クジラの竜田揚げと先割れスプーンの思い出
『給食の歴史 』藤原辰史(岩波新書)
藤原辰史の名前を最初に知ったのはコロナ禍のパンデミックの初期の段階で提言を出していた文章に感銘を受けたからだ。これは無料でオンラインで読めるので、ぜひ読んで見て欲しい。
学校給食の想い出といえば世代間のある人と飲みながら脱脂粉乳の思い出話になってそれを知らない世代は幸福だと言われたことかな。例えば自分たちの世代だとクジラの竜田揚げが結構ハードな食べ物だった(好きだったけど、今はなかなか食べられないだろう)。
そんなある世代に共通の話題があるのが学校給食ということになる。牛乳に入れた粉末コーヒーの美味しさとか、今ではなんでもないものだと思うが。
そもそも給食が始まったのは軍隊であまりにも貧弱な身体では戦えないということからだという。日本の学校給食はすでに戦前にはあったそうで、そのノウハウがあったから戦後の食糧難の時代にアメリカの余剰生産であった小麦や牛乳(これは脱脂粉乳)を緊急援助ということで活用できたという。
もっともアメリカ側では日本の食生活を変える(米食から小麦食へ)目的もあったが(阿部和重『シンセミア』で米食からパン食にするためのアメリカの陰謀論とか書かれていた)、思ったようには進まず小麦粉もパンよりも麺類に活用されたとか。だが子供たちが給食により舌が日本食から西洋食(日本流にアレンジしたのだろうけど)になっていったのだという。そういえばハンバーグとかいつの間にか食卓に並ぶようになっていたのは給食とかの影響なのか?レトルト食品の進歩もあるだろうけど。
小学校で転校したとき、前の学校では給食室があって、献立をおばさんたちが作っていたのだが転校先では給食センターから運ばれてきたものだった。その頃の給食はあまり思い出がなかった。中学になると給食はなく、弁当持参で母がいつも文句を言っていたような。食べたいものが違っていた。だから高学年になるとパン屋で買って食べていた記憶があった。
今はどうなのか、貧困家庭で満足に食べられない子供がいるとか。そんなときに給食はやはり有り難いだろう。子供も気兼ねなく食べられたなら、その方がいいと思うが、今は違った問題(添加物や安全性)で弁当持参のほうがいいという親もいるという。
都市と地方ではその家庭状況も違うし、給食によって貧困家庭が救われるのは事実としてあるのだから無くさないで欲しいと思う。細かいところでは問題もあるがそれは個々で解決策を探っていくようにするのがいいと思う。日本が豊かになると給食は社会主義の思想だというので反対するという意見もあったそうだ。でも緊急時に給食のノウハウが生かされて救済者に配られたこともあるのだから無くす方向はどうかと思う。
それに子供たちは不味いと言いながらも給食の思い出は楽しい日々だったのだと思う。それは経験上感じる。クリームシチューが美味しかったとか特別な日に特別なものが出たり。ケーキはなかったと思ったけど。今はどんな給食を食べているのだろうか?地方によってそれぞれ違うみたいだ。福岡だったらフグが出るとか。
ユリ・ゲラーの超能力ブームで先割れスプーンが数多く曲げられていたとか笑ってしまった。そういうことをやったかもしれないな。
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