二等兵

1975年東京生まれ、都内某所にて事務員として勤務する会社員。 読書とアニメ鑑賞(ハイ…

二等兵

1975年東京生まれ、都内某所にて事務員として勤務する会社員。 読書とアニメ鑑賞(ハイキュー!!・呪術廻戦・SPYxFAMILYなど)が趣味。Neueではない方の銀英伝が今さら海外で評価されてると知り、「遅いじゃないかミッターマイヤー」と言いたくなる程度にはロイエンタールが好き。

最近の記事

259:右足の痛みと共に

2018年8月以来、私は右下肢の痺れ・痛みと共に生きている。 原因は未だに不明。 術後に発症しており、症例も少なく、私が入院していた病院では、初めての出来事だったらしい。 ■痛みは季節によって左右されない 人によっては、夏の方が楽だったり、冬の方が楽だったりとあるようだが、私の場合は痛くない日がないので、よく分からない。 薬で「耐えられないほどの痛みでも痺れでもない」という状態になっているだけだ。 私の場合は、大腿四頭筋の筋肉が落ちると痛みが強くなるので、季節というより

    • 258:美味しいご飯を食べていたいから

      二等兵は、赤子の頃からごはんをよく食べる子供だった。 母乳から離乳食になった時、顔じゅうで笑っている写真が残っているので、この食い意地は生来のものだろう。 すくすくぷくぷくと成長し、最大時は0.1トンを間近に見たほどの私であるが、手術時にこの巨体が邪魔をしたせいで、色々と難儀な思いをしたため、現在は5年かけて20kgを落としている。 ■人より小さい顎と口 歯医者さんに行くと、器具でこじ開けられて口裂け女のように唇の両端が切れることが多かった。 ただでさえ痛い治療なのに、唇

      • 257:見ない自由を行使する

        私の推し界隈が、チケットを巡ってなんとも騒がしい。 「真の〇〇にチケットが当たらないなんてー」とか、「関東在住の人しか当たってない! ソースは私の周囲!」とか、挙句の果てには「運営は抽選方法を再考すべき!」などと言い出している人もいるようで。 大変見苦しいポストが、結構な頻度でタイムラインに上がっていた。 ああもうめんどくさい。 ■ネガティブな感情は伝染する チケットは、そりゃ当たれば嬉しいし、外れたら悔しいし、悲しい。 「なんだよー!」って気持ちになるのも分かる。 転

        • 256:変わりゆく自分を楽しむ

          5回目の入院を終えて、変わったことが色々とあった。 まだ40代、現役世代ではあるけれど、若い頃とは違うんだということが身に染みて分かる。 ■脂っこいものが食べられぬ もう14年のお付き合いになる、かつて秘書としてつかせていただいたボスとの会食は、いつも楽しくて美味しい。 10月の下旬に、ボスやお姉さま方との会食予定が入っていたのだが、いかんせん二等兵は病み上がり。 脂っこいものは食べられないし、体力もそこまで戻り切らない状態では、楽しいものも楽しめない。 断腸の思いで、

        259:右足の痛みと共に

          255:看護師さんへの感謝

          入院中、とにかくお世話になったのが看護師さん。 看護師さんたちには、本当に感謝しかない。 ■その心遣いが嬉しい 出来る限り迷惑はかけないように、仕事を増やさないようにと思っていたけど、隔離部屋にいるとどうしたって看護師さんの手を煩わせてしまうことがある。 そのひとつが、「身体を拭く大判のタオルをもらう」こと。 お風呂に入れないので、せめて身体は拭きたい。 汗なんてかかないでしょと思われるかもしれないが、汗はかかなくても身体は気持ち悪かったりする。 でも、そのためには点滴

          255:看護師さんへの感謝

          254:最後の夜は地獄へと変わる

          たった3泊4日の入院でも、いろんなことが起きる。 必死になって流動食を食べ、「目指せ白米、目指せ完食!」(退院したい)とお粥と格闘してみたりもするわけだ。 ■3日目:退院確定と、眠れない問題 朝の診察で、「わたし元気でございます、ご飯も食べられてますし、明日退院でお願いします! ちゃんと通院しますからぁぁぁぁ!」と必死の訴えを見せたところ、あっさり退院確定した。 たぶん、10/10の時点で検査をしたら、間違いなくコロナは陰性になっていたと思う。 最初に点滴と痛み止めを入

          254:最後の夜は地獄へと変わる

          253:入院生活開始!

          救急搬送されて入院するのは2回目だが、隔離されたのは初めて。 部屋から出ることのできない毎日について書いていこうと思う。 ■初日:隔離部屋の夜 がらんとした隔離部屋は寒いくらいに空調が効いていて、ひとり放置されているのをいいことに、仕切りのカーテンすら閉めずに我が物顔で歩き回る。 左腕に点滴、心電図はついたまま。指先にはSPO2を測る機械(というかマジックテープ?)もついている。 正直、とても重たい。 利き手に点滴があると、力を入れた拍子に痛くなるので、看護師さんの手が

          253:入院生活開始!

          252:人生2度目の救急車からの入院

          10/8。 一向に良くなる気配のない胃痛に、意を決して「#7119」へ電話。 救急車を呼ぶべきかどうか、看護師さんとの会話を経て、人生2回目の救急車に乗ることとなった。 ■救急隊もびっくりするほど順調に搬送先が決まる 希望の搬送先は、今も通院している三次救急。 今までの入院・手術歴はすべてその病院なので、カルテが揃っていることが理由だ。 「受け入れしてくれるかどうかわかりませんが、まず聞いてみますね」と言われ、望みを掛けながら会話を聞いていたらあらびっくり。 即答でO

          252:人生2度目の救急車からの入院

          251:始まりはコロナから

          2024年にして初コロナに罹患した。 インフルエンザと同じ分類になったとはいえ、まったく種類の違う病状だったので、経過を記録しておこうと思う。 ■風邪だって言われたのにね 9/24、体調が悪いとかかりつけを受診した母が、コロナ陽性。 あらまあ大変、と他人事だった弟と二等兵、二人とも会社員なので手分けして母の看病というか、おこもりに必要なものを用意したり、家事をした。 9/27、弟と二等兵、発熱。体温は37.6℃がマックス。 9/28に仲良くかかりつけ医を受診して検査を受

          251:始まりはコロナから

          250:”次”を待ちわびながら

          いつもの友達と、今回のツアーを通じて知り合った同年代の知人とで、「ヨンマルツアーお疲れ会」を開催した。 ランチして、お茶をしばいてという「いつも」のルートだったけど、これがまた楽しかったのである。 共通言語がTMNETWORKであることはもちろんだが、同年代なので通ってきたルートがほぼ同じ。 とりあえずその時代の話はほぼ通じるので、話が弾みやすいというのもある。 ユニカビジョンに流れるCMを見るために移動して、STAND 3 FINALツアーの「DEVOTION」「hum

          250:”次”を待ちわびながら

          249:きょうだい

          5/31、温帯低気圧に変わった台風の置き土産が、雨風となって吹き付けていた日、私は最寄り駅の手前で電車を降りた。 時刻は20時を過ぎていて、目当てのものが残っているかどうかは分からないながらも、何とかコージーコーナーでケーキを購入し、急ぎ足で家路をたどった。 弟が20年勤めてきた会社が、今日で廃業するからだ。 盟友だった社長が急に他界し、残務整理までやりきった弟は、今日で退職となる。 インフルエンザとコロナに罹った時以外、弟が仕事を休んでいるのを見たことが無い。 18連勤

          249:きょうだい

          248:それはそれは誇らしく

          二等兵はしがないサラリーマンである。 なので、毎日満員電車に1時間以上揺られて、都会へ仕事に行く。 それは、YONMARUの有明後のことだ。 いつものように電車に乗り、始発駅に向かう。 いつも顔を合わせる男性が、ふと私のリュックに目を留めて立ち止まった。 彼の視線の先にあるのは、リュックにつけていた缶バッジ。 そしてファスナーで揺れているキーホルダーだ。 彼は何も言わずに、すっと自分のカバンのファスナーを指す。 そこにあったのは、私が持っているのと同じキーホルダー。 こ

          248:それはそれは誇らしく

          247:夢のあとにて

          2024年5月19日。 『40th FANKS intelligence Day40~YONMARU』をもって、TM NETWORKの40周年ツアーが終了した。 2022年9月3日のぴあアリーナから追いかけてきた1年8ヵ月と17日の旅が、ひとつの区切りを迎えた日。 Day8から集め始めたアクリルチャームとリボンバンドは、12本。 うち2本は友達のお土産で、実際に足を運んだのは10回のライブ。 金色の夢に包まれて過ごしてきたこの日々が、どれほど幸福だったのかを、 今噛み締めて

          247:夢のあとにて

          246:36年前、私たちはキャロルだった

          2024年4月20日・21日。 "40th FANKS intelligence Day35/36~YONMARU~"に参戦した。 DEVOTIONツアー、STAND 3 FINALツアーに続く、40周年最後のツアー。 初日を観終えてぼんやりと思ったことが、「ああここにいる人たちの多くが、36年前のキャロルたちなんだ」ということだった。 当時、ツアーに行っていた人もいるだろうし、私たちのように行けなかった人もいるだろう。 何故か、CAROLツアーはミュージカル仕立てのライ

          246:36年前、私たちはキャロルだった

          245:さて現実は?

          何度思い返してもうっとりとしてしまう、極上の夢から醒めれば、現実がどーんと待ち構えている。 人生なんてそんなもので、たまに素敵な夢が見られれば上等というやつだ。 仕事に行き、私が不在にしていたわずか3日間で起きた出来事を聞いて、頭を抱える。 私が3月末でこの場所を去ることは、2月初頭には伝えていたはずなのに、後任さえ決まっていない。 去っていく人間に残してもらうものは、やりかけの新たなタスクではなくノウハウだと何度も言ってきたが、どうやらそんなものは聞こえてもいなければ見

          245:さて現実は?

          244:立川で見た極上の夢

            2024/3/7・8。 TM NETWORKのライブ、『40th FANKS intelligence Day33/Day34 ~STAND 3 FINAL~』の日。 友達と行った初めてのライブは、Day8だった。 ぴあアリーナで見た、初めてのTM NETWORK。 34年越しの夢がかなった日は、セトリなんて覚えていないくらい泣いた。 そしてDEVOTIONツアーを聖地・府中と東京国際フォーラム2Daysで参戦。 そしてSTAND 3 FINALツアーは、ウツと木根さ

          244:立川で見た極上の夢