シェイクスピアの失敗は成功の素
『じゃじゃ馬ならし』シェイクスピア(著),三神勲(著) (角川文庫)
始まりが酔っ払いが女将に絡んで管巻いていたところ王様(領主)が通って寝ている間にいたずらをしようと示し合わせて、王様の格好をさせ家来に妻の役をやらせ、さも今までの人生は夢で本来は王様だったと勘違いさせてやろうとする。そこで旅芸人たちが芝居をやることになるのだが、それが『じゃじゃ馬ならし』だった。
この最初のメタフィクション的始まりは面白いと思ったが本編の方はじゃじゃ馬女(あまりよくわからない、妹と喧嘩するぐらいの描写で、後は男たちの噂話)を結婚させようとする話なのだが、妹は反対に美人でいい娘と、もっぱら求婚者が絶えないので姉を結婚させなきゃ妹と結婚出来ないというので資産家である父が結納金を出すというので一人の男が結婚する話なのだが、それが調教というのかじゃじゃ馬娘以上暴力夫なわけで、時代がそういう時代なのか、コメディと言っても話がめちゃくちゃな話で面白いと思わなかった。
先に読んだアン・タイラー『ヴィネガーガール』の方は会話が面白かったのだが、シェイクスピアの方はそこまで面白くない。初期の作品で評判が悪いということだったがストーリーがめちゃくちゃ過ぎる(コメディだからか)、最初の酔っぱらいを騙す話もラストでは語られずに想像するしかないのだが、酔っぱらい=じゃじゃ馬娘だったのかもと考えた。そして夢オチで終わる。
アン・タイラーと最後は一緒で妻が夫を立てるヒロイン(キャタリーナ)の主張で終わるので淑女になったという話。そうか、バーナード・ショー『ピグマリオン』の元ネタだったのだ。そして谷崎潤一郎『痴人の愛』へと開かれた文学になって行ったのだった。『ロリータ』もそうだった。
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