二河白道02/阿部信幾先生(2023/06/17)【仏教】
(22:43)
アメリカという国は、イスラム教を含めたさまざまな宗教が混在する国である。話をキリストに戻すと、キリストは「もうすぐ神の国がやってくる」という説教をして回っていた。故郷に帰ったとき、ふるさとの人々は彼を大工の息子としか見なさず、預言者として受け入れなかった。そのため、キリストは失望して故郷を離れ、「預言者は故郷に帰るべきではない」という教えが旧約聖書や新約聖書に書かれている。
キリストは12人の弟子を持ち、その弟子たちに対し、二人一組で福音を伝えに行くよう指示した。福音とは「もうすぐ神の国がやってくる」ということであり、これにより信者が増え、ユダヤ教にとって脅威となった。そして最終的に、イエス・キリストは暗殺されることになる。イエス・キリストの教えは、神の国がやってくるので神との関係を修復せよという内容だった。
キリストの教えを弟子たちが広め、最終的にイエス・キリストは十字架にかけられて殺された。弟子のパウロはこの十字架に意味を見出し、イエス・キリストが神の子であり、人類の罪を背負って十字架にかけられたと解釈した。その罪とは、旧約聖書に出てくるアダムとイブの話に由来するものである。
神が最初に作った男アダムから、彼の肋骨の一本を取って女性イブを作った。そしてイブが蛇に誘惑されて禁断のリンゴを食べ、アダムもそれを食べたため、神に背いたとされ、二人は楽園から追放された。この罪を人類は背負っているとされ、イエス・キリストがその罪を贖うために十字架にかけられたとされる。
イエス・キリストが十字架にかけられることで、人類の罪はチャラになり、これがキリスト教の信仰の核心となっている。十字架を信じることが天国に生まれる道だとされる。
口伝
仏教には聖典がなく、お釈迦様が悟りの知恵で相手に教えを説いた。教えは人によって異なり、例えば釈迦族の王であるお父さんが出家したいと言い出したときには、家族が滅びるからダメだとされ、在家での念仏を教えられた。その際、一緒に出家したのが提婆達多。
詩の形にすると人間は記憶しやすい。例えば五言絶句や七言絶句などの形式で覚えた。インドでは書いたものは当てにならないとされ、口伝が最も信頼されていた。師匠と一対一で教わることで間違いを防ぐ文化がインドにはあった。そのため、お釈迦様の教えは最初の100年間、口伝で伝わった。
その後、アショカ王がインドの16国を統一し、戦争の恐ろしさに気づいて仏教に帰依した。そして、仏教の教えを広めるために経典を作り、文書によって伝えようとした。これが経典の出現である。
経典はインドから中国、朝鮮を経て日本に伝わり、今でも日本人は漢文の経典を読んでいる。よく「なぜ日本語訳の経典を読まないのか」と言われるが、意訳の経典を読む僧侶はいない。たとえば、ビートルズの歌を意訳しても面白くないように、仏教の教えも意訳では真意が伝わらないからである。
言葉というのは、その国の言葉で歌うことによって心が伝わる。最初は心が伝わることが重要で、意味は後から重要になる。例えば、ビートルズの歌詞の意味を知らなくても、多くの人がビートルズの曲を好きなのは、そのメロディーやリズムが心に響くからだ。
日本に仏教の経典が伝わったときは、漢文で伝わった。中国の「呉」の時代に翻訳された経典が使われたが、漢字自体は変わらないが、読み方が変わる。なぜなら、皇帝が変わると、その地方の発音になるからだ。呉の時代の皇帝の読み方を漢の時代の皇帝が読み方を引き継いだ。これが日本に伝わった。
また、天台宗では「妙法蓮華経」を最高の経典としたが、日蓮はその教えに驚いた。比叡山では密教や千日解放なども行っており、日蓮は「妙法蓮華経こそが仏教の本質だ」と主張し、自分の教えを広めた。日蓮宗はこの教えを基にしている。
弘法大師は天台宗で修行し、密教を学んだが、最澄は天台宗の教えを学んで帰国した。最澄は弘法大師から密教を学ぼうとしたが、最終的には弟子になることを拒んだ。そのため、最澄の弟子が弘法大師の弟子になり、密教を学ぶこととなった。
法然上人と聞思
法然上人は仏教をただ聞くだけでなく、考え理解することを強調している。鵜呑みにするだけではダメで、聞(聞くこと)と思(考えること)の二つが揃って初めて真の理解に至るのだ。
宗教とは、ただ聞いて納得するだけではなく、考え受け入れることも含まれる。これは哲学とは異なる。例えば、仏教の教えに基づき、聞いたことを考えることが重要だ。これが仏教の本質である。
念仏によって平等に往生すると説かれているが、なぜそうなるのかが問題となる。法然上人が43歳の時、善導大師の教えに出会い、念仏で浄土に生まれる理由を理解することができた。これは阿弥陀如来の第18願に基づくもので、念仏を唱える者を迎え入れると誓っているからだ。
法然上人の教えは、親鸞聖人を通じて広まり、関東の武士たちにも伝わった。武士たちは人殺しを生業としていたため、武士を辞めずに念仏を唱えて救われる道を求めていた。法然上人は武士を辞める必要がないと説いたため、彼らは救われたのだ。比叡山の僧たちは反対したが、親鸞聖人が法然上人の教えを説き、その信念を広めた。
法然上人の教えは、念仏を唱えることで浄土に往生できるというもので、これは『歎異抄』にも記されている。阿弥陀如来の誓願を信じ、念仏を唱えることで往生が約束される。この信心を持つことが重要であり、念仏を唱える心が起きた瞬間に往生が決まる。
『観無量寿経』では、悪人が念仏を唱えて浄土に往生すると説かれている。善導大師もこれを説いたが、反対者も多かった。しかし、道綽禅師が証拠として『仏説無量寿経』の第18願を挙げ、その中の「乃至十念」が信心を指していると証明した。これは称名念仏の信心が一生涯続くことを意味しており、道綽によって広まった。
末法の時代には、他の修行ができなくなるが、念仏だけは可能であり、これが仏となるための唯一の道だ。親鸞聖人は『教行信証』において、末法の時代において戒律を守ることが困難であることを述べ、念仏による救いを強調している。末法の時代においても、念仏によって救われる道が示されている。
二河白道 (51:37)
念仏して浄土に往生するという法門を批判する人に対して、その信心を守るために善導大師が二河白道の比喩を使って、批判する人たちの言うことを聞くな、という風に作った。だから『白道は信心』である。
親鸞会で色々と言っていることについて、これから話をした。間違っているとは言わないが、聞いて判断してほしい。これが果たして親鸞聖人の言う教行信証と一致しているか、一致しないか。それは皆さんの判断に任せる。
大無量寿経と観無量寿経
教行信証には観無量寿経が方便として記されている。経ではないと言う人もいるが、教行信証に引用されている観無量寿経は十九願の経である。定善と散善が出ているが、定善は座禅を組んで行うもので、散善はそれ以外の行である。だから善導大師以外の唐の時代の諸氏は、定善でも散善でもいいと言った。
それに対して善導大師は、「観無量寿経は定善でも散善でもなく、念仏一つの教えだ」と説いた。方便と真実の二つが書かれている。阿弥陀経もそうであり、自力の念仏と他力の念仏が重なっている。念仏以外には自力も他力もない。あの人の念仏は自力っぽいということもない。たくさん唱えるから自力というわけではない。
信心が自力であるから、自力の信心で唱える念仏は自力で、他力の信心の上での念仏は他力である。信心の自力他力で念仏が自力他力に分かれる。十八願も念仏だから、念仏は他力の念である。二十願は信心が自力であるから、二十願の念仏は自力の念仏である。それで阿弥陀経の方便は二十願の経である。
善導大師が今ここで言っている「念仏して浄土に往生」は観無量寿経の真実儀を述べている。その真実儀を守るために二河白道を作った。観無量寿経と大無量寿経の関係について言えば、大無量寿経が中心である。大無量寿経を私たちに合わせて解いたのが観経疏である。
私たちは必ず善因善果か悪因悪果という因果の世界に住んでいる。だから浄土に往生するには何か善が必要だろうという世界にお釈迦様が合わせて説いている。
お釈迦様がわれわれに念仏という最高の行を与えている理由。われわれに合わせることを方便といい、合わせないで仏様の理屈で説いていることを真実という。だから、仏説無量寿経という大経は私たちに合わせていない。真実信心を頂かない限り、大無量寿経がわからない。
大無量寿経と観無量寿経の関係は、大経が元で観経疏が杖と言う。
本丸とは大無量寿経。法然上人がこのことを知らないはずはない。しかし、浄土教というものが未だ確立されていない世界では、善導大師も観無量寿経の説教で大無量寿経の説教に引き込む。そのため、善導大師が行ったことも同じ。当時、浄土教がまだなく、浄土に往生するという浄土教がないため、念仏は精神統一のために使われた。
日本に念仏を伝えたのは弘法大師。弘法大師の念仏は浄土往生の念仏ではなく、仏の真言、真の言葉としての念仏であった。そのため、本来の念仏して浄土に往生するという浄土教は法然上人、もっと言えば源信僧都によるもの。しかし、それを完璧に体現したのは法然上人。浄土に念仏して浄土に往生するという教えを中国で説いたのが道綽禅師と善導大師。
歎異抄は法然上人の教え
御文章というのは「十八願を信じて念仏したら浄土に往生する」という教えではない。歎異抄は法然上人の教えであり、「十八願を信じて念仏申すものは往生をする」という教えである。
さて、一つ言いたいことがある。「あなたは歎異抄を引用したが、歎異抄と御文章の関係を説明せずに亡くなった。それによって皆が混乱している!」ということだ。なぜなら、歎異抄を見つけたのは蓮如上人であり、蓮如上人が書写した歎異抄が最も古い。唯円が書いたと言われるが、唯円が書いたものは残っていない。しかも一箇所変更している。歎異抄には二本ある。一つは岩波で出版されている歎異抄で、これは蓮如上人よりも新しい写本だ。蓮如上人の写本と違う箇所があり、「そくばくの業をもちける身にてありけるを」という部分で、「そくばく」とは「たくさんの」という意味である。
蓮如本では、「されば、"それほど" の業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」となっている。蓮如上人が書き換えた部分だ。
歎異抄を見つけた蓮如上人が一番最後に奥書を書いている。
「右斯聖教者は、為当流大事聖教也。於無宿善機は、無左右不可許之者也」。
無宿善の機というのは、真実の信心を求めない人という風に解釈する人がいるが、「信心のない人」と言い切ってもよい。信心のない人に見せてはいけない理由は、信心のない人が読むと歎異抄の文章が「ただ念仏するだけで助かる」となるからである。
当時、蓮如上人が一番問題にしたのは「ただ念仏すれば助かる」という「鎮西派の一条流」と「時宗」である。一遍上人の「時宗」はただ念仏すれば助かるという教えである。
「なんの分別もなく口にただ称名ばかりをとなへたらば、極楽に往生すべきやうにおもへり。それはおほきにおぼつかなき次第なり。」と蓮如上人の「御正忌の章」に書いてある。
一番問題にしたのは、口に南無阿弥陀仏さえ唱えれば浄土に生まれるということを信じている人たちに対して、「あれは念仏ではない」と、「誤解しちゃいけませんよ」と言ったことだ。当時の「口に称名ばかりすれば浄土に生まれるんだ」と言っている人たちに対して言っているのである。
「於無宿善機は、無左右不可許之者也」。
つまり、やたらに見せてはいけないということ。禁止にしたのではなく、信心のないものには見せるなということだ。信心のない人が見たら「ただ口に南無阿弥陀仏と唱えてさえいればいいんでしょう?」となるからだ。
「子供でもできる念仏によって浄土に往生するという教えを説いた」とある作家が歎異抄を解説しているが、全く理解していない。子供でもできるということを易行というのではない。子供だけできる易行は簡易であり、簡易とは簡単という意味である。易行の易は他力という意味であり、他力の念仏を易行の念仏という。簡単な念仏という意味があるが、それを理解していない。御文章の関係と歎異抄の関係をきちんと説明しないから誤解が生じる。
私は伝道院で20年間本願寺の教師養成学校で教えたが、来る人々はほとんど歎異抄型の説教をしている。御文章型の説教をする人はほとんどいない。「念仏すればお浄土に参りますよ」という説教ばかりしている。
御文章は十八願を信じて念仏すれば往生するという教えであり、これは観無量寿経の法門である。御文章が大無量寿経教の法門である。大無量寿経教法門とは、本願成就を聞いて自力の心を離れるという法門である。本願成就とは、四十八願が成就したことを意味する。四十八願が成就した姿を南無阿弥陀仏という。無量寿経を読むと四十八願がずっと説かれており、その後に重誓偈が始まる。
我建超世願 必至無上道 斯願不滿足 誓不成等覺
我於無量劫 不爲大施主 普濟諸貧苦 誓不成等覺
我至成佛道 名聲超十方 究竟靡所聞 誓不成等覺
その中の「誓不成等覺」が3つある。一番重要なのは3つ目の「我至成佛道 名聲超十方 究竟靡所聞 誓不成等覺」。これは、私が成仏した時には、すべての四十八願が満足されて成就していることを意味する。もし成就しない場合は、仏とならないと誓っている。つまり、十八願が成就したということは、私が成仏したということだ。
「我至成佛道」私は悟りを開いて仏になった時、「我至成佛道 名聲超十方」。名聲の「名」は名号、「聲」は声を意味する。名号が声となる、つまり念仏のことを示している。
「私が仏になったらあなたの念仏となります」と誓っているわけだ。
「我至成佛道 名聲超十方 究竟靡所聞 誓不成等覺」
「私は悟りを開いたらあなたのお念仏になります」。なぜか。それは本願成就があなたに伝えるためだからだ。したがって、念仏は聞くものなのだ。唱えて助かるのではない。念仏の意味を聞き、南無阿弥陀仏の名号の意味を聞いて救われる。これが本願成就文である。
だから無量寿経は十八願が中心ではなく、十八願成就の成就文が中心だ。この点について、真宗の坊さんや和上によって意見が違う。無量寿経は十八願を説いたものだと多くの和上が言うが、そうではないと主張した和上もいる。
例えば桐渓順忍和上は、「教行信証に聞く」という書物で、「観無量寿経は本願成就文を説いた」と述べている。また、稲城選恵和上は晩年に「無量寿経というお経は本願成就文が座り合っている」と述べている。
大無量寿経は本願成就を説いた経典であり、念仏を唱えれば助かるということを説いているのではない。本願が成就したということを説いている。私たちが浄土往生を確信するのは、どこで言われているのか。はっきりした体験があったから浄土往生が確信できるのか。そうではない。本願が成就したから往生が確実なのだ。
本願成就したということは、南無阿弥陀仏の名号が私に届いているということだ。だから「聞其名号 信心歓喜 乃至一念」は成就文であり、その名号を聞いて信心歓喜 乃至一念とは、本願成就を聞いて自力の心がなくなったということだ。
本願成就というのは、成就したことが我々にはわからない。だから名聲十方に聞こえると、本願が成就したことを私は名号となって、つまりあなたの念仏となって伝えるのが重誓偈だ。
だから念仏は届いている。南無阿弥陀仏は、本願成就を私に告げているのだ。本願が成就したことに私が付け加えるものは何もない。だから「もろもろの雑行を投げ捨てて一心に彌陀に帰命すれば」とは、もろもろの雑行を投げ捨てて助かるのではない。本願成就を聞いたから、自力の雑行、つまり自力の心が混じった行を捨てることだ。
蓮如上人は、念仏も雑行に含めている。自力の念仏は雑行であり、「雑」とは混じることを意味する。何が混じっているのか。自力が混じっている。だから「諸々の雑行を投げ捨てて」とは、自力を捨てることだ。しかし、自力を捨てようとすること自体が自力なのだ。自力を捨てるとは、自力に用事がなくなることだ。
用事がなくなったものを取っておくのか。取っておかない。だから捨てるのは本願成就を聞いたからだ。本願成就を聞いたら、それに付け加えるものは何もない。本願成就一つを拠り所にする。名号ひとつを拠り所にすることを「一心に彌陀に帰命すれば」と言う。これが御文章だ。
御文章と歎異抄が明らかに違うのは、御文章が大無量寿経の法門であることだ。法然上人は観無量寿経にのっとって念仏往生を説いている。これを観無量寿経の法門という。親鸞聖人が大無量寿経に則ったのは、出世本懐を問題にしたからだ。
法華経
天台では、お釈迦様がこの世に現れた理由は法華経を説くためとされている。それに対して親鸞聖人は「いや違う。法華経は特別な人たちのために説いた教え」だと言う。特別の人たちとは、「お浄土から来た還相回向の菩薩」。これが成仏するのが法華経だ。
お釈迦様は法華経によって悟りを開いた。なぜかというと、お釈迦様は還相回向の存在だからだ。お浄土から来た人であり、浄土の教えを説くためには悟りを開かなければならない。還相回向の菩薩が修行して悟りを開くのは、法華経によるものである。ただし、還相回向の行に入ってしまうのも他力だが、法華経で悟りを開けるのは還相回向に限る。私のように六道輪廻している人間が法華経をいくら実践しても仏にはなれない。私が仏になるのは、大無量寿経の法門による他力によってのみ可能だ。
お釈迦様の救いは六道輪廻する人を救うために生まれたのであり、法華経は出世本懐ではなく、大無量寿経が出世本懐であるとされる。お釈迦様がこの世に出てきた目的は大経を説いて人々を救うためであり、「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」に基づいて教行信証が書かれた。お釈迦様が本願成就を告げに来たのが大経であり、本願成就文を通じて、仏になる法が働いていることを告げてくれた。
名号を聞き、その名号の由来を理解することが「仏願の生起本末に疑心あることなし」であり、本願成就とは南無阿弥陀仏の六字である。六字の言われを聞き、信心を得ることが大切である。すでに本願が成就しているため、私たちが付け加えるものは何もない。「もろもろの雑行をなげすてて、一心に弥陀に帰命すれば、不可思議の願力として、仏の方より往生は治定せしめたまう」とされる。
上の称名は御恩報謝であり、計らいがなくなった念仏は阿弥陀様が働いている念仏であり、これが他力の念仏である。これを「御恩報謝の念仏」と呼ぶが、「恩返しの念仏」ではない。阿弥陀様が私のうえに働いているまんまの念仏を御恩報謝の念仏という。大切なのは計らいが取られることであり、本願成就を聞くことで計らいがなくなる。
法性法身
親鸞会の方々に学んでいる人々は本願通り聞いているか? 本願成就を聞いたら付け加えるものは何もない。計らいがなくなったことを信心獲得という。これを「聞其名号 信心歓喜 乃至一念」と言う。
御文章は必ず南無阿弥陀仏の名号を前にかけて読むことが決まっており、御文章だけを読むと意味がわからなくなる。本尊は名号であり、名号が木像として現れているのを木像仏と呼ぶ。方便とは我々に分かるように形を取った仏様であり、色もなく形もない仏様が色形を取ることを方便と言う。仏様が私たちの世界に現れ、念仏は私の声として現れてくださった名号である。
ご絵像は絵の仏様となって現れてくださり、ご本尊の裏には「方便法身の尊像」となっている。形を表してくださった仏様にお仏飯を供えるが、木の仏様が飯を食うわけではない。色もなく形もない仏様を「法性法身」と呼ぶ。
色もなく形もないままでは救えないため、形を表してくださったのが法蔵菩薩であり、法蔵菩薩が悟りを開いたのが阿弥陀如来である。これを「方便法身の尊像」と言い、報土とは我々の意識にかかる姿となった仏様である。悟りの世界を我々の意識にかかるように説いたのが浄土であり、浄土は悟りの世界である。
浄土に生まれるというのはどこかに行くのではなく、この世界が悟りの世界になることを指す。臨終の時に悟りの世界に生まれることを往生と言い、臨終は恐ろしいことではない。「臨終の一念大般涅槃を超証す」とは仏様の悟りを意味し、それを我々にわかるように「お浄土に生まれる」と言う。生まれる死ぬというのは我々の世界の言葉であり、不生不滅は悟りの世界の言葉である。臨終の時にここが悟りになることを浄土に往生するという。
だから要するに私たちの分別にかかる問題だ。分別というのは、頭で理解することだ。そして、この分別にかかる問題を方便という。つまり、目に見える仏様になってくださるわけだ。では、何が目に見える仏様になってくださったのかというと、南無阿弥陀仏だ。
蓮如上人は、最初に布教する時、南無阿弥陀仏の名号を掲げて、その前で御文章を読ませた。だから、南無阿弥陀仏は本願成就の姿だ。四十八願が成就した姿が南無阿弥陀仏なのだ。
だから、私たちがこれに付け加えるものは何もない。
これが、「もろもろの雑行をなげすてて、一心に弥陀に帰命すれば、不可思議の願力として、仏の方より往生は治定せしめたまう」ということだ。