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読書感想文:『自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学』しんめいP

『自分とか、ないから。』、私は2回読んだ。
というのも自分の価値観と相性が悪かったこと、読みやすすぎてスイスイ読み進めすぎたこと、そこまで自分が追い詰められていないこと、が重なって、1回では自分の血肉にできていないと感じたからである。
実際に「無我」を感じることができたのは、まさかのジャズクラブであった。

「自分とか、あるから」精神

そもそも、私とこの本の「自分はない」という思想は相性が悪い。
”I need to be myself, I can't be no one else"というフレーズでおなじみのoasisというバンドに長年はまっているからだ。
説明は端折るが、人格が形成される中学生の時からはまっていた私は「自分を持つことが大事!自分がない奴は蹴とばしてやるぜ!」くらいに「自分」や「個」というものを大事にしている。

そんな私が「自分とか、ないから」と言われても、それをすんなり認めてしまったら自分の価値観を否定することになるので抵抗感があるはずだ。
そのせいで無意識的に理解することを拒否してしまったのかもしれない。

私的一番はやっぱりブッダ

「自分」を大事にする私でも、本を読んで頭で理解することはできる。
私の一番を選ぶとしたらやはりブッダだろう。

ブッダの章では下記の文章が印象的だった。

宇宙規模の関係性のなかで、「思考」がわきあがってはきえていく。
「思考」さえ、自然現象のようなものである。
「思考」だけではなく感情も同じである。

「よっしゃ!いまから嬉しい気持ちになるぞ!」

(中略)

こんなふうに感情をつくりだしつづけている人がいたら、こわすぎる。
感情も「わきあがってきている」のだ。

身体も心も、宇宙規模のつながりのなかで、たまたまいまこうなっているだけ。

『自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学』しんめいP(サンクチュアリ出版)

つまり、感情も「自分」が作り出しているのではなく、どこかから、自然と、わきあがっているものなので「自分」とはいえない、というわけだ。

確かに以前、メンタルを保つ方法として「感情を『私、○○と思っているな~』と他人事のように描写しろ」というのを先輩から教わった。
例えばクライアントとのmtgの前に緊張していたら「私、今日緊張してるな~」と描写するのだ。

この先輩の教えも、直接的にではないがブッダに通ずるものがあると感じた。
他人事として描写することによって、感情から距離をとることができる。
感情は自分が作り出すものではなくて、わきあがってくるもの。
わきあがるのであれば、距離をとって自分でなくしてしまえばよい、という考えだ。

そのようなリンクもあって、ブッダの教えは共感できるし、自分も救われるような気がした。
他にも龍樹の「フィクション」の話なども自分にとっては新しい世界の見方でとても面白かったが、本題に入れないので次に進む。

BLUE NOTE TOKYO で感じた「無我」

この本には、著者しんめいPが普段の生活の中でその哲学を感じる瞬間も紹介されている。
だが共感できるものは正直少なかった。
ある日、『自分とか、ないから。』を2回読み終わったころ、「BLUE NOTE TOKYO」というジャズクラブに出かけた。
思いがけず、そこで「無我」らしき瞬間を経験することになる。

BLUE NOTEではその日、MONGOL800のキヨサクさんと、ジャズピアニストの大林武司さんがコラボしたライブが行われていた。
細かい感想は端折るが、音楽は人並みの理解の私でも、「ピアノだけで、歌に出てくる2人の幸せなエピローグを見ているようだ」とか「沖縄のうつりゆく空が見えた気がする」と感じるなど、素敵な時間を過ごした。
(脱線するが料理もめちゃくちゃおいしいのでぜひ食べてみてほしい)

名曲「小さな恋のうた」でキヨサクさんのリードのもと、音楽に合わせてゆっくり手を振った。
若干内気な私は音楽に合わせて体を動かすことになんとなく気恥ずかしさを感じてしまうので、手を振るときは「よし!手を振るぞ!」と思って振り始める。
無我の真逆である。

しかし1回手を振り始めたらどうだろう。
振り始めた手はとまらない。
誰がこの手を振っているのだろう。
自分が音楽に溶けていく感覚だった。

まさかこれが「無我」か?と思った。
自分が手を振っているのではなく、音楽に手を振らされている感覚。
その音楽も、自分が溶けているものだから音楽も自分である感覚。

ちょっと違うのかもしれないけど、私なりの「無我」はこれだ!と思った。

BLUE NOTE での思わぬ「無我」実感で『自分とか、ないから。』を自分の血肉にできた。
確かに今まで参戦したライブも、気づいていないだけで「無我」になる瞬間があったのだろう。
仕事中にいつのまにか音楽に夢中になって勝手に部屋をうろうろしているのも無我だろうか。

2月はFontaines D.C.、3月はjo0ji、4月はBialystocks、10月はoasisとライブに行くことになっているので、また「無我」になって音楽とひとつになるのが楽しみだ。


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