成熟できない大人がフットボールをする話
『万延元年のフットボール』大江健三郎
その前に『同時代ゲーム』を読んでいたのでストーリーは重なるところあり。ただこっちの方が読みやすかった。大江健三郎の分かりにくさは、例えばサッカーを「フットボール」と言ってしまうところか。アメフトをイメージしてもいいんだとは思うが。物語構造としては分かりやすかった。
まず主人公の蜜と鷹四の兄弟は分身であり、感情を抑え理性的に行動するのが蜜で、感情を抑えられないが鷹四だ。その兄弟の争いとして妹の近親相姦が絡んでくるのがフォークナー的か、タブーを犯す主人公のパターン。その根底に貴種流離譚があり、伝承としての一揆がある。それは当時は米騒動の百姓一揆だが現代ではスーパーマーケットの天皇になっている。その中で妻の母性の問題があり、蜜は母性を求めているのだが乳母の大女のジンも母性的象徴。河合隼雄のグレートマザーと言っていいかもしれない。妻が障害児を産んだので蜜との間に冷めた関係が出来てしまう。その回復の物語になっている。鷹四が妻を寝取るのもそんなところか。そして、鷹四の死によって精算される通過儀礼となっている。
面白いと思ったのは鷹四が蜜に「本当のことを云おうか」という谷川俊太郎の詩『鳥羽』を引用しているところ。その本当のところが無意識的なタブーの世界でそれを明らかにすることで乗り越えていく(鷹四は乗り越えられないのだが)。ここは大江健三郎の『個人的な体験』の乗り越え物語だと解説。そして12章はサルトルのコトバを引用しているわけだった。
その前に江藤淳『成熟と喪失』をよんだが、成熟出来ないのが蜜と鷹四の兄弟なのは分裂しているからだった。そして母(妻)の喪失という物語があり、妹の近親相姦がある。妻は血縁的なんだよな。鷹四に理解があるのも姉的存在だから。そういう女たちの妹の力というような。河合隼雄のユング心理学の物語分析が綺麗に当てはまるような。壊す人のイメージは鷹四にあり、それとは別にトリックスターのギーも出てくる。『同時代ゲーム』ではそれが合わさっていたので分かりにくかったのかも。現実問題として妻との不穏な関係があり、それを乗り越えるための深層世界の物語だった。その一つに倉屋敷の解体があり、スーパーマーケットという貨幣経済の進出がある。倉屋敷の下の隠された地下牢が、ラテン文学のキリスト教の下にあるマヤ文明とかそんな深層世界。
河合隼雄『母性社会日本の病理』のテキストみたいな小説だ。それに対置するのが江藤淳『成熟と喪失』なんだろう。まあ、なかなか成熟しない主人公という物語だ。