#4 こもりうたは人類のぶっちゃけ音楽だった - 見直されたいポテンシャルの話 -
「歌われざるものを歌う場所」
「悪魔を追い払う呪文」
「鬱憤をはらす労働歌」...
私の中のこもりうたの世界が、ぽつぽつと本音をこぼし始めてきました。
この「本音」は、大変価値のあるものです。
こもりうたは、もっと見直されるべき。そして、今の時代に必要な「何か」になる。その確信について数回に分けてお話したいと思います。
今回の記事では、私の考察するこもりうたのポテンシャルのお話から。
それどころじゃない、と思っていた
優しい気持ちになれなかった産後
独身時代からこもりうたに疑いをかけていた私(笑)。
というのも、機会があって友人宅で赤ちゃんと夜を共にしたとき、お土産に持っていった穏やかな音楽を渡すこともできませんでした。
過酷な現場に、綺麗な音楽が入る余地を感じなかったのです。
そしてその違和感は自分がその立場になったときも――――
音楽に頼る気満々で迎えた産後。
吐き気のする授乳の後、とても歌う気持ちにはならず、「私が気絶する前に早く寝てくれ」と願いながら揺れる時間。無心。
ヒリヒリ朦朧とした中、深夜のさみしい時刻を映すスマホから音楽を流す気持ちにもなれませんでした。
音楽がダメなわけではありません。流せば、歌えば、赤ちゃんは眠ってくれたかもしれません。母である私が、優しい気持ちを持ち込むのが難しかったのです。
もっと言うと、戦っている時に綺麗な音楽に触れることが怖かった。
イメージとは遠い世界にいることを見せつけられるようでした。
これが現実で大丈夫だったんだ
自分の中で乖離があり過ぎた、こもりうたの温かいイメージとハードな現実。本当は穏やかであるべきなのか?できないのは自分のせい?子供の個性?
昔の親子は超人だったならそうと言ってくれ...
でも今回、こもりうたと向き合い始めて分かってきました。
\こもりうたもちゃんと過酷だった/
世界のこもりうた、結構えげつない愚痴ばかり。赤ちゃんのため?いや、憂さ晴らしでしょ、とばかりに。
辛い、不安だ、どうかどうか、と願う切実さがひしひしと伝わる。
でも愛情たっぷりの優しい気持ちも嘘じゃない。(それも分かるー!)
でもただただ、いっぱいいっぱい。だから祈る、歌う。
ああ、そうだよね!(笑)今も昔も同じだ。これが現実で大丈夫だったんだ。
安堵と一緒に笑いが込み上げてきたことを覚えています。
綺麗なだけの音楽だと勝手に思い込んでいただけで、むしろこもりうたは私たちに一番寄り添ってくれる音楽でした。
こもりうたでこそ、本音を探しにいける
本音の詰まった、人類のぶっちゃけ音楽
蓋を開けると姿を現した、こもりうたに宿る清らかさや黒さ。
小さな赤ちゃんを抱える不安も、奉公先への不満も、悪魔リリスへの呪いの言葉も、早く寝てくれと募る濁った気持ちも、それでもなお我が子が愛おしいと伝えたい気持ちも。
全部全部、本音だから世界で伝承されてきたのだと感じます。
#0で紹介した民族音楽学者でUCLA講師の Andrew Pettit さんも、こもりうたは社会で表現することが許されない感情を表現することができる、言えないことを言える時間と評しています。
やさしさも、ぶっちゃけも詰まっている。 これがこもりうた。
受け取る子どものためだけじゃない、届ける側のためでもある音楽です。
ただの捌け口ではない
大声でぶっちゃけてスッキリするのとは性質が違うのも絶妙なところ。
こもりうたを友達とライブで歌ったりはしない。クローズドな場所。
しかし、決して独り言ではない。相手がいる。本心には罪悪感も伴うものもある。
幼児発達の専門家であるSally Goddard Blytheさんによると、母子の肉体的な絆から、「自分の恐怖や不安を子供に歌ってもいいと思える」と感じるとも考察されています。
つまり、対子ども、そして対自分との一種のやりとりなのです。
そこでしか出せない正直な気持ちが引き出される。
あげているようで、もらっている。
これがこもりうたが持つポテンシャルであり本質だと感じます。
大人にこそ、こもりうたを?
こもりうたの中では、本当の気持ちを隠さなくていい。
小さい時、親に「みてみて」と褒めてもらいに行ったように、
転んで痛かったら脇目も振らず泣いていたように、
眠る時は手を握っていて欲しかったように。
一枚脱いだ、本音の自分をあやしてくれる存在。
「自分の機嫌は自分で取れ」と言われる大人にこそ、そんな存在が求められているような気がしてなりません。
こもりうたは、赤ちゃんと眠りの愛情音楽だけじゃない。
次回、「大人のこもりうた」について、もう一歩踏み込んでみます。
おすすめこもりうた
(余談)お昼寝はまだ気持ちが楽だったな、夜間授乳はさみしすぎた。
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