【無能唱元】ラクで楽しい人生【憂世で生きる智慧】 14 青樹謙慈(アオキケンヂ) 2024年12月30日 09:50 私の愛読書に、ジョージ秋山という漫画家が描いた『浮浪雲』という漫画の本があります。これは、幕末の江戸品川を舞台に、はぐれ雲と呼ばれる飄々とした人物の物語なのですが、彼には新之助という子供があって、この子供に、ある日、次のように話して聞かせる場面があり、私はこの部分を特に気に入っているのです。(ちなみに、「あちき」というのは、はぐれ雲が自分のことを指している言葉です。)楽する人/無能唱元 浮浪雲(はぐれぐも) (112) (ビッグコミックス) amzn.to 2,178円 (2024年12月30日 09:46時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する はぐれ雲「新さんには、あちきがついていますから、あちきがついていれば、ラクで楽しい人生をおくらせてあげますよ。なんの苦労もさせないようにしてあげます。安心して下さいよ。人生のあらゆる楽しみを全部味わわせてあげます」新之助「ほんと?」はぐれ雲「あちきに一生ついてきて、あちきのいう通りにしていれば大丈夫です。どこで戦争が起ころうと、戦いが始まろうが、新さんは、そんなこと気にしなくていいんです。毎日、どうやったら美味しいものが食べられるか、どうやったら楽しくすごせるか、そういうことだけを考え、ゆっくりのんびりしてればいいんです」新之助「あくせくすることはないってことよね」はぐれ雲「そうそう。心や体を苦しめてもつまらないですからね。そんなことしなくても、人間は十分幸せに生きられるようにできているんです」新之助「悟りだね、悟り。普通の人は悟りがないんだよね。悟りが」浮浪雲/ジョージ秋山私が特に気に入っているのは、「ラクで楽しい人生」のくだりです。これこそ、人生の幸福を最も簡単に、ズバリといい表わしているものと思うのです。しかるに、とかく人間は自ら望んで、苦労を求めるのです。それはなぜかというと、他人からの尊敬を得たいからなのです。人から立派といわれたい、すなわち、自己重要感の虜になっているからです。人はこの自己重要感の衝動から脱した時、悟りとはいえないまでも、かなり自由になります。これも、古来から仏教でいわれる「解脱」の一形態なのです。解脱し得た人は、集団へ所属したいという欲望を持ちません。なぜなら、その必要を感じないからです。彼は、いつでも必要な時は「無我」になれますし、心はいつでも自由で生き生きと働いていますから、依存すべきものを必要としないからです。楽する人/無能唱元 楽する人 amzn.to 8,900円 (2024年02月23日 09:15時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する 楽する人: 無能流楽々人生説法 amzn.to 5,000円 (2024年02月23日 09:15時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する [憂世で生きる智慧]記事一覧 「#憂世で生きる智慧」の定番タグ記事一覧|note ――つくる、つながる、とどける。 「#憂世で生きる智慧」の定番タグ記事一覧です note.com #憂世で生きる智慧 #仏教 #学び #最近の学び #気づき #日々の気づき #今日の気づき #名言 #格言 #ことわざ #人生 #今日の名言 ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! 今後ともご贔屓のほど宜しくお願い申し上げます。 チップで応援する この記事が参加している募集 #最近の学び 188,595件 #人生 #最近の学び #学び #気づき #名言 #仏教 #格言 #今日の名言 #ことわざ #今日の気づき #日々の気づき #憂世で生きる智慧 14