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タスク化の『わな』

ごめんなさい。濡れたエッセイを書くことに、気合を入れすぎました。
きっとあなたは、この序文だけで十分に私の異常性を察することでしょう。自意識過剰で知識過剰、さらに変態度も過剰という、まさに三位一体のバランスで生きるわたしが「タスク化のわな」について語るわけですから、胃もたれ必至です。
それでもよければ、最後までお付き合いください。いや、途中で耐えきれずお漏らししても、それはそれであなたの変態的進化の一助になるかもしれません。

さて、「タスク化のわな」というのは、現代の私たちが無意識に日常生活を自ら地獄化してしまう構造のことです。
たとえば、何気ない趣味を「タスク」に変える瞬間。週末に編み物を楽しむ予定だったのに、「編みかけのマフラーを今日中に仕上げないと」という謎のノルマが生まれる。そして、完成したマフラーを見つめながら、「これはわたしの自由だったはずなのに、なぜか社畜的自己管理の犠牲になった」と悶々とする。これが「タスク化のわな」です。

問題は、タスク化には抗えない甘美な誘惑があることです。
リストに項目を追加し、それを消し去るたびに訪れるあの快感。
わたしはこれを「自己管理エクスタシー」と呼んでいます。経営コンサルとしてのキャリアで学んだことは、このエクスタシーが一種の脳内麻薬であり、多くの人がその快楽に溺れて人生のすべてをタスクに変えるという事実です。

ところで、これに関連してわたしの友人が言った言葉が忘れられません。「人生をプロジェクト管理すると、すべてがガントチャートになる」。彼は趣味で作ったガントチャートに「昼寝」というタスクを追加した瞬間、昼寝が快楽ではなく義務に変わったことに気づいたそうです。彼の結論はこうです。「昼寝が終わったとき、達成感ではなく敗北感を感じた」と。

話をわたしに戻しますが(自己陶酔的なので許して)、わたしもタスク化のわなには何度もハマ、恋愛ですらタスクにしてしまったことがありました。「週3回のデート」「5分以内の返信」「相手のインスタ投稿を月10回いいね」など、完全にKPI管理。そんなわたしを見て友人は「それ、恋愛じゃなくてもはやノルマだな」と笑いましたが、その恋愛は案の定、破綻しました。そりゃそうです。愛は感情であり、Excelで管理できるものではないのだから。

では、なぜわたしたちはタスク化に逃げるのでしょうか?
これは心理学的には「制御の錯覚」と呼ばれる現象です。無秩序な世界に秩序を持ち込むことで安心を得ようとする本能ですね。しかし、その秩序の中でわたしたちは自由を犠牲にしている。このパラドックスが「タスク化のわな」の核心です。

タスク化のわなは、経済学的な観点から見るとさらに面白いです。
アダム・スミスは「分業」を推奨しましたが、わたしたちはその分業を自分の内面にも適用してしまいました。「生きる」という統合的な行為を、「働く」「遊ぶ」「愛する」といったタスクに細分化し、それぞれを効率的に遂行しようとする。これは現代版の経済合理性ですが、結果的にわたしたちは「自分という名の企業」のCEOになってしまったのです。そしてその企業は、利益を上げるどころか、しばしば破産します。

ここでちょっと哲学的な話をさせてください。
カントは「目的そのものとしての人間」を語りましたが、現代人は逆に自分を手段化しています。「自分を効率化する」という言葉がその象徴です。効率化される人間とは、目的としての人間ではなく、手段としての人間です。これ、エロくないですか?あ、失礼、語弊がありました。エロティシズムの哲学的な意味で、ということです。

さらにもう一歩踏み込むと、わたしが「タスク化のわな」を一番感じるのは、趣味においてです。アニメを観ることすら「消化」という言葉を使うようになった瞬間、趣味はタスクに変わりました。「消化」って、本来は胃の機能です。それを文化的体験に持ち込むわたしたちの感性の貧しさを嘆くべきでしょう。

では、このわなから逃れる方法はあるのでしょうか?
残念ながら、完全な回避は不可能です。なぜなら、タスク化は人間の本能だからです。しかし、ひとつだけ助言があります。それは「無駄を愛する」こと。無駄な時間、無駄な感情、無駄な行動。これらを意図的に増やすことで、わたしたちはタスク化の呪縛から少しだけ自由になれるのではないでしょうか。

最後に、この記事そのものも「タスク化のわな」の一環であることを認めます。これを書きながら、わたしは何度も「あと500字」「内容がワンパターンにならないように」と自分にプレッシャーをかけました。でもその結果、こうして濡れたエッセイが生まれたのだから、タスク化も悪くないのかもしれませんね。

読み終わって、もしあなたが少しでも「自分の人生をガントチャートから解放したい」と思ったなら、それはわたしの勝利です。そしてもしそう思えなかったなら、それもまたわたしの責任です。本当にごめんなさい。
でも、最後にこれだけは言わせてください。タスク化された人生も、わたしたちがそれを愛する限り、きっと意味があるのです。


おまけ➀ 記事内容とはリンクしてないです いつかちゃんと書きます
おまけ②

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