#書くこと
私がほんとにやりたいことはビュー数やスキを集めることじゃない
書くからには読まれたい。読まれたからには「スキ」が欲しい。腹の底から切実に。
2024年の4月からnoteを始めて、この記事で67記事目になる。
いまだ大したビュー数もないのに、その増減にとらわれてしまうことがある。
もっと目を引くキャッチーなタイトルをつけなくちゃ。プロフィールだってもっと練らなきゃ。
固定読者を獲得するためには、記事のテーマもある程度絞った方がきっといい。もちろん中身が
だれにも言わずに書いている
「で、それって何になるん?」
とある文学賞の一次選考を通過したとき、わたしは舞い上がり、思わずあるひとに打ち明けた。
一応褒めてはくれたけど、そのひとは冒頭の台詞と共に首を傾げた。
一次選考を通過したくらいでは何にもならない。わかってる。
二次、三次と狭き門をくぐり抜け、商業誌デビューを果たしたとして、それでもまだスタートラインに立ったに過ぎず、そこから先、作家として生活していくということ
書くために目の前の生活をおざなりにしてはいけない
ときどき、書くことに夢中になり過ぎて、目の前のことがおろそかになってしまうことがある。
人の目を見て話を聞くこと、自然に触れること、生活をたのしむこと、感情をそのまま味わうこと、それらをあとまわしにして文章を書くことに躍起になるのは、なんだか本末転倒だなあと思う。
もちろん、人それぞれに書く理由があると思うから一概には言えないけれど。
わたしの場合は、単純に書くことがたのしいから、思考を深め
授業料20万円を払って、作家養成スクールで学んだこと
「今自分の作品を書いてるよって人は、手を挙げてください」
ぐるりと教室を見渡して、現役作家の講師は言った。
恐る恐る周囲を見渡すと、まばらに手が挙がっていた。手を挙げたのは、生徒の2割程度だったと思う。
「手を挙げた人は、今の時点で作家になれる可能性があります」
羞恥で身体が熱かった。わたしは、手を挙げることができなかった。
数年前、作家養成スクールというものに1年間通った。90分の対面
べちゃべちゃのチャーハン作るのも文学
例えば恋人の浮気の証拠を掴んで、逆ギレされて大暴れ、というような、色恋沙汰の渦中にあるとき、泣き喚いたりしている裏側で、ほんの微かにほくそ笑むもう一人の自分を見つける。
このエピソード、女子会のテーブル上に広げたらめちゃくちゃに盛り上がりそうやなあと思い、どうぞお好きに召し上がれって、自虐的快楽な気分でもって、少々大袈裟な手つきで差し出すところを想像している。
もちろん痛みは伴うけれど、惜しみ
書かなくたって生きてはいける
それなのに、どうしてわたしは書きたいんだろう。もうなんども重ねてきたこの問いは、たいてい書くことに行き詰まっているときに頭をもたげる。
それで今。
だれに頼まれたわけでもない小説を勝手に書き始めて、勝手に行き詰まっている。
正直、書くのって面倒だ。自分に見えている景色を、感情を、うまく伝わるように言葉にするのはなかなかに難しい。思うように書けないときはもどかしい。スッパリとやめてしまったほう