。
 
この美しい少年は、こんなにも優れた碁打ちだったのか。自分が打ったら、完敗だ。先程の勝った余韻が、弥之吉の中で一気に吹き飛んでしまった。




だが、名人道策はそんな少年を遥かに凌駕する力だった。
 
乱暴に暴れまわるように見えて、決して傷ついたり石が死んだりすることはない、長之助の小太刀は軽く受け流す。
 
そして、盤上に謎の如く散りばめられていた白の石が、ある瞬間、突然繋がると、黒を締め付けて、見事に黒の大石を召し取った。

それは、あたかも、白い大蛇が巻き付いて、獲物を屠るがごとき、魔の力であった。
 
もう大差がついている。長之助は、小声で「負けました」と呟いて投了した。道策の中押し勝ちである。


本因坊道策 肖像画


弥之吉は呆然と対局を見つめていた。

これが名人の至芸。いや、その力の半分も出していないだろう。頂の見えない遥かな名人の高みを、確かに感じた。

そして、長之助は優れている。ここで、一緒に、その高みを目指したいと、強い閃きが頭の中をよぎった。
 
「すみません!」
 
弥之吉はいきなりそう叫び、頭を下げた。
 
「この子は優れた技の持ち主です。我だけでなく、この子も入門させてください!」
 
それは、弥之吉の心からの気持ちだった。周りがしんとなる。弥之吉が頭を上げると、きょとんとした顔で道策がこちらを見つめていた。そして、含み笑いで問いかける。
 
「そなたは、もう己は入門できたと思っているのかのう」
 
その言葉で、まだ入門許可の言葉を全くもらっていないことに気づいた。自分は勝ったので入門、長之助は負けたので入門できないと思い込んでいたのだ。

ええと、と言い淀む弥之吉に道策はがははと笑って、自身の禿頭をつるっと撫でた。
 
「よいよい。面白い子じゃ。本碩、この子を入れようかと思うが、力量はどうじゃ?」
「問題ございません」
「よかろう。それと、そなた、長之助と言ったな。負けはしたが、筋は良い。ひ弱だが、これから力を付ければよい。この子も入れたいが、どうかの?」
「異論はございません」
 
策元が道策の言葉に答える。こうして、弥之吉と長之助の入門が決まった。




弥之吉は、鮫島が坊門の人たちに挨拶して、兄弟子たちが屋敷を案内している間もどこかふわふわしていた。

突然、ぎゅっと、自分の手を握られた。振り向くと長之助が赤い顔でもじもじしながら、弥之吉の手を握って笑いかけていた。
 
「ありがとう」
 
その言葉で、ようやく、自分の人生が新しい場所に来たことを実感した。弥之吉は笑うと、強く長之助の手を握り返した。



 

コラム


名人というのは、卓越した技量を持つ者に与えられる称号です。

現在ではトーナメントからの七番勝負になっていますが、当時は、本因坊・安井・井上・林の四つの家元の者が協議して、推挙していました。それが決まらない場合は「争碁」と言って、碁の勝負で決めることもありました。この風習は将棋も同じです。
 
その他、力量を表すのに、「段位」があります。こちらも現在とは異なり、名人は段位で言うと、九段で、一人のみ。
 
その下の八段は「準名人」と呼ばれ、長老に与えられる名誉称号のようなもの。七段は「上手」と呼ばれ、現在ならタイトルホルダークラス、当時でも一つの時代に数人しかいませんでした。六段・五段は現在でのトッププロです。
 
また、名人とは別に、「碁所」(ごどころ)というのもありました。これは、寺社奉行の管轄下の、幕府の正式な機関の長です。段位を与える免状を発行し、将軍様の前で打つ「御城碁」の管理進行も任せられる、囲碁界の頂点です。名人しかなれません。
 
道策は、争わずして「名人碁所」に就任した真の実力者。しかも、上記の段位制を整えたのも道策です。

そして、この位階を巡って、弥之吉たちの運命は翻弄されることになります。




2-2


弥之吉と長之助は、本因坊門の内弟子となった。

朝は早くに起きて、兄弟子たちと屋敷の掃除、薪割りに、買い出し。午前の対局が終わると、炊事当番の日は、二十人近い内弟子たちの料理も手伝い、時には使い走りの用事も受ける。

夜も晩飯づくりや風呂焚きなど、忙しく働き、寝床に着く頃には、へとへとになる。
 
勿論、その時間以外は、全て囲碁の修業にあてられた。

坊門が素晴らしいのは、兄弟子たちの実力もさることながら、棋譜や、詰碁といった、教材の豊富さだった。何せ、天下の名人道策が打った、門外不出の棋譜を、毎日並べて研究することができるのである。
 
この環境で、弥之吉と長之助はめきめきと実力をつけていった。二人は毎日朝から晩まで一緒にいて、何度も対局し、一緒に屋敷内の雑用をこなしていった。
 
色白で、自分の意志を伝えるのが上手くなく、弟子たちの中でも年少な長之助が、兄弟子にいじめられそうになると、途端に勝気な弥之吉が飛んできて、泡を食う勢いで、突っかかっていく。
 
長之助は、そんな弥之吉の元を離れることはなく、いつでも目で弥之吉を探していた。弥之吉にとっても、そんな長之助の姿が、日常の一服の清涼剤だった。
 
だが、そんな日々にも、暗い影が忍び寄ってきた。




本因坊道策には、卓越した技量を持つ五人の弟子がいた。以下の五人である
 
小川道的おがわどうてき本因坊道的ほんいんぼうどうてき
桑原道節くわばらどうせつ井上因碩いのうえいんせき
佐山策元さやまさくげん本因坊策元ほんいんぼうさくげん
星合八碩ほしあいはっせき
熊谷本碩くまがいほんせき

 
当初最も実力の優れた天才の道的が、15歳で跡目(次期当主)となった。二番手の実力者で、道的の23歳年上の道節は、坊門以外の家元の一つ、井上家の家督を継ぐことになる。
 
しかし、道的は21歳で夭逝。そのすぐ後に、四番手の実力者、八碩も23歳で夭逝する。そして、策元が再跡目に就任。これが、弥之吉たちが入門した時の状況であった。
 
しかし、運命は非情である。弥之吉たちが入門した三か月後、策元もまた、25歳で病没。そして、その僅か二か月後には、穏やかで、弥之吉の入門の試験碁を務めた本碩も、23歳で死去するのである。


貞享4年(1687年)11月
本因坊道策(黒)-本因坊道的(白)
黒一目勝(棋譜は中途迄)
師匠の道策に黒を持たせて
19歳の道的が一目まで追い詰めた名局
道的は、囲碁史上屈指の夭折の天才だった




最強の実力者、道策が手塩にかけて育てた五弟子は、こうして道節を除いて、皆、彗星の如く世を去ってしまった。
 
しかも、道節は既に井上家に行ってしまったのだから、跡目候補がいなくなってしまった。道策は策元の死が堪えたのか、跡目を決めることはなかった。

弥之吉達はこうした状況を、ただ見つつ、碁の修業を続けることしかできなかった。
 
(生まれてくるのが遅すぎたのだろうか)
 
時折弥之吉の頭にそんな言葉が浮かび、その度に必死に掻き消すのであった。




そんな暗いある日、弥之吉が朝、門の掃除をしていると
 
「おう、新入りかえ、殊勝なことだな」
 
と大きな声をかけられた。それは、井上門に行っていた当主の井上因碩(桑原道節)であった。その豪快な印象が、道策に似ていると弥之吉は感じた。実際、道策の一つ年下でもあった。
 
道策の要請によって、因碩は度々坊門に出稽古に来てくれることになった。

その明るく、親分肌の性格が、暗い話題続きだった坊門を明るくしていく。弥之吉や長之助も因碩に懐き、何度も対局するのだった。




2-3


それから二年が経った。

弥之吉は、生来の機敏さと頭の回転の速さを買われ、あらゆる雑用を任せられるようになった。
 
14歳と年少ながら、坊門出入りの商人や市場の商店と昵懇になり、値切り交渉や、仕入れの見極めを一身に任され、坊門の衣食住を充実させていた。その力量は、誰もが認める所だった。
 
しかし、碁の方はというと、二段には昇進したものの伸び悩んでいた。長之助が弟子たちの中でも出色の力で勝ち始めていたのとは対照的に、実力の差が段々と付き始めていた。
 
力碁一辺倒から脱却できないのである。

普段の生活では、冷静にものの良し悪しを判断できるのに、碁盤に向き合うと、どうしても抑制が利かなくなることが多くなった。自分が上手くいかない焦りと苛立ちを覚えるようになっていた。




道策は、そんな弥之吉を度々呼んで、部屋に出入りを許して掃除をさせたり、出かける時のお供をさせたりした。道策は彼にしばしばこんな言葉をかけた。
 
「そなたは、碁打ちにしては有能じゃのう」
「それは誉め言葉ではなく、戒めでございますね」
 
道策はにやりと笑って頷く。
 
「それ、そういうところよ。坊門にとっては有難いが、そなたはそう思ってなかろう」
 
道策は、こちらの全てを見抜いている、と思った。その鋭さと同時に、師の暖かみも覚え、感謝した。

そして、雑用の処理ばかりが上手くなって、自分の実力が上がらないこの状況に、苛立ちも募るのだった。




道策の元を出入りすることに、兄弟子の中には、嫉妬する声も上がったが、弥之吉の働きぶりと、「時折、石見の言葉を聞きたいのじゃ」という道策の言葉で、すぐに治まった。
 
しかし、弥之吉は、その言葉とは別の理由を感じていた。
 
そもそも、江戸生活も長くなり、弥之吉は国の訛りの言葉を話せなくなったし、道策は二人でいる時、それを聞きたがることは一度もなかった。
 
ある時、弥之吉が、何気なく兄弟子たちとの碁の話をしていると、道策が尋ねた。
 
「ところで、長之助はどうしている?」
 
その何気ない聞き方に弥之吉は、はっとなった。それ以来、道策が長之助について語る時に注意を向けるようになった。
 
道策は弟子たちの状況をよく把握して、親しみを込めて、あの者はここが駄目だの、あれが悪いだの、容赦ない口調で、遠慮なく論評する。

だが、長之助だけは、殆ど無関心と言えるほどそっけない口調で、しかも、殆ど言及しない。長之助の実力からすれば不自然だった。
 
道策は、覚られないようにしているが、長之助を気にかけている。というよりも・・・
 
長之助を、本因坊の跡目にしたいのだ
 
弥之吉は確信した。確かに、あの長之助の才能は、跡目の器にふさわしい。だが、道策は二人も跡目を失い、それを言い出せずにいるのだ。




弥之吉は折に触れて、何気ないさまで、長之助の暮らしの様子や、健康面、碁の実力についての情報を織り交ぜて話すようになった。すると、ますます道策に頻繁に雑用で呼ばれるようになった。
 
そして、あたかも何も気にしていないかの様子で、長之助の様子の報告に耳を傾ける。弥之吉と道策の間で、そんな言外の意味を込めたやりとりが繰り広げられることになった。




しかし、長之助は、まだ12歳である。そして、今の坊門には、策元と本碩亡き後、由良ゆら因出いんしゅつという実力者もいた。年齢も22歳と、跡目には申し分ない。そして、本人にも、本因坊の跡目になるという野心がその言動の端々から透けて見えた。
 
長之助か、因出か。この争いに、巻き込まれていくのだろう。弥之吉は思った。

もしそうだとしたら、自分は長之助が跡目になるよう、全力を尽くす。そして、自分がその蚊帳の外であることに、一抹の悔しさを覚えるのだった。



 (続)



※次回 第3話 鎖の遺言


※この文章は、架空の人物・作品・地名・歴史と現実を組み合わせたフィクションです。

【参考文献】
・『日本囲碁大系 第三巻』(筑摩書房)
・『日本囲碁大系 第四巻』(筑摩書房)
・『日本囲碁大系 第五巻』(筑摩書房)
・『元禄三名人打碁集』 福井正明著
(誠文堂新光社)
・『物語り 囲碁英雄伝』田村竜騎兵著
(マイナビ囲碁文庫)
・『坐隠談叢』安藤豊次著
(關西圍碁會 青木嵩山堂)
・『道策全集』藤原七司著(圓角社)




今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回の作品・エッセイでまたお会いしましょう。


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