読書感想文(171)俵万智『恋する伊勢物語』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回は俵万智さんの著作です。
歌集は『サラダ記念日』しか読んだことがありませんが、『短歌をよむ』という新書もとても面白く、私の短歌観(などと言えるほどのものではありませんが)に影響を与えています。

そんな俵万智さんが最も有名な『伊勢物語』の解説書(?)を書いていると知り、以前から読まなければと思っていました。
先日本屋さんで見つけたので、今回手にとってみました。

感想

とても面白かったです。
あとがきで書かれていましたが、学校の授業がこんなだったらいいのにと思う一方、受験を念頭に置くと、「つまらない」文法も勉強しなければならないんですよね。難しいところです。

今回、まず気になったのが有名な「芥川」の段の話です。
「かれは何ぞ」と白露を指して女が言いますが、追手から逃げている途中なら男は「追手が来たのか!?」と思うのは確かに自然なのかなと思いました。
これまで気がつかなかったのは、人に対して「何」を使うイメージがなかったからでしょうか。

この本を読んでいると、昔も今も変わらないなぁと思わされるところが多く取り上げられていたように思います。
例えば、『古今集』にも載っている有名な「恋せじと御手洗川にせし禊神は受けずもなりにけるかな」という歌は

「神さまにさえ消すことのできないこのボクの恋の炎――それを、他の誰が消すことができるだろう。もちろんボク自身にだって、消せなくてあたりまえさ。仕方ないよ」

P135,136

と訳されています。
これを見た時、私はAqua Timezの「千の夜をこえて」を思い出しました。

あなたが僕を愛しているか
愛していないか
そんなことはもうどっちでもいいんだ
どんなに願い望もうが
この世界には変えられぬものが
沢山あるだろう
そうそして僕があなたを
愛しているという事実だけは
誰にも変えられぬ真実だから

恋というものは神にさえ干渉できないもの……などと大袈裟に言うつもりはありませんが、やめようと思ってやめられるものではないよなぁと思います。

その他、気になった話は細々と色々ありました。
俵万智さんが片桐洋一先生と鉄心斎文庫のコレクション展に行った話(片桐洋一先生は国文学を学んだ者にとってレジェンド級の研究者)、鉄心斎文庫の『伊勢物語』版本が恋愛のきっかけとなった話、落語「千早振る」では百人一首で有名な「ちは」の歌が「千早さんに振られて神代さんを口説いても聞いてもらえなかった龍田川さんが豆腐を作っていて、そこに千早さんが「おからを下さい」と来たけどくれないから井戸に身を投げて死んでしまった、千早さんの本名は「とは」という名だった」という解釈になっているという話、第八十七段では場を盛り下げるような発言する人が出てくるけど今もそういう人っているよな〜(夏休みに遊んでいたら宿題の話をするとか)とか、「蝉しぐれ」「風花」とか美しい日本語ってあるよなぁとか、第百五段では「あなたのことが好きすぎて死にそ〜〜会いたい〜〜」という男に対して「死にそうなら死ねば?」という意を含めた歌を返す女の人の話とか、

とにかく色んな話があって書ききれないのですが、ひとまず思いついたのはこんなところです。
いつか『伊勢物語』を紹介する機会があったら、この本を参考にしたいと思います。

あ、あとそういえば、俵万智さんが初めて『伊勢物語』を読んだのが高校生の頃だったという話がありましたが、私も高校生の頃に初めて読んだので、一緒だな〜と思いました。
私にとって『伊勢物語』は初めて通読した古典文学でもあります。その後、『竹取物語』『土佐日記』『和泉式部日記』などを読みました。
『伊勢物語』を読んだきっかかは授業で習った「筒井筒」だったと思います。
やはり恋愛というのは興味を惹かれるのですね。

おわりに

今回読んでいて、俵万智さんの本を他にももっと読みたいなと思いました。
第二歌集『かぜのてのひら』も気になりますし、チョコレート好きとしては第三歌集『チョコレート革命』も気になります。
また機会があれば読みたいです。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


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