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物語は自分を写す。小説『あの日、君は何をした』

かの話題のマンガが、先週完結した。こんだけ盛り上げといてそのオチ〜!?とは思いつつ、終盤ずっとそういう空気感だったしな…と受け入れられた。

昔、伏線を全て回収して大団円で終わったマンガがあった。「お前の人生半分くれ」のプロポーズが有名。わたしも大好きな最終回なのだけど、当時ネットでは、どんでん返しがなく予定調和だったなどと言われていたのを覚えている。

注目の的であるほど、何かしら言われるものなんだろうなと思った。

わからないままおわる

こんな終わりは嫌だと思う物語は、やっぱりある。最近『あの日、君は何をした』という小説を読んだ。


謎が深まって解けていくのが面白くて、止まらなくて、夜更かししてまで読了したのに。
面白かったけど、どうも納得いかない点がある。

考えさせられるとか言って、適当な感想で済ませたくもあるが、本当に考えているのなら、何か言うのが礼儀じゃないか。にわかに受け入れ難くても良し、ぐちゃぐちゃでも良し。それを言語化することに意味があると思う。

アンパンマンだって、「わからないままおわる」「こたえられないなんて」「そんなのは いやだ!」って乳幼児に説いている。

だから、我が正義のために、あの日、わたしは夜なべした。


登場するお母さんは、全員歪んでいるか、不完全。
当たり前だ。子を産んだからとて、急に違う人にはなれないのだから。問題を抱えながらも、自分なりに生きて、守り、与え、少しずつ変わっていくものなんだと思う。良い方にも、悪い方にも。

自分以外の人生を背負うのは重いから、依存的、盲目的になり、他人に迷惑をかけ、奪うこともあるかもしれない。羞恥や苦しみから逃れるため、認知を歪ませることもあるだろう。
そうなってしまったら仕方ない。自分だって、正気を保てるかわからない。

だけど、物語とはいえども、想いは叶ってほしくなかった。美談になってしまうから。これがまかり通っちゃうから。救いの描写なんていらなかった。

というわけでわたしは納得いかなかったのだが、
レビューで、他の方が「救いがなくて辛かった」と書いていて、冷静になった。
ほう、そもそも、救い、なかったのか。読む人によって、捉え方ってほんとに違うんだな。


そんなのは いやだ!

物語が理想通りに決着しなかったとき、つまんないと一蹴するのは簡単。タイパも良い。みんなでパパッと盛り上がるのも楽しい。

だけど、鳴かぬなら 育ててみよう ホトトギス。

なぜ、そう感じるのか?期待とどう違う?
なぜ、そう読んだのか?自分の思考のクセ?それとも、自分の価値判断の物差しが社会通念とズレているのか?ズレなら、どのくらい?
そもそも作品のテーマは?

考察して、理想とのギャップを埋めていくのが楽しい。わたしはこういう時間も含めて、物語が好き。

会社では、ビジネス書の方が有用視されがちに思うが、小説も同じくらい、インプットとアウトプットに適した書物だと思う。


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