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男性原理の戦争から女性感性の自然へ

『戦争は女の顔をしていない 』スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ (著), 三浦 みどり (翻訳)(岩波現代文庫 – 2016)

ソ連では第二次世界大戦で100万人をこえる女性が従軍し、看護婦や軍医としてのみならず兵士として武器を手にして戦った。しかし戦後は世間から白い目で見られ、みずからの戦争体験をひた隠しにしなければならなかった――。500人以上の従軍女性から聞き取りをおこない戦争の真実を明らかにした、ノーベル文学賞作家の主著。(解説=澤地久枝)

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチにノーベル賞が与えられたことで読めるようになった本は、戦勝国の男はそれを英雄譚として語ってしまうが、その中で女たちは悲惨な戦争に口にすることは出来なかった。すでに戦争は終わっていたが戦後も彼女たちの戦争は続いていた。彼女たちの勲章は結婚の邪魔になったし(戦争に行った女という視線)、何よりも後遺症に苦しみ続けた彼女らの証言。狙撃兵には狙撃兵の、看護婦には看護婦の、配膳係には配膳係の、それぞれの戦争があったという証言。それまで女性の声では語られなかった戦争の姿である。

リアル『ガールズ&パンツァー』だ。女性の話は戦車から遺体を引き上げる。遺体の重さと戦車が燃えるときの悲惨さ。女のパンツが配給されなくて男ものパンツを穿いていることが死よりも嫌だったという証言(乙女にはパンツァーじゃないよパンツが問題だった)。赤いマフラーを外せなかったスナイパーの悲劇とか(映画で観たような)。

レジスタンスで爪を剥がせれ拷問される話とか捕虜になった為に敵のスパイとされて収容所に送られる者たち。ドイツでの強姦や略奪の話など悲惨な話が多いが、お茶をしながら何度も会って話を聞いたというスヴェトラーナを娘のように思って話す彼女たちはユーモアも感じさせる部分もあり(装甲車の野戦修理工の話で上司の汚い言葉がつい口に出てしまう女性の話とか)、女性の強さも感じてしまう(壊疽のために何回も足を切断しなければならなかった人とか)。

何百人もの「声」がきこえる。戦争を「事実」ではなく「感情」で描く証言文学の金字塔。
プロパガンダに煽られ、前線で銃を抱えながら、震え、恋をし、歌う乙女たち。戦後もなおトラウマや差別に苦しめられつつ、自らの体験を語るソ連従軍女性たちの証言は、凄惨でありながら、圧倒的な身体性をともなって生を希求する。そうした声に寄り添い「生きている文学」として昇華させた本作をはじめ、アレクシエーヴィチの一連の作品は「現代の苦しみと勇気に捧げられた記念碑」と高く評価され、ノンフィクション作家として初のノーベル文学賞を受賞した。原発事故、差別や自由、民主主義等、現代世界に投げかけられた問いを提起し続けるアレクシエーヴィチの文学的価値について、彼女とも親交の深いロシア文学研究者の沼野恭子氏が解説する。
★スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチとその作品について
1948年、ソ連ウクライナ共和国スタニスラフという町で生まれる。父はベラルーシ人、母はウクライナ人、執筆言語はロシア語。父の除隊後、一家はベラルーシのミンスクに移住。
1972年、ベラルーシ国立大学ジャーナリスト学部を卒業後、新聞記者、雑誌記者として活動。アレシ・アダモヴィチによるパルチザンの証言集『燃える村から来た私』(ウラジーミル・コレスニクとの共著、未訳)を読んだことがきっかけで1978年より第二次世界大戦ソ連従軍女性への取材を開始。その証言集は、ゴルバチョフによるペレストロイカが始まった1985年に『戦争は女の顔をしていない』として刊行される。その後も一貫して時代の証言者の「感情を聞く」というスタイルで、第二次世界大戦時に子供だった人たちの証言集『ボタン穴から見た戦争』(1985)、アフガン戦争の実態を伝えた『アフガン帰還兵の証言』(1991)、史上最悪の原発事故の証言を集めた『チェルノブイリの祈り』(1997)、ソ連共産主義時代およびソ連崩壊後の混乱した社会を描いた『セカンドハンドの時代』(2013)を刊行。この5作は、共産主義という「赤いユートピア」を目指した人類の実験がどのような経緯をたどり、それを人々がどのように受け止めたかを克明に記そうとしたアレクシエーヴィチのライフワークであり、「ユートピアの声」五部作と総称される。(※いずれも刊行年はロシア語版の刊行年。タイトルは邦題)
ベラルーシでは著作が反体制的とみなされ出版が許されず、2000年~2011年にかけてヨーロッパ各国で暮らしたのちに帰国。
2015年、ノンフィクション作家として初めてノーベル文学賞を受賞。
2020年8月の大統領選挙に端を発した民主化運動で「政権移譲調整評議会」の幹部に名を連ねたことから再び亡命せざるを得なくなる。

「100分de名著」 第1回「証言文学」という形

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチは、父はベラルーシ人、母はウクライナ人。そして、ロシア語で執筆する彼女は、2015年ノーベル文学賞を受賞。
しかし彼女はベラルーシ政権から反体制作家として弾圧されています。

彼女がノーベル文学賞に選ばれたのは

「ポリフォニックな作品は、現代の苦しみと勇気に捧げられた記念碑である」「入念に人間の声のコラージュを作るという独創的な創作方法を用いて時代全体に対する私たちの理解を深めてくれる」

というものでした。この創作方法が「聞き書き」(証言文学)と言われるものですが、日本でも水俣病患者の聞き書きを書いた『苦海浄土』の作者石牟礼道子がいます。そして、いま文学でも話題となっていて最近では、いとうせいこう『福島モノローグ』が出版されました。

証言文学という創作方法は無名の市井の人々にインタビューして作者の思いよりもそれまで声に出せなかった人々の思いを拾い上げて語る、作者が巫女的な役割をして大きな物語(有名作家が書く歴史物語、ソ連ではスターリンの意向に沿った物語)からこぼれ落ちてしまった弱者の声を拾い上げていくのです。

ロシア文学の伝統に「ちっぽけな人間」を描いたゴーゴリ『外套』やドストエフスキー『貧しき人びと』があるということです。日本にも例えば『今昔物語』なんかはそうではないかと思います。

例えば『戦争は女の顔をしていない』では女性兵士の恋愛話やおしゃれの話などの細かい話も取り上げ、そうした中で戦争のリアルが感じられるのです。例えば女性兵士はスカートを履けないとか。日本のアニメでパンツが見えそうな制服は戦争を知らない男の幻想ですね。白い包帯で作ったウェディングドレスの話とか繊細に記録する。結婚相手の夫は、そんな話は語りたがらない。女性感情は戦争では必要ないものとされ、男の語る話は戦争の技術や知識だけの話になるのです。それは男性原理に支配された戦争の物語だとアレクシエーヴィチはそうした物語を解体して作品を出し続けています。例えば、チェルノブイリ原発事故の証言を集めた『チェルノブイリの祈り』もそうした文学です。

第2回「ジェンダーと戦争」

第2回「ジェンダーと戦争」はそのまま日本の「ジェンダーと会社」に当てはまる。女の上官は歓迎されない。女の兵士とは結婚したがらない。勇敢な兵士は良妻賢母にはなれない。

「身体の記憶」戦争によって女性の身体に生理が止まってしまったりの変調を起こす。髪を短くしなければならない。長いおさげ髪を切る。ハイヒールを欲しくなる。銃剣にスミレの花を付けたりして飾ってしまう。

戦争では恋愛だけが唯一個人的な出来事。戦争中に恋愛関係。戦争が終わると他の女と結婚してしまう。兵隊の想い出は家庭にはそぐわない。

関連書籍
『戦争は女の顔をしていない 1』 コミック – 2020

第3回「時代に翻弄された人々」

「母なるプロパガンダ」は日本でも「国防婦人会」による「銃後の戦争」と同じ思考だ。先日観たETV特集「銃後の女性たち〜戦争にのめり込んだ“普通の人々〜」で「国防婦人会」の戦争協力。

ポスターの話は面白い。最初は革命時の革命軍に志願を促すポスターの構図を変えただけの「母なる祖国が呼んでいる」の女性に戦争参加を促すポスター。そのとき父はスターリンなのだという。国民と共にいる優しい父親のイメージ。日本も天皇は父なるイメージだった。国民は赤子。

捕虜は許さず、帰国時には収容所送りになったという。西側を観てしまった者はスパイ扱い。実際にそういう人もいただろうか?西側の自由を見てしまった者。

捕虜帰還者がそこまで醜い扱いを受けたとはあまり日本では言われないが、それでも満洲帰還者はけっこう大変だったと話を聞く。あの混乱時に帰ってこれたのは常套じゃない体験があったからだと。ソ連兵に家族を守ってもらう為に独身女子を差し出したとか。

小さな物語が大きな物語に飲み込まれ検閲されてしまう。おおいなる、当然なる国の進歩という名の元に。国家の物語に。

第4回「感情の歴史」を描く

ナチスに捕まって電気椅子にかけられる拷問を受けた女性兵士。解放されてからは、今度はソ連にスパイとして逮捕された女性の話。そういう感情へのエンパシー。同情ではなく(ブレイディみかこ ?)エンパシー。例えばドイツ人捕虜に対するエンパシーや広くは自然に対するエンパシー。それがチェルノブイリから福島に繋がる。国家を超えてのエンパシーによる繋がり。個人の感情の声がエンパシーを呼ぶ。それは人間中心主義ではなく自然への共感だという。

アレクシエーヴィチの聞き書きの手法は、オーラル・ヒストリー(アナール学派)ではなく、文学なのだ。「声によるロマン」と言っているがそれは大きなロマンではない。個人の感情の声だ。最近では、アレクシェーヴィチはベラルーシの人だがナショナリズムが強い国家で亡命している。それでも亡命先からベラルーシの民主化運動に関わっているという。


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