世界は積読に溢れている 8
読んだ本についてさえ、語るのは難しい。
全部が理解できるわけでもなく、記憶は曖昧になり、生まれた感情は掴む間もなく消えていく。
そもそも結論を求めて読んでいるわけでもない。読んでいる過程が好きなのだ。
とは言え、後から思い返して考える。一通り読んだけど、これは読んだと言えるのか?ちょっと頼りない気持ちになる。
そんな気弱な読者を勇気付ける一冊がある。これがベストセラーということは、多くの人が読書についてなんかモヤモヤしているのだろう。
ピエール・バイヤール著、『読んでいない本について堂々と語る方法』。
本を読むという行為と、読まないという選択も、肯定されているような気になる。
蔵書を一冊も読まない図書館司書とか、重要な書物を読んでいない学者とかの例を駆使して、本を読むこと読まないことについて語りつくしてくれる。苦沙味先生と猫も出てくる。
タイトルの通り、本について語るには、なんなら読まない方がいいくらいだという、なかなかアバンギャルドな主張が繰り広げられるのだけれど、なんだかとても腑に落ちる。
でもこれは学問を究めた大学教授の説なので、自分のようななんの学識もない読者が間に受けるのは危険だなとも思った。
読まずして本の性質を正しく把握し、膨大な本の中で一冊の本の位置を見極めるなんて、かなりむずかしい。
一般読者の身としては、一行一行、愚直にことに当たるのがいいだろうな。それが楽しみなのだし、性にも身の丈にも合っている。学者と違って、語る必要もないのだから。
この本をもちろん読んだのだが、全ページ付箋貼りたいくらいおもしろかった、という感想以外に、自分の中に確とした何かが残ったかといえばそれは怪しい。一行一行、読んだんですけどね。
著者は「われわれが書物ととり結ぶ関係」は、「切れぎれの思い出がつきまとう漠とした空間」だと言う。これには腹の底から合点した。ほんと、思い出ばかりが増えていく。
もう色々たくさん引っ張ってきたい気持ちをぐっと抑えて、著者が引用しているポール・ヴァレリーの文章を孫引きしておきます。「本に入れ込みすぎて自分を見失った人間」について、否定的に語ったもののようです。
じつをいうと、諸君、私には、世の中でつぎつぎと溜め込まれていく厖大な量の書物に思いを馳せただけで、人がどのようにして意気を挫かれないでいられるか分かりません。革表紙と金文字が並ぶ広大な図書館の壁を眺めることほど、目をくらませる、心を動揺させる経験があるでしょうか。
世界は積読に溢れている。
その中で溺れないようにしたいけど、溺れたら溺れたで本望かもしれない。残るのが思い出だけだとして、それも悪くはない。