100年前の挫折と限界から学ぶ
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STEAM教育
Society5.0
2018年に経産省、文科省の画期的な提言
コロナ禍で一気に進んんだICT化
時代は新しい教育に大きく舵を切り始めた感があります。
しかし、新しい教育はうまくいっているのか?
今後うまくいくのか?
我々は過去の歴史から学ばなければいけません。
100年前、大正新教育運動が挫折した原因を簡単に考察してみましょう。そこから現代の教育改革を成功させるヒントが見えてくるかもしれません。
大正新教育運動の挫折と限界
新教育の挫折の原因その1は「権力による介入」です。私も痛い目にあったことがあります。ここでは2つの例を紹介します。
守屋源次郎茨城県知事の自由教育研究会指止め事件
1921(大正10)年12月、茨城県結城郡の石下尋常高等小学校では、千葉県師範学校附属小学校の手塚岸衛らを講師に招き自由教育研究会を開催しようとしたが、自由教育に否定的な立場であった守屋知事によって同研究会の開催が中止させられた。自由教育をめぐる圧力はこれに止まらなかった。翌年3月には水戸市教育会(会長・菊池謙二郎)が手塚らを招き「自由教育についての講演会」を開催しようとした。しかし、県当局は水戸市内の小学校長を集めて講演会への教員の出席禁止を指示するとともに、各郡へも聴講を差し控えさせる旨を通達した。手塚らの説く自由教育の「急進性」と「放縦性」を危険視し、こうした措置をとったのである。(志村廣明「第6章 大正デモクラシーと新教育の諸相」寄田啓夫・山中芳和 編著『日本の教育の歴史と思想』ミネルヴァ書房、2002年)
新しい実践を展開しようとする若い芽を権力が摘んでいく構図は今も昔も変わらないようですね。私も公立学校の教員時代に教育長室に突然呼び出され「イエナプランの実践をやめなければ異動させる」と脅されたことがあります。笑(全然笑えませんが)
1924(大正13)年9月5日、長野県松本女子師範学校附属小学校では、訓導の川井清一郎が国定教科書を使用せず、森鴎外の小説『護持院ヶ原の敵討』を副教材にして、4年生の修身授業を行った。この授業を参観した文部省視学委員の樋口長市や県教育行政担当者が国定教科書を使用していないことを問題視し、授業後の講評のなかで厳しく叱責した。この事態を受け、事件の翌日には長野県知事が同校を視察に訪れ、川井訓導に始末書を提出させるよう校長に求めた。校長は川井に始末書を提出させるとともに、今後は学校が定めた教授細目(学習指導計画)に従った授業を実施する旨の覚書を書かせた。その後結局、川井は県から行政処分による休職を命ぜられ退職に追いやられた。
私の周りでも指導主事(偉そうな)が学校を訪問し、様々な新しい教育実践に重箱の隅をつつくような言いがかりをつけて回っていることに若手の教師たちは辟易しているということが頻発していました…。教育の内容や本質ではなく、その形式で批判するのは今も昔も変わらないのです。そういった理不尽な仕打ちでやめていく優秀な若手教員が後を立たないのは悲しい限りです。
続いて、新教育挫折の原因その2は「新教育への批判の高まり」です。
埼玉県秩父郡の野上小学校・樋口小学校の教師たちは、欧米の教育思想家や哲学者の著作を読み,木下竹次の学習論、手塚岸衛の自由教育論、成城小学校のドルトン・プランを学び、時には研究会に参加し自らの学習論の構築に努力を重ねている。実際に樋口小学校では、1925(大正14)年からドルトン・プランを導入し、個人別の学習計画を立て、教科担任の教室での学習を基本とする教育実践に取り組んでいる。しかし、村民からは「高等科になっても領収書も書けない」と、ドルトン・プランを「役に立たない」と批判する声があがっている(森川輝紀『大正自由教育と経済恐慌』三元社,1997 年)
これは現代でも起こりうるし、実際に起こっています。ヤバイですよね。批判の内容がもっともなだけにぐうの音も出ないです。
最後に新教育挫折の原因その3「教育の質の低下」です。(原因その2とも密接に関係します)
大正時代でも多くの学校が新教育の教育方法を導入する際に、様々な問題に直面し始めたのです。それは、新教育の実践が「単なる形式の模倣に終始する」という問題でした。子どもたちが「教科書を書き写す」ことや調べたことを理解もせずに「丸写し」することが横行したのです。児童一人一人の能力に適した教材を提供することも著しく困難であったといいます。学習に困難を抱える子どもたちにとって、学習が定着しない可能性が高まり、子どもたちの学力格差の拡大が進むことになりました。
これが一番怖いです。色んな学校で(学級で)めっちゃ起こってます。
「雑な実践」が子どもたちの「学力の低下」を引き起こしているのです。
我々は乗り越えなければいけません。
100年前の失敗から学ぶことで乗り越えることはできるはずです。
「権力の介入にどう対応するか」
「雑な実践による学力の低下をどう乗り越えていくか」
その辺りが乗り越えるためのヒントかもしれません。