わかりづらいことの価値
皆さんおはようございます!
井の中の蛙かと思ったら、#の中の蛙でした。
ハッシュタグでした。織田です。
今日は最近思ったことをだらだら書くので、穴多いかもしれません笑
7月にKOBEワカモノ起業コミュニティの第一回イベントをして
「あのイベントで自分のアイデアを人に話して、そこからそれを作ってみようと思った」
となり、10月11日のイベントに来てくれたり、
5年前にスタカフェで相談に乗った子が、今年神戸でKOBEワカモノ相談を使ってくれたり、
アメリアスの女性起業家イベントの後、仲間とブラッシュアップの機会としてKOBEワカモノを使ってくれたり、
学生さんが主体的に本当にたくさんのイベントを企画してくれていたり、(神戸市の事業内外問わず)
ちらほらと、つい微笑んでしまうエピソードがたくさん生まれてきていて、
現場っていいなーってなっています。
同時に、起業支援者同士でも、
・大学さんに出張で起業相談や授業行かせてもらったり
・金融公庫さんの高校生ビジネスプラングランプリのアプリアイデアに落とし込んだ高校生向けにノーコードアプリを伝えるイベント
・高校訪問させてもらったり、エンジニア、女性、あるジャンルの取り組みを相互で情報を行き来交換させたり、
委託事業者であるWさんtalikiさんが本当に色んなつながりを作ってくれています。
■わかりづらいことに価値があるけど、価値を見せづらいのがもどかしい
ここで、よく思うのは、上記は定性的なエピソードだから、情は動いても、客観視や比較があまりできない。
そして上記を生んでいるのは、現場的だったり、地道な、人のところに訪問して聞いて、考えて繋いで、
といったすごく地道なことの繰り返し、でもそれらは報告書にも入りづらいけどすごく価値があるということ。
「わかりづらいことに価値があることが多いけど、見えづらい」ということ。
逆に例えば、「プログラム」ってわかりやすい。
明確に、この期間にこれだけ伸びた、とわかるから!
でもわかりやすいものは、お金になる可能性が高く、
であれば、民間がやるべきであり、プレイヤーがいるなら、行政が民業圧迫はしない方が良いと思っています。
(プレイヤーがいないなら可視化するか、行政が最初の灯の火付け役だけする)
でも行政は政治家と共にあると、政治家は市民に分かりやすく説明して、支持を得る必要がある。
結果、行政もわかりやすいことをしようとすることが多い中、
でも本当は行政は民がしない、できないことをすべき、と良く思います。
ただ、これは実は行政に限らず、民間も同じかもですね!
わかりづらくても資金が回ったり、次の時代のものであるがゆえに、文化にして届けて、
わかりづらかったものが広がって、当たり前になったり、
そうやって、「わかりづらくても誰かがそれを信じてて、その信念が次の時代を作る」
というただそれだけなのかもと思うのと、
我々は「わかりづらいことも、もしそれを信じられるなら説明したり行動したりで抗い続けること」
なのかもですね!
抽象的ですみません!
今日も皆さん素敵な一日を~!^^