世界は積読に溢れている 3

 辞典や辞書が開かれないまま埃をかぶっていようとも、それを積読とは言わない。
 世の中には辞典を通読する方がいらっしゃると聞きますが、自分にはその癖はなくて、せっかく文字にして残しておいてくれているのだから、必要な時だけ開いて必要な部分だけ読めばいいのでは、という穏当な「使い方」をしている。
 そういう人の方がきっと多いだろうし、それに「ネットで検索」がここまで普及すると、もはや紙の辞典に多くの出番はないだろう。
 そんなわけで、読まれていない部分の方が圧倒的に多い辞典辞書が、日本中世界中の本棚の片隅で埃をかぶっているのでしょう。
 そして思う。辞典を頭から一行ずつ読む人々にとっては、これはある意味積読だなと。
 ところで実は自分にも、積読している辞典が一冊だけある。
 頭から全部とはいかないけれど、たまに棚から出してきては、当てずっぽうで開いたページを拾い読みする辞典。読了する日は来ない気がする。
 机の上に鎮座すると、なかなかの威容を誇る2,094ページの大部。いま量ってみたのだけれど、重量が3.4キロあった。
 『字通』。漢字研究の巨人、白川静著の漢和辞典だ。
 買ったからとて、自分の名前の漢字を引いて終わるのでは、と予感しながらも、どうしても欲しくて何年も迷い続けて、何かの折のご祝儀に思い切って手に入れた分不相応な辞典である。
 机の上にどんと置いて、そっとページを開くときには、なんだか厳かな気持ちになる。ページを開いたままの姿に安定感があって、「ザ・書物」って感じがする。正直に言って、持っているだけで嬉しい。
 『字通』で調べ物はしない。読む。でも全部は無理。
 やっぱり世界は積読に溢れている。

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