それでも、それなりに
どうもシーオッタです
寒さも急に増してきましたね
暖かい布団を出してこたつも準備しました🐥
冬到来に備えます☃️
少し前の話ですが誕生日でした🎂
毎年この日(誕生日)が来ると
当日の夜中涙が止まらなくなり眠れないです
かれこれ8年くらい
毎年のお決まりになりつつあります
最近は個人的に楽しい時間が過ごせています✨️
楽しい時も もちろん嫌な時も
それなりに受け流せたり
感情のコントロールが上手く出来てる気がしてて
嬉しいです
パジャマや下着も新調したりと
気持ちはワクワクで一杯な今日このごろです
ここ数年自分はこのままでいいのかなと
漠然的な不安を感じつつ
でも年々今の私が好きだなと思えたり
(元々は自分をいじめてしまい好きになれませんでした)
私は自分の誕生日が好きではありませんでした
(今は夫のおかげで美味しいものが食べられる日だから楽しみになりました😂笑)
私事ですが小さい頃親から虐待と
ネグレクトを受けていました
もう人生いいかな 寒いな
お腹ペコペコだな 怖いな さみしいな
早くこの状況が終わって欲しいなと思ってました
9歳の頃??から
家族のご飯を作ってました
作らないと食べるものがなかったから
やってたと言うのが正しいかも
大体は作るための材料さえも無かったですが笑
誕生日は母が晩御飯を作ってくれました
両親の喧嘩で嫌な気持ちになる事が大半でしたが
とても嬉しかったです
(ゲームを買って貰えて嬉しかった記憶もありますね笑)
土日はほぼ親は家にいなくて
私と妹が残されて
お腹が空いてて
でも冷蔵庫に食べるものが無くて
妹とお腹空いていて
お金も無くて
とにかく空腹がとても辛かった
帰ってきてもご飯が食べられる訳では無かったので早く帰ってきてほしいとも思いませんでした
親が夜中に大声で喧嘩していたり
私が殴られて外に出されていたりとした状況だったので、近隣の住民の人には嫌われていました
助けを求めると言うことも考えられなかった
何回かスーツを着た知らない大人の人が自宅を訪ねてきたり
優しげな人がなぜか私の名前を知っていて
登下校中の私に最近困った事が無いか
聞かれたことがありました
多分通報されていたんだろうな
知らない人に声をかけられたら
逃げろと学校で教わったばかりだったので
大丈夫ですと言って逃げていました笑
あの時の人ごめんなさい笑
誰も助けてくれなくて
悲しくて
神様早く迎えに来てくださいってお願い事してました
ある時とても綺麗な女性の先生が
私の通っていた学童に来ました
小学生の私に話しかけてくれて
優しくて大好きになりました
ある日先生と私の母が面談?話?をして
その後先生のお家に私を呼んで下さりました
お腹いっぱいご飯を食べさせてくれて貰いました
いっぱい頭を撫でてくれて
貴方はとてもいい子だよと
いってくれて
わたしは
すごく心がいっぱいになって苦しかった
(後から先生は元々市役所の福祉課にいた人だったと知りました)
先生を尊敬する様になりました
先生に褒められたくて少し生きてみてもいいかもと
先生が食べさせてくれたごぼうから揚げは人生で一番カリカリであったかくて、美味しかった
ある時に
先生とは会えなくなり
連絡を取り合う中になりました
高校3年生の冬に
亡くなったと連絡がありました
丁度大学の合格が分かって先生に報告しようとしていた時でした
受け入れられなかった
そこから
20歳まで生きて
20歳で死のうと決めました
そしたらあっという間に20歳になって
いつ死のうかなと考えていた時
今の夫と出会った
私は21歳の誕生日の前に別れ話をした
彼の事が大好きで彼には幸せになって欲しいと
強く思い、私とは居ないほうが良いと思ったから
あと不当な理由で
大学を留年することになったから
もともと20歳で死ぬ予定だったし
欲張ったせいで人生こうなったのだなと
彼には別れを告げて
その後死のうと思った
でも別れ話をしたら
絶対に駄目と泣かれた
後々聞いたら
私が死ぬ気だと気づいていたみたいで
絶対別れたら駄目と思ったみたい
それが今の夫です
夫には本当に感謝しています
いつまでも幸せでいてほしいです
夫のお陰で
私を好きでいられる様になった
折角だから生きてみることにした
なんやかんやしていたらもうアラサー
今はまだやりたいことが沢山ある
夫といるのが楽しい
だから死にたくないかな
昔の私に語りかけると
小さい頃の私が嬉しそうにするから
涙が止まらなくなる
困る
でも、そんな今の私も愛おしいんですよ
私、お誕生日おめでとう
あっという間だったね
無理しないで最近は頑張れるようになってきたね
もうすこし
生きてみようかなあ
まだやりたい事はたくさんあるなあ
まだまだ人生長いようで短い
もっと貪欲に、頑張ります
ハッピーバースデー、わたし