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氣の施術その背景~施術者プロフィール【4】講演会あんちょこ③( 2020.11.06 )氣の施術を続けて観てきたもの

 2020年11月6日 群馬県富岡市にて、とあるセミナーの講演者を務めて参りました。内容は簡単に申しますと「氣」について。演題は「氣の施術を続けて観てきたもの~心の風景」といたしました。

 後日、私はこの講演内容を材料に、またこれまで書き留めてきた文章とも併せ再編集した「施術者プロフィール」の小冊子を作製しました。初めこれは私の施術を受けてくださる方々にお読み頂くことが目的でしたが、このたび小冊子の内容を記事にしてマガジンにまとめてみました。

 タイトルは「氣の施術その背景~施術者プロフィール」でありますが、実のところ言葉のみで「氣」のお話を進めるのは至難の技です。このマガジンは私の施術の背景、大袈裟に言えば思想となるのでしょうが、結局は私自身の心の風景なのだろうとも思います。内容は、身体と氣と心、セルフコントロール、浄化と解放、癒し、心の成熟をテーマとしております。全9記事。もしも最後までお付き合い頂けましたら幸甚です。


ひとつ前の記事「あんちょこ②」はこちら



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氣の施術を続けて観て来たもの

 ここで話は少し逸れまして、改めまして、じゃあ何故、私が氣の施術を行うことになったのか、特に私が氣の整体を始める以前のお話からして参りたいと思います…

 講演会ではこれより先、私の両親と私で過去行ってきた活動を、与太話も絡めながらダイジェストでお話しさせて頂きました。自らの体験談となりましたので「あんちょこ」は用意しませんでした。当日は持ち時間が少なくなってしまったのもありますが、実のところ、講演テーマも遠大でありましたので話し切れなかった感が残りました。この記事では使用したスライドをお見せしながら、過去投稿した私の自叙伝も頼りに、氣の施術を続けて何を観てきたのか記したいと思います。




氣で触れずに痛みを取る

 ある時、父は副鼻腔炎で酷い蓄膿を患いました。地元の病院に入院をしたのですが、決まっていた手術を抜け出し、触れずに痛みを取るという施術を頼ります。そして不思議なことに、完治とは行かないまでも、かなりの改善を果たし、父は引き続きその施術を受けていました。しばらくすると、なんと父自身が触れずに痛みを取る施術を行っており、母と私を誘い入会をさせたのでした。その後、触れずに痛みを取る会は解散したのですが、父は行き場の無くなった仲間から指導を頼まれます。そして後々の社会文化功労賞の受賞となります。( 詳細は下記記事 )

2005年 5月 父の社会文化功労賞受賞祝賀会




集団意識が作る氣場

 父の施術を受ける方々の中には、父の施術を学ぶ人たちも現れ、その規模は次第に大きくなって行きました。氣の作用は集団にも現れます。個人の氣が集まると、集団意識として特有の氣場を発生させるのです。そのような氣場では不思議なこと( ある種の奇跡 )が起き易くなります。そして、父に学ぶ人たちにも、父と同じように不思議なことを起こす人が幾人も現れました。個人の氣は集団意識の氣場を支えに勢いづきます。特に集団の長には大きく渦を巻くように濃い氣場が出来上がり、その不思議を頼りにまた人が集まるのです。後から気づけば、父はカリスマ教祖のようになっていました。

 そして、2008年12月 父は脳内出血で倒れます。経緯は下記記事をご覧いただきたいと思いますが、以降、父を頼りにしていた人たちの一部は私を尋ねて来るのでした。




氣で解決しない領域

 そんな中、私はとある男性との別れを経験します。様々な葛藤を抱えながら思いました。いくら身体に氣を通したとて人は必ず亡くなる。一時的な改善で癒すことが出来たとしても、真の意味で氣で人を救うことは出来ない。本当に救われるべきは「心」なのではないか。そして「 存在(命)」という不可思議に支えられる「心」をいかに救うのか。その解答を真剣に求めて行きました。途中、私は父への反抗でそれまでのやり方に嫌気もさし、その後、独自に氣を活かした整体を始めたのでした。




氣を動かす心の実態

 心が救われるとは。そもそも心とは。死を受けとめる認識と納得はどこにあるのか。私の関心は唯識、禅などの如来蔵系仏教思想、インド哲学などに向いました。

 中でも一番 私の心を離さなかったのは ラマナ・マハルシ の「私は誰か」に対する明確な答え・言葉でありました。景色が一変したのは「心は私ではない」と知ったことです。もっとも頭の理解の範疇を出るを得ずでしたが、ここに心の正体、実態を垣間見たように思えました。あぁそうか、真我・一者と心は全く別物。執着を手放し、主客を超えるのか… と。




真我・一者の地平を得たら

 そんなある時、私は チベット死者 の書を知りました。より正確に言うと、30年以上も前からずっと母の本棚にあったのですが、しっかり目を通すことはなかったのです。あの ある男性との別れが チベット死者の書 を思い出させたのです。

 チベット死者の書 にあるクリヤーライト、バルドゥ、幻想やイメージを思うとき、身体が亡くなったとしても残る心の顛末は、真我・一者を知る知らないによって大きな違いが生じると思いました。息を引き取ったあと、真っ先に現れるクリヤーライトに飛び込めるか( 心とクリヤーライトが合一出来るか )否かは、輪廻からの解脱が成し遂げられるかどうかという人生最大の問題、山場であるのです。

 チベット死者の書ではクリヤーライトとの合一がなされないと、心は自らの意識の投影(幻影)によって彷徨い始めるとします。そしてその都度、経典と様々な仏尊による解脱への導きがあるにもかかわらず、我々の多くは転生に向かってしまうのです。つまり、クリヤーライト( = 真我・一者? )とは何者か… 生きている間によくよく思索と瞑想を重ね吟味しておくべき「問い」だと思います。

 一方、真我・一者と心に繋がりは無いとされます。本来の私が真我・一者であるとき、日頃 我々が眺めている現実は 夢・幻 の現象世界です。しかしそれでも、この現象世界にとどまり呻吟しながら我々は生きているのであって、たとえそれが 夢・幻 だとしても、ここに生きている限り「救われるべきは心」であるに違いないのです。何も知らない心が、真我・一者の地平を得て、迷いの現象世界に舞い戻り、新たな風景の日々を過ごす。この過程を経たとき、我々の心は何かの対象を頼らずとも、自らで自らを癒すことを知るのではないか… と想像しています。




一瞬に織り込まれる心の風景

 父は 2019年12月 に亡くなりました。最後の瞬間には立ち会えなかったのですが、私は父が亡くなる前夜、面会時間めいっぱいまで病室に居りました。去り行く人に少しでも長く生きていて欲しいという思いは万人共通であろうと思います。ただあの夜、私が父に言い放った「がんばれ!」は引導だったのです。それは僧籍にある母のお陰もあってですが、実のところ、あの最後のやり取りを頂けたことで私の心の方が救われたのでした。( 【7】父の葬儀を終えて&チベット死者の書 を お読み頂けますと幸いです。)

 まだ病院にいるとき、父に今までで一番楽しかった思い出を聞きました。それは、若い頃の海上保安庁での訓練でした。巡視船に乗ったり、拳銃を撃ったり、海で泳いだり、同期と過ごした時間がとても楽しかったそうです。父は祖父が亡くなったとき、様々な理由で海上保安庁を辞め実家に戻ったのですが、生涯、海上保安庁時代の思い出を私に話しておりました。
 
 よく「心の物語」と言われますが、意味合いは同じかも知れませんが「心の風景」という言葉の響きが私は好きです。眺める一瞬の風景に全人生の凝縮を観るような。喜び、怒り、哀しみ、楽しさも総て一瞬にあるような。幾つもの物語や歴史がひとつに詰まった重厚な一枚の景色、心の風景です。そして、父の心の風景がどんなだったかを想像する私がいます。ひとりひとりにある心の風景、相手の心の風景を慈しみ、自らの心の風景に自ら光を( 上述の意味での「自らで自らを癒す」)… これはまったくもって理想ですが、そうありたいと思います。
 
 氣の話からだいぶ外れてしまいました。でも、氣が総てではないことを、私は氣の施術を続けてきて知りました。氣に振り回される心ではいけないのです。手綱は心にあるのです。その為には「身体・氣・心」それぞれを意識した「手入れ」が必要となるでしょうし、その積み重ねが充実した「心の風景」を描くように思います。

父の海上保安庁時代




微笑んで逝こう




【5】講話者さま ありがとうシート
…に続く



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施術者プロフィール【 Title 】

2020.11.26 【1】小冊子冒頭挨拶文
2020.11.06 【2】講演会 あんちょこ①
2020.11.06 【3】講演会 あんちょこ②
2020.11.06 【4】講演会 あんちょこ③
2020.11.06 【5】講話者さま ありがとうシート 
2017.11.30 【6】東京・九段での施術について
2019.12.17 【7】父の葬儀を終えて&チベット死者の書
2020.06.26 【8】死を見つめる。いかに生きるのか。
2020.11.26 【9】あとがき「 浄化と解放、癒し…そして 」

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