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ゾマーさんのこと パトリック・ジュースキント

#海外文学のススメ  ゾマーさんはいつも歩いている。難しい顔をして、脇目も振らず、肩を越すほど長いステッキを推進力にして、猛烈なスピードで歩いている。  ぼくが木登りをしたり、女の子に恋をしたり、いやいやピアノを習ったりしている間、上機嫌で自転車に乗ったりしている間にも、ゾマーさんは黙ってずっと歩いている。  あまりにいつも歩いているものだから、その姿を目にしても、誰もそれを話題にしたりしない。「ほら、ゾマーさんが歩いて行くよ」なんて、あえて言うようなことではないのだ。  

    • 西洋哲学を日本語で

       目的もなく書店をふらふらしていて、2冊の面白そうな本に出会った。片方はいつも読む作家の小説で、もう一方は聞いたことのない人が書いた知らない哲学者についての哲学書。  2冊とも買って帰るもありだけど、その時は1冊だけにしようと思う。同じくらい興味を惹かれる。迷う。  よくある状況だけど、こんなときは必ず知らない人の本を選ぶことにしている。  すでに知っていてよく憶えている作家には、こちらからまた会いに行けるけど、知らない人の知らない本はすぐに忘れてしまう可能性が高い。そしたら

      • カラスを信じている。

         公道で車を運転していると、たまに不思議な気持ちになることがある。  赤信号では停止する、急ハンドルを切って他者の進行を妨げたりしない、車線に沿って左側を進行する、バカみたいな猛スピードでこっちに突っ込んできたりしない、歩行者はむやみやたらに車道に出てきたりしない。  当たり前の交通ルールを、通行者みんなが当たり前に守って行動するものだ、ということを、お互いにある程度は信じ合っている。だから車は時速何十キロとかいうスピードでビュンビュン走れるし、歩行者はそのすぐ横を平気な顔を

        • 「この道」 古井由吉

           講談社文庫の古井由吉連作小説集、「この道」の表紙を開いた。  開いたのは表紙であって、内容に到達してはいない。  書店でたまたま見かけて手に取ったのだけれど、講談社文庫なので本はフィルムに包まれている。背表紙と帯の文言だけ読んで、中身がどんなものか確認しないまま買って帰ってきた。  古井由吉、ずっと前に読んだことがある。なんだか端正で静かだった印象だな。帯にも「精緻に」って書いてあるし。きっと好みの文章だ。と、そう思ったのだった。  小説の筋など何も頭に残っていなくて、た

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        ゾマーさんのこと パトリック・ジュースキント

          「ドクロ」 ジョン・クラッセン

           凛々しい女の子と体を恐れるドクロ、それと頭を欲しがるガイコツの物語。  原書と邦訳、両方を同時に手に入れた。  オティラはとうとう逃げた。  Otilla finally ran away.  1ページ目、オティラはとうとう逃げ出す。それはみんなが寝静まった真夜中のこと。  だれ?何から?どうして?  ”とうとう”と言うほどの長い間どこにいた?  前置きは一切ない。  雪が降り、積もっている。足跡が、壊れた柵を越えて木々の間へ続く。  タイトルページ。灰青の雪が降りし

          「ドクロ」 ジョン・クラッセン

          桜は桜、人は人

           午前5時40分。ふと思い立ち、時計の電池を入れ替えた。  両の手のひらにすっぽり収まる卵型の白い時計。下部に重りが入っていて、起き上がり小法師のように揺れる。真っ白いゆで卵だった外観は、経年劣化で薄い味付け卵みたいになっている。高価なものではない。ただなんとなく愛着があり、捨てられない。  針が止まっているのを知っていて、ずっと放置していた。毎日目をやる所に置いておきながら、たぶん、2、3年は動いていなかった。  電池を入れ替えても動かなかったらどうしよう。実は電池切れでは

          桜は桜、人は人

          世界は積読に溢れている 10

           でも、本が並んでいるのを見るだけで心は動く。  本なんて興味のない人の目には、文字ばかりが詰め込まれた、何の面白みもないものに映るのだろう。全部同じように見えているのかもしれない。  しかも読まないのに買って積んどくとか、まじ意味わからんですよね。  積読する人の自意識は若干ややこしくて、どれだけ積んでも、別にコレクションしているつもりはない。ものごとはなんでも過剰なだけで心に響きがちと思うけど、集めて並べて眺めるだけで幸せなコレクションとは、心持ちがちょっと異なっている

          世界は積読に溢れている 10

          世界は積読に溢れている 9

           前回は読んだ本について書いてしまいました。今回こそ積読している本について書こうと思います。  村上春樹著、『街とその不確かな壁』を、発売以来1年間、机の上に乗せたままにして、いつか開く日を待っています。  『1Q84』あたりから始まった村上春樹著作限定の、能動的に積読するルーティーンなのですが。  新作長編が出れば、必ず発売日に書店に行って買う。そして読まないまま常に見えるところに置き、年単位で熟成する。たまに手に取って埃を払うが、まだ読まない。そして丁度良い期間を経て、

          世界は積読に溢れている 9

          世界は積読に溢れている 8

           読んだ本についてさえ、語るのは難しい。  全部が理解できるわけでもなく、記憶は曖昧になり、生まれた感情は掴む間もなく消えていく。  そもそも結論を求めて読んでいるわけでもない。読んでいる過程が好きなのだ。  とは言え、後から思い返して考える。一通り読んだけど、これは読んだと言えるのか?ちょっと頼りない気持ちになる。  そんな気弱な読者を勇気付ける一冊がある。これがベストセラーということは、多くの人が読書についてなんかモヤモヤしているのだろう。  ピエール・バイヤール著、『

          世界は積読に溢れている 8

          世界は積読に溢れている 7

           アメリカはニューヨークに「ストランドブックストア」という、新刊と古書の両方を扱う有名老舗書店があり、これはそこのオリジナルトートバッグです。  残念ながら、行ったことあるわけじゃなくて、誰かのお土産というわけでもなく、ネットで見かけて衝動買いです。  書かれている文言に深く頷いて、ずっと部屋に飾っています。  「18 MILES OF BOOKS」が書店のキャッチフレーズだそうで、18マイルって何キロだっけ。29キロメートル弱。並べたらその距離になるくらいの在庫あります、

          世界は積読に溢れている 7

          世界は積読に溢れている 6

           世界は積読を隠している。  書物が堆く積まれていてこその積読ではないでしょうか。そうじゃないと感じが出ない。  しかし21世紀になり、普段は遠くにいて、呼べば手のひらサイズで現れる書籍が登場して、積読の概念が揺らいでいる。個人的に。  電子書籍というものがある。場所をとらないし、出先でもすぐに読めるし、とても便利だ。  購入も指先だけで終了するから、セールの時とかにどんどん買って、読めないまま放置して、そして溜まった未読のタイトルの羅列に、戦々恐々としている人も多いかもし

          世界は積読に溢れている 6

          世界は積読に溢れている 5

           先日ひどく体調を崩して、内科にお世話になった。  そこは初めて行く近所の町医者で、表通りから一本入った少し分かりにくい所にあった。玄関ドアは普通の民家のような木製で、それを開けると土間があり、上がり框で靴を脱ぐ作りになっていた。  スリッパに履き替え、受付で保険証を出して、問診票を書いたところで一旦力尽き、ふらふらと待合室の椅子に座り込んで目を閉じた。  しんどいということしか考えられなかった。  しばらくして名前を呼ばれ、一通り診察を受けて待合室に戻ってくる頃になってよう

          世界は積読に溢れている 5

          世界は積読に溢れている 4

           いつの間に夏休みがすぐ隣に近寄ってきた。  書店では夏の文庫フェアが始まっている。各社色とりどりに並べられた文庫の列を見るのも、夏休みの楽しみのひとつで、毎年必ず何冊かは買ってしまう。  文庫フェアで買うなら未読のものにするという個人的決まりごとがある。しかしラインナップは毎年、過去の名作が大きな割合を占めている。つまり読んだことのない本は少しずつ減ってくる。  時間ばかりはたくさんあった学生時代には、書店の文庫フェアコーナーの平積みの山や棚差しの枠を一列ずつ見て、一区切り

          世界は積読に溢れている 4

          世界は積読に溢れている 3

           辞典や辞書が開かれないまま埃をかぶっていようとも、それを積読とは言わない。  世の中には辞典を通読する方がいらっしゃると聞きますが、自分にはその癖はなくて、せっかく文字にして残しておいてくれているのだから、必要な時だけ開いて必要な部分だけ読めばいいのでは、という穏当な「使い方」をしている。  そういう人の方がきっと多いだろうし、それに「ネットで検索」がここまで普及すると、もはや紙の辞典に多くの出番はないだろう。  そんなわけで、読まれていない部分の方が圧倒的に多い辞典辞書が

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          世界は積読に溢れている 2

           たくさんの本に囲まれると、軽く我を失うことがある。  大型書店や図書館などで、書架に並ぶ膨大な数の本の渦中に立ち尽くし、その中で既読の本など砂漠の中の一粒の砂に過ぎず、こんなにも読んだことのない本があってどうしたらいいのだろう…と眩暈を覚え途方に暮れる。  どうしたらいいのだろうも何も、そもそもお前はこれを全部読むつもりなのかと、心の片隅で冷静な自分は言っている。しかし常日頃、なるべく多く本を読みたいなどと考えている人間は、圧倒的な物量に簡単に呑み込まれてしまうのだ。  な

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          世界は積読に溢れている

           積読はしない派だった。というかできなかった。買った本借りた本は、我慢できなくてすぐ読んだ。  わかってもわからなくても、面白くてもそうでもなくても、あまり関係ないことのようだった。飢えている時は何でもおいしい。  次読む本が手元にないと落ち着かない派でもあったので、近い日に読む本として何冊かの未読の本が部屋の中に常にあった。もちろん鞄の中には、読んでいる本と次に読む本が入っていた。  図書館で借りたり、古書店で売ってしまったり、手元に残っていないほうが数多い。それでも自宅の

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