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【無能唱元】ラクで楽しい人生【憂世で生きる智慧】

私の愛読書に、ジョージ秋山という漫画家が描いた『浮浪雲』という漫画の本があります。これは、幕末の江戸品川を舞台に、はぐれ雲と呼ばれる飄々とした人物の物語なのですが、彼には新之助という子供があって、この子供に、ある日、次のように話して聞かせる場面があり、私はこの部分を特に気に入っているのです。(ちなみに、「あちき」というのは、はぐれ雲が自分のことを指している言葉です。)

楽する人/無能唱元

はぐれ雲「新さんには、あちきがついていますから、あちきがついていれば、ラクで楽しい人生をおくらせてあげますよ。なんの苦労もさせないようにしてあげます。安心して下さいよ。人生のあらゆる楽しみを全部味わわせてあげます」

新之助「ほんと?」

はぐれ雲「あちきに一生ついてきて、あちきのいう通りにしていれば大丈夫です。どこで戦争が起ころうと、戦いが始まろうが、新さんは、そんなこと気にしなくていいんです。毎日、どうやったら美味しいものが食べられるか、どうやったら楽しくすごせるか、そういうことだけを考え、ゆっくりのんびりしてればいいんです」

新之助「あくせくすることはないってことよね」

はぐれ雲「そうそう。心や体を苦しめてもつまらないですからね。そんなことしなくても、人間は十分幸せに生きられるようにできているんです」

新之助「悟りだね、悟り。普通の人は悟りがないんだよね。悟りが」

浮浪雲/ジョージ秋山

私が特に気に入っているのは、「ラクで楽しい人生」のくだりです。これこそ、人生の幸福を最も簡単に、ズバリといい表わしているものと思うのです。
しかるに、とかく人間は自ら望んで、苦労を求めるのです。
それはなぜかというと、他人からの尊敬を得たいからなのです。
人から立派といわれたい、すなわち、自己重要感の虜になっているからです


人はこの自己重要感の衝動から脱した時、悟りとはいえないまでも、かなり自由になります。これも、古来から仏教でいわれる「解脱」の一形態なのです。

解脱し得た人は、集団へ所属したいという欲望を持ちません。
なぜなら、その必要を感じないからです。彼は、いつでも必要な時は「無我」になれますし、心はいつでも自由で生き生きと働いていますから、依存すべきものを必要としないからです。

楽する人/無能唱元

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青樹謙慈(アオキケンヂ)
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