見出し画像

因果関係の「あまいワナ」

みなさまにご報告があります。
わたし、圧倒的に濡れた品質のエッセイを書き上げてしまいました。
これはもう罪の領域です。
みなさまの知的快楽中枢を執拗に刺激する、アラサー女子による知的ハニトラ。

ええ、「因果関係の甘い罠」、堂々の開幕です。


「Aが起こった。Bも起こった。よって、AがBの原因である」

このシンプルで美しすぎる論理の誘惑に、どれだけの人類が絡め取られてきたのだろう。そう、因果関係というものは知的快楽の最高峰にして、しばしば壮大な誤謬の温床。

わたしがここで繰り広げるのは、まさしく「知的ハニートラップ」。つまり、因果を求めるがゆえに転がり落ちる深淵への道案内である。

そもそも、人間の脳は「AとBの間には因果関係がある」と思い込みたがる。これは進化の設計ミスであり、同時に絶妙なバグ。

たとえば、「黒猫が横切ると不吉なことが起こる」という迷信。
データを取れば統計的有意性はゼロだろうが、黒猫が道を横切った後に失敗した経験が強く記憶に刻まれることで、「やっぱり黒猫のせいだ」と信じてしまう。

これは進化生物学的に言えば、因果を即座に見抜くことが生存に直結していた時代の名残り。「あの森に行ったら仲間が帰ってこなかった。だからあの森は危険だ」と考えることで、人類は生存競争を勝ち抜いてきた。

だが、現代社会ではこの脳のクセが悲劇的な誤解を生む。
スピリチュアルビジネスのカモになり、トンデモ健康法に飛びつき、果てには「わたしがモテないのは眉毛の角度が悪いせいだ」などという因果推論が炸裂する(事実、眉毛の角度と恋愛市場での評価には何の因果関係もない。たぶん)。

問題は、この因果関係の誤解が社会のあらゆる分野で暴走することだ。
恋愛においても、「元カレがサイコだった。だから男はみんなクズだ」と結論付ける人がいる。
ビジネス界隈では、「成功者は朝4時に起きている。だから早起きすれば成功する」と安易に考える。

だが、因果と相関の違いを理解していれば、こうした短絡的結論に飛びつくことはない。
実際には「成功したからこそ朝4時に起きる余裕がある」という逆因果が働いている場合もあるし、「朝型人間だから仕事が捗る」という別の変数(交絡因子)が潜んでいる可能性もあるのだ。

経済においても、因果関係の錯誤は日常茶飯事だ。
「景気が良いと出生率が上がる」とか、「金利が低いと投資が増える」とか。どれも一見もっともらしいが、実際は無数の変数が絡み合っており、単純な因果関係では説明できない。
にもかかわらず、政策立案者は単純なモデルに飛びつく。

なぜか?

それは「わかりやすい説明」が政治的に好まれるから。人間は混沌を嫌い、物語を求める。経済学的な緻密な分析よりも、「AがBを引き起こした」というシンプルなストーリーの方がウケるのだ。

これが最も厄介なのは、科学の世界ですら因果関係をめぐる誤解が跋扈することだ。

たとえば、「コーヒーを飲む人は長生きする」という研究がある。
だが、コーヒーを飲む人は健康意識が高い傾向があり、運動習慣や食生活にも影響を与えている可能性がある。
つまり、コーヒーが長寿の原因ではなく、健康的なライフスタイルを送る人がコーヒーを嗜んでいるだけかもしれない。

しかし、多くのメディアは「コーヒーを飲めば寿命が伸びる!」と誤解を助長する報道をする。なぜなら、その方がセンセーショナルで読者の興味を引くからだ。

また恋愛の世界に話を戻そう。
わたしは数多の乙女たちが「恋愛指南書」に騙されるのを見てきた。
「彼があなたを愛しているサイン」とか「モテる女は○○をしている」とか、因果推論が雑すぎる。
そもそも恋愛は非線形のカオス系であり、「AをすればBになる」という因果関係が成り立たない。

たとえば、「笑顔の女性はモテる」という俗説があるが、これは相関関係に過ぎない。
本当の因果関係は、「すでにモテる女性は笑顔を見せる余裕がある」かもしれないし、「笑顔が多い環境にいる女性は魅力的に見える」かもしれない。
要するに、「笑顔を増やせばモテる」と単純に結論づけるのは暴力的な因果の押しつけだ。

ここで訴えたいのは、因果関係を見極めることが知的リテラシーの根幹であり、それを誤ることがいかに世界を混乱させるか、ということだ。
ビジネスでも、政治でも、恋愛でも、「AがBを引き起こした」と単純に信じることは知的ハニートラップにハマることを意味する。

これに抗うには、常に「逆因果の可能性」「交絡因子」「単なる相関の可能性」を疑うクセをつけること。
そうすれば、「この男と付き合ったら幸せになれる」「この投資先に賭ければ成功する」「この健康法を試せば痩せる」といった甘美な幻想から解放されるかもしれない。

とはいえ、幻想があるからこそ、人は恋に落ちるし、夢を見るのもまた事実。
だが、知性を持つ者は少なくとも、自らがどの罠に落ちているのかを自覚しながら堕ちるべきなのだ。それこそが、因果関係という名の知的ハニートラップを生き抜く、唯一の方法なのだから。


ここまで書いてしまい、申し訳ありませんでした。
知的快楽の供給過多により、みなさまの知的中枢を刺激しすぎたかもしれません。
ですが、これもまた因果関係の罠でしょうか?
知的興奮の副作用には、どうぞご注意を。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集