藤原定家はヲタクだった
『これで古典がよくわかる 』橋本治(ちくま文庫)
あまりにも多くの人たちが日本の古典とは遠いところにいると気づかされた著者は、『枕草子』『源氏物語』などの古典の現代語訳をはじめた。「古典とはこんなに面白い」「古典はけっして裏切らない」ことを知ってほしいのだ。どうすれば古典が「わかる」ようになるかを具体例を挙げ、独特な語り口で興味深く教授する最良の入門書。
正月から一人、『百人一首』を読んでいるのだが、さっぱりわからん。それで古本屋で橋本治『これで古典がよくわかる』を見つけたから読んでみたら、和歌がわかった(オヤジ・ギャグではない)!
あれは、原理主義が激しい時代の日本で(タリバンが支配していると思えばいい)、目と目を合わすだけで、まぐわう(今では性交するの意味だが、本来は目交わう)時代の恋文の暗号文だったのだ。だから掛詞が多い。
「あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む 柿本人麻呂」
柿本人麻呂の超有名な和歌だが、「ひとりかも寝む」を言いたいがために長い鳥の尾でカモフラージュする。最初の方を芸術性が高いと読んでしまうと意味を失う。一人寝の夜の歌。それでも鳥の尾でカモフラージュする美意識。雌鳥はなびいてしまうよな。
一見風景を詠んでいると装いながら、本音を述べる。日本人の本音と建前(裏表)がこの時代から培われてきたのだ。こういう暗号文は女子の方が得意そう。
ひとりぬる山鳥の尾のしだり尾に霜置きまよふ床の月影 藤原定家
そして柿本人麻呂の和歌を二次創作したのが藤原定家のこの句。「本歌取り」と言われるヲタク技。
藤原定家の雅の世界は、ちょっと理解不能なところがあると思っていた。だから定家選定の『百人一首』は、良さがわからない。しかし、藤原定家は恋もしたことがないヲタクだということだ。そして、恋どころじゃない下級官僚ゆえに宮廷の落ちぶれ天皇をヨイショしなければならない。
そのときに役立つのが和歌だったのだ。後鳥羽上皇の依頼を受けて新古今集を作ったのだと。雅の世界は、すでに過去の遺物で和歌の世界にかろうじて残された残余だった。
橋本治は頭がいい、と今更ながた気づく。それとリッチさを知っている。わいは貧しさしか知らないから、そういうオタク趣味の美意識はなかなか理解できないのだが、古典が日本語成立過程の文章の歴史を表しているのだということ。
学校で教える古典は理解するためだが、それは簡単に理解できるものじゃないという。それは、最初の古事記・日本書紀の古典は一般庶民のものでもなく、エリート層の男が読むため漢字文。読み下しの記号は、漢字だけでは読めない者のあんちょこのカタカナ。英語にカタカタ・ルビをふるようなものだったという。そのぐらいに難しいものだった(日本に文字がなかったからそれを漢字表記していたのだ)。
宮廷女子はひらがな文化。漢字(真名)からひらがな(仮名)が生まれ、そのひらがなはおしゃべりのようなものだという。論理ではなく感性の世界だ。この感性は宮廷生活者の感性だということ。そうして始まったのが日記文学で、紀貫之『土佐日記』から始まったとする。
日記文学(随筆も含める)は、官庁の記録ではなく私人のつぶやき、今で言うSNSとかブログのようなものだった。当時は読まれるのはほとんど上流階級だったようで、庶民に伝わるのは仏教説話だった。それは僧侶が書くから元々は漢字文なのだが、読み下し文でわかりやすくして、やがて平家物語や今昔物語の語り物になっていく。ひらがな物語とは成立過程が違う。
しかし鎌倉時代に漢字文化とひらがな文化の融合が出来て、我々が読める形の文語になっていくのだった。古典は、本来わかりやすい明治から江戸ぐらいから学ぶ方がいいようだ。それをいきなり古事記とか万葉集は無理過ぎる。
しかし、『百人一首』はゲームとして身体的に覚え込むので知らずに暗唱して意味も理解できるようになる。そういうことだった。一人で読む難しさ。ゲームで覚えればいいのだ。