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「秋の七草」は静岡茶が守っている?万葉集に詠まれる自然を育む、世界に認められた農法とは

こんにちは、APOPTOSISのマーケター・oz(@ozoz_witch)です。

2回目の投稿ですが、最初の記事から約2週間と少し。
「2週間に1回くらいのペースで投稿できると・・・いいですね。(宣言)」という宣言をなんとか守ることができました。
いつまで続くことやら…と生暖かい目で見守っていただけると嬉しいです!

水出し緑茶のボトリングティー「APOPTOSIS」

私達がつくっている静岡茶プロダクト「APOPTOSIS(アポトーシス)」ですが、今月の先行販売開始に向けて着々と準備が進んでおります。
販売前の段階から「欲しい!」「買いたい!」という声もいただき、本当にありがたい気持ちでいっぱいです。
ツイッターでのリアクションや、noteアカウントのスキも含め、皆様の応援があるから、時には落ち込んだりもするけれど、私達は元気です。
ぜひフォローして続報をお待ちください!

指折り数えれば、見つかる秋の七草

さて、本日の本題に入る前に。
9月に入って、時折吹き抜ける風に秋の気配を感じる今日この頃。
(台風がなんだか夏の名残って感じがしますね)

春の七草は七草粥で有名ですが、秋の七草があるのをご存知でしたか?

秋の野に 咲きたる花を 指(および)折り
かき数ふれば 七種(ななくさ)の花

万葉集8巻 山上憶良が詠んだ和歌

「秋に野原で花を数えてみたら、7つもあったよ!」と、都会でもがいている私のような人間が、いつの間にか忘れてしまった子供心を思いおこさせる歌です。(なんだか切ない)

萩の花 尾花(おばな)葛花(くずばな) なでしこの花
女郎花(おみなえし) また藤袴 朝貌(あさがお)の花

万葉集8巻 山上憶良が詠んだ和歌

花とか虫とかを「あ、見つけた!」と指差すような感じ。
素朴だけど、なんとなく口にしたくなる不思議な魅力がある歌です。
しかし、ここで歌われているような秋の七草は今や絶滅危惧種になってしまっているんです。

山上憶良さんの歌をもうひとつ。

憶良らは 今は罷(まか)らむ 子泣くらむ
それその母も 吾(わ)を待つらむそ

万葉集3巻 山上憶良が詠んだ和歌

当時、宴の途中で中座をするのは失礼にあたりましたが、「子供と妻待ってるから帰るわ」って言って帰ったことがあるらしいです。
なんて家族思い・・・と思ったら、当時憶良は70歳くらいのおじいちゃんで、中座で周囲の気を悪くさせないためのただのジョークだったらしい。
粋ですね。

絶滅の危機にある万葉集の秋景色

万葉集で詠まれた秋の七草のうち、カワラナデシコやオミナエシ、フジバカマ、キキョウの4種は、なんらかの手を打たないと絶滅する危険にあります。
もちろん、万葉集がつくられた当時から1,000年以上経っているので、自然環境にさまざまな変化があるのは当然のことかもしれません。

ですが、静岡のお茶農地では秋の七草のほぼ全てが発見されるという、もはや七不思議のようなことが起こっているんです。

茶の花のひとつ、オカトラノオ。由来は虎のしっぽのように垂れ下がる姿から。

七草だけではありません。
リンドウ、ホトトギス、ワレモコウなど、茶会に華を添える植物たちも多く存在しています。
決して派手な花ではありませんが、凛とした佇まいがあります。
千利休は茶の湯の心得のなかで「花は野にあるように」と説いており、派手ではないけれど素朴で奥深さの花を飾るのを良しとしたそうです。

【募集】カケガワフキバッタの写真を提供してくれる方を探しています。(これはただのバッタ)

植物だけでなく、農地の周囲には独自の生態系が生まれています。
その影響は虫にも及び、掛川にしかいないので名前にも入れられてしまったカケガワフキバッタが見つかったりもしています。
なんとこのバッタ、農地の環境の居心地が良すぎて羽が退化し、跳ばずに後ろ足を蹴るようにして動くんだとか…
(私もぬくぬくのお布団の中で退化したい…)

なぜ静岡の茶農地にユニークな生態系が生まれたか?

静岡の茶農地で確認されているのは、なんと300種類以上の草花と、うち絶滅危惧種9種。
なぜ、それまでに秋の七草やカケガワフキバッタなどの絶滅危惧種が生きる環境になったのか?
その秘密は、静岡茶をつくるための「茶草場(ちゃぐさば)農法」にありました。

この農法は一言でいうと、時間をかけてじっくりと自然の力で土を育てる、静岡ならではの農法です。

茶草場農法は、その名の通り草を土に還してお茶づくりを行う。

具体的には、ススキなどを農地の畝の中で育て、刈り、それを10年〜20年かけて(!)土に還し、その土を生かしてお茶を育てます。
茶農地に草を敷くことで、土の温度や水分、密度が調整され、栄養がしっかりと保持される土壌になるのだそうです。
実際、ススキが分解されて出来上がった土は、触れるとほろほろと崩れてしまうくらい柔らかいそうです。(触ってみたい!)

刀を捨てた武士達が考案した「茶草場農法」

ただ、一見すると時間も人手もかかり、コスパが悪そうなこの農法。
10年〜20年かけてススキの力を土に込めるので、ひとたび耕作放棄してしまうと、復活させるには気が遠くなるくらいの時間がかかります。

そもそも、茶草場農法が生まれたのは歴史的経緯がありました。

約150年前、徳川幕府が築いた太平の世がペリー来航を始めとする列強諸国の圧力により終わりを迎えます。
それに伴い、徳川家の家臣達は失業してしまい、新たな職として静岡の牧之原台地の開拓に乗り出します。
牧之原台地は元々手付かずの原生林に近い状態で、本格的な開発は行われておらず、引水すら満足に行われていなかったため地元の農民達も気にかけようとしなかったほどでした。
武士達が刀を捨て、鍬(くわ)を握るには、どれほどの覚悟があったのでしょうか。

武士達の奮闘により開拓が進み、開拓を主導していた勝海舟が牧之原の気候や土質がお茶の栽培に適していることに着目。
アメリカなどとの貿易でお茶が主要な輸出品のひとつとなり、静岡茶は国内だけでなく世界にも進出していきました。

このなだからな傾斜地でも、かつては馬が飼育されていたのかもしれない。

さらに、かつての住民達は山の傾斜地に田を切り開き、馬を育てて生活していましたが、武士の没落により馬を育てるのを辞め、牧草地に生えるススキを有効活用できないかと考えたようです。
こうして武士達の開拓、お茶のニーズの高まり、静岡の歴史と自然環境を背景に、ススキなどを使って土を育てる茶草場農法が根付いていきました。

世界農業遺産に認められた里山の生態系を守る農法

この静岡の茶草場農法は、2013年5月、世界の農林水産業の振興を司るFAOによる世界農業遺産に認められました。

途方もないくらいの時間をかけて、山と茶畑は手入れされてゆく。

こうして歴史を辿っていくと、日本人の自然との付き合い方、すなわち自然に対して人が働きかけ、手入れし、自然の資源を生かす「里山」との暮らしが見えてきます。
昨今、こうした「里山」と共生し自然資源の循環を取り戻そうとする活動も盛んになってきました。

大量生産やスピードといった効率性を追いかけるのなら、この茶草葉農法は必ずしも良いとは言えないのかもしれません。
しかし、時間は不可逆で、一度失われてしまった自然と、自然と人の関係性は取り戻すことができません。
山の原生林の中で強者だけが生き残るのではなく、人と自然が互いに働きかけ、多様な自然が時を超えて生き続けられるようにするには、静岡茶の茶草場農法が絶えることなく、脈々と続けられてゆく必要があります。

生きていくために死を思い、その循環で息をすること

APOPTOSIS(アポトーシス)の活動は、この静岡茶の生産、そして茶草場農法を守ることにつながります。

実は、APOPTOSISという名前には、これまでお伝えしてきた自然と人の関係性や、武士達の歴史に対する思いが込められています。

本来、アポトーシスとはあらかじめ予定されている細胞の死のこと 
組織をより良い状態に保つため、細胞に組み込まれたプログラムです。

自然が常に生と死を繰り返し、その循環の中で息をすること。
かつて武士達が自分の誇りである刀を捨て、鍬を握ったこと。
そして、私たちが「いっぷく」する小休止も、前に進むために一時停止し、感覚を取り戻す時間ともとらえることができます。

こうした静岡の自然への思いと、静岡茶でいっぷくをする余白のある豊かな体験をつくるため、日々活動しています。

先行販売開始が着々と近づいてきました!またお知らせいたします!

少々長くなってしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました!
次回の記事では、先行販売の詳細についてお伝えできればと思います。(お品書きは下記)
数日以内に公開しますので、楽しみにお待ちください!

  • どんな参加、サポートができるの?

  • どんなリターンがあるの?

  • プラットフォーム、スケジュールなど

それではまたお会いしましょう!さようなら〜。

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