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成熟できない大人がフットボールをする話

『万延元年のフットボール』大江健三郎

内容説明
友人の死に導かれ夜明けの穴にうずくまる僕。地獄を所有し、安保闘争で傷ついた鷹四。障害児を出産した菜採子。苦渋に満たち登場人物たちが、四国の谷間の村をさして軽快に出発した。万延元年の村の一揆をなぞるように、神話の森に暴動が起る。幕末から現代につなぐ民衆の心をみごとに形象化し、戦後世代の切実な体験と希求を結実させた画期的長編。谷崎賞受賞。

その前に『同時代ゲーム』を読んでいたのでストーリーは重なるところあり。ただこっちの方が読みやすかった。大江健三郎の分かりにくさは、例えばサッカーを「フットボール」と言ってしまうところか。アメフトをイメージしてもいいんだとは思うが。物語構造としては分かりやすかった。

まず主人公の蜜と鷹四の兄弟は分身であり、感情を抑え理性的に行動するのが蜜で、感情を抑えられないが鷹四だ。その兄弟の争いとして妹の近親相姦が絡んでくるのがフォークナー的か、タブーを犯す主人公のパターン。その根底に貴種流離譚があり、伝承としての一揆がある。それは当時は米騒動の百姓一揆だが現代ではスーパーマーケットの天皇になっている。その中で妻の母性の問題があり、蜜は母性を求めているのだが乳母の大女のジンも母性的象徴。河合隼雄のグレートマザーと言っていいかもしれない。妻が障害児を産んだので蜜との間に冷めた関係が出来てしまう。その回復の物語になっている。鷹四が妻を寝取るのもそんなところか。そして、鷹四の死によって精算される通過儀礼となっている。

面白いと思ったのは鷹四が蜜に「本当のことを云おうか」という谷川俊太郎の詩『鳥羽』を引用しているところ。その本当のところが無意識的なタブーの世界でそれを明らかにすることで乗り越えていく(鷹四は乗り越えられないのだが)。ここは大江健三郎の『個人的な体験』の乗り越え物語だと解説。そして12章はサルトルのコトバを引用しているわけだった。

絶望のうちにあって死ぬ。諸君はいまでも、この言葉の意味を理解することができるであろうか。それは決してたんに死ぬことではない。それは生まれでたことを後悔しつつ恥辱と憎悪と恐怖のうちに死ぬことである、おいうべきではなかろうか  J=P.サルトル、松浪信三郎訳

大江健三郎『万延元年フットボール』

その前に江藤淳『成熟と喪失』をよんだが、成熟出来ないのが蜜と鷹四の兄弟なのは分裂しているからだった。そして母(妻)の喪失という物語があり、妹の近親相姦がある。妻は血縁的なんだよな。鷹四に理解があるのも姉的存在だから。そういう女たちの妹の力というような。河合隼雄のユング心理学の物語分析が綺麗に当てはまるような。壊す人のイメージは鷹四にあり、それとは別にトリックスターのギーも出てくる。『同時代ゲーム』ではそれが合わさっていたので分かりにくかったのかも。現実問題として妻との不穏な関係があり、それを乗り越えるための深層世界の物語だった。その一つに倉屋敷の解体があり、スーパーマーケットという貨幣経済の進出がある。倉屋敷の下の隠された地下牢が、ラテン文学のキリスト教の下にあるマヤ文明とかそんな深層世界。

河合隼雄『母性社会日本の病理』のテキストみたいな小説だ。それに対置するのが江藤淳『成熟と喪失』なんだろう。まあ、なかなか成熟しない主人公という物語だ。



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