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風景をただ見て、「ボーっと生きてんじゃねえよ!」

『日本近代文学の起源』柄谷行人

文学史ではなくどちらかと言えば日本近代史を文学から読むというような本。けっこう難しいがたまたま国木田独歩『武蔵野』や漱石を読んでたのでなんとなく理解できるかな(本文よりも注が為になる)。独歩『武蔵野』の風景は短歌の枕詞的名勝地ではない。独歩の孤独の内面の問題(失恋と戦争体験を経て見つめた彷徨える個人)と対となる自然(それは人工林だったと)との一体感が言文一致を引き寄せた(「風景」の発見)。発見というが再認識ということなんでは。「病気(当時は結核、「病の文学」)」と「子供(これも成人と対になる)」。

漱石のイギリス体験と「文学論」を経てのジャンルなき文学。しかしそれが今では国民文学になってしまった。独歩の風景もやがて文学景勝地になってしまう。そういうことを考えながらアクチュアルな(近代の)問題意識を担っていく文学。各国で翻訳されているのだがその序文が面白かった。例えば韓国版では明治20年の近代文学の重要な年が韓国では日本のナショナリズムのと連動して植民地政策によって日本語教育が行われていく。「日本近代文学史の起源」は「韓国近代文学史の起源」でもある。この視点は面白い。

柄谷の思想の中に「ネーション」を乗り越えていく試みがあるのは大切なこと。(2019/02/07)


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