仏壇に供えた花の水替えをしていた母の手がはたと止まる。
一輪の菊の花、ハサミで伐ったその断面から根が生えてきたという。
生けられてから七日ほど経っていたので、大方の花は枯れていたし、残りの幾本かもまだ花の形をかろうじて保つばかりだったのだが、この菊の花だけはひとり、小さいながらもなかなか立派な根っこを生やしていた。
後日、祖母と母とが話しているとき、またこの菊の話題になった。
―― 何十年と花を供えてきたけど、根っこが生えてきたのなんて初めてよ、しかも、普通の仏壇用の菊で。
―― ほう
―― で、根が出ちゃうと捨てるにも捨てられないでしょう。
―― ンだな。そうなんだそうなんだ。捨てンのもナ。
私はその時運転席でハンドルを握りながら信号待ちをしていたのだけど、親子で交わされる他愛ないこんな会話を聞きながら、生まれてこのかた私がいつの間に身に付けていた考え方というか死生観(世界観)に妙に納得がいって、静かに深く、うんうんと頷いた。
その菊の花は、これまた植物好きの父が母の頼みに同意して、庭のどこかに植えたらしい。
それでこの数日はその菊の在処はどこかと注意深く探しているのだが、落ち葉ばかりが目につくばかりで全く見つけることができない。
寒気で枯れてしまったか、或いは落ち葉の温かさに守られて忘れた頃にまた咲くこともあり得るな。
そうしたらまた、この菊のことが私たちの会話にのぼるだろう。
そのような日が来ようが来まいが、忘れておく楽しみがあるというのもいいなと思う秋である。
※写真は庭のシュウメイギクの葉。
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