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真理を追求するための組織は、真理自体を否定する/クリシュナムルティ【憂世で生きる智慧】

真理は道を通しては得られない。
あなたが真理の道に従っても、それは真理ではない。
真理を追求するための組織は、真理自体を否定する。
個々の自由とは真理であり、その自由は組織の中には存在しない
[クリシュナムルティ]


真理についての探求は、古代から現代に至るまで多くの哲学者たちの関心を引き続けてきた。だが、真理は固定された道を通して得られるものではない。真理の道を追い求めること自体が、すでに真理から遠ざかる行為なのだ。

真理の道に従うことは、一見すると論理的であり、体系的であるかのように思える。しかし、真理はそのような既存の枠組みの中で見つかるものではない。真理は常に個々の体験と自由の中に存在する。真理の追求は、個々人の独自の経験と洞察を通して行われるべきであり、その自由な探求が真理を見つける鍵となる。

真理を追求するための組織は、その目的を達成するために一定の規則や枠組みを設ける。しかし、その瞬間に真理は組織の手からすり抜ける。組織の存在自体が、個々の自由な思索と探求を制限するからだ。組織の中では、個々の自由な思索は抑圧され、標準化された考え方が強制される。結果として、組織は真理を追求するどころか、真理を否定することになる。

個々の自由こそが真理である。この自由は、他者によって制約されるものではなく、自己の内面から湧き出るものである。自由な思索と行動が許される場こそが、真理が見つかる場所である。組織の中にはこの自由は存在しない。組織は常に個々の自由を犠牲にして、その目的を達成しようとする。

このようにして、真理は道を通しては得られない。真理を追い求めるための道が存在するという考え自体が、真理を見失う原因となる。真理は固定された道や組織の中には存在せず、個々の自由な探求の中にのみ見つかる。真理を求めるならば、まずは自己の内面に向き合い、その自由を最大限に生かすことが求められるのだ。

真理の探求は、自己との対話を通して行われる。自己の内面を深く見つめ、自らの経験と洞察を通して真理を見つけ出す。これは決して容易な道のりではない。しかし、真理はそのような個々の自由な探求の中でのみ見つかるものであり、真理への道は常に自己の内にある。

真理を求める者は、組織や既存の枠組みに頼ることなく、自己の自由を尊重し、自らの道を歩むべきである。その自由な探求の中でこそ、真理は見つかるのである。

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