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日々是短歌、ひりだす哉。 4/8(月) / 13


「ほらこっち」ねこじゃらしふれどまんじりともせず
タマが見るのは主(あるじ)の視線

■ミニ解説(コラム?)
ウチの猫は冷静なのか主人があやすのが下手なのか? 乗ってくると狂ったように「獲物」を追いかけるがあ。けれど乗ってくるまでは冷めている。女の心理に似ているか。が、一旦獲物を仕留めてしまうと「もういいや」ってなる。男っぽい。とはいえ猫は自分の都合で甘えてくる。男にも女にも猫っぽいところはある。






今日も俵万智特集です。(以下は、YouTuber祐真(スケザネ)さんの講評です)

四万十の光の粒をまきながら川面をなでる風の手のひら 

やわらかな秋の陽ざしに奏でられ川は流れてゆくオルゴール

樹は揺れるあなたが誰を愛そうとあながただれを愛されようと

上記の三種は
第二歌集「かぜのてのひら」(1991年出版・作者二十八歳)


表題を含む三首のように、印象的な情物の歌が増えました。
以前は

やさしいね陽のむらさきに透けて咲く去年の秋を知らぬコスモス

空の青海のあおさのその間(あわい)サーフボードの君を見つめる

のように、もっと単純で、ストレートに人為が詠まれていましたが、飯田龍太が「自然に対する目がはるかにシャープになっている。」(俳句と短歌のふるさと」前掲)と指摘した通り、自然をより一層深く観察し、その様を人工的に飾る歌が増えました。つまり自然に溶け込ませるような柔和な態度です。


■上記の解説についての感想。
そうか! 人生は短いのだ! その時思った瞬間を切り取ったのが歌(短歌)なのだ。あとで読み返せば「あの時のじぶん」が歌の中にある。だから背伸びをせずに「ありのままの今」を「いまこの瞬間を」歌にすればいいのだ。


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