見出し画像

雪で会社が休みになったので、思いつくままに

ヘッダー画像は、レオ・レオニ卓上カレンダーの今月の絵。1月の絵も好きだったけど、2月も可愛くて好き。なんて優しいタッチ。ずっと眺めてられそうです。


さて、最強寒波が襲来していますね。
九州各地でも大雪警報が出ており、わたしの勤める会社は本日臨時休業となりました。今日は1日、おうち時間です。


雪に慣れている地域の方から見れば「その程度で」と笑われてしまいそうですが、道路に数センチ積もっただけでもう身動きが取れなくなってしまいます。
道路にもチェーン規制がかかるし、保育園や学校も休校になるので、来られない社員も多いということで臨時休業となりました。


朝起きて、カーテンを開けると一面真っ白でした。目が覚めた時の室温は1.5℃
寒いわけだ…

昨日の時点で臨時休業が決まっていたので、今朝はゆっくり起きて朝食をとり、さあ1日何して過ごそうかな、という感じ。


書きかけのnoteがいくつかあるので、それを仕上げて投稿しようかな、とも思いましたが、とりあえずそれとは別に、思いつくままに書いてみようと思います。




読書のこと

そう言えば、読書の話をnoteで全然書いていなかったなぁ…と思い至りました。

10月に放送大学を受講し始めてからは、読書にかける時間は随分減ってしまいました。月に2〜3冊程度。

もともと積読派で、本を「寝かせておく」のは得意(?)なので、読書がはかどらないことでイライラしたり焦りを感じたりというようなことはありません。(読みたいな〜とは思います)

本屋に行くことがわたしにとってかなり大切なリフレッシュ法なので、本屋に行くのはやめられない。行ったら気になった本をついつい買ってしまいます。
それ以外にも授業で紹介された本や、参考資料として取り上げられた本に興味が出て、ついポチッとしてしまう。

そんな感じで、買う量>>>>読む量なので、積読がますます増えていきます


というわけで、はい、買っちゃいました(笑)本屋で見かけて即ジャケ買いです。

『積ん読の本』石井千湖著/主婦と生活社


人様の積読を見るのって、楽しい!本好きの人の書斎や本棚を見るだけでもワクワクするので、それぞれの「積読論」の違いを読むのもおもしろい。

積読と一口に言っても、人それぞれ、いろいろなスタイルがあるんだな〜と思いながら、お正月休みの間に一気に読みました。

自らを「積ん読したくない派」だと語る角田光代さんについては、この本の趣旨からはちょっと外れているように思えたのですが、角田さんの書斎拝見企画だと思えば楽しめます。

個人的には、辻山良雄さん(書店「Title」店主)の「読んだ本しか家にないということは、自分がわかっている世界しかないということ。そんなの、つまらない」に、「そう!そうですよね!」と膝を打つ思いでした。


この本を読んだ後、わたしも自分の本棚をちょっと整理してみました。それまで積読本は、文字通り本棚の前に積み上げていたのですが、どんどん本棚の前のスペースが圧迫されてきていました。

なのでその中から「読みかけの本」と「近々読みたい本」を別のラックに移動。1年近くあるいは1年以上読みかけの状態の本は、そのラックから外しました。きっとまた数年後くらいに読みたくなる日が来るでしょう。
整理した「積読ラック」の本は約20冊。

1月末に放送大学の試験が終わってからは時間に余裕ができたので、積読ラックの中からちょこちょこ読み進めています。


年末に読んだコンラート・ローレンツの『ソロモンの指環』(早川文庫)と、最近読み終わったA・アインシュタイン、S・フロイトの『ひとはなぜ戦争をするのか』(講談社学術文庫)。


かたや動物行動学の本、かたや20世紀を代表する二人の天才の往復書簡。全く接点がなさそうな本なのですが、『ひとはなぜ戦争をするのか』を読んだ後に、思わず『ソロモンの指環』のある章を読み直しました。最終章の「モラルと武器」という章です。


「モラルと武器」の章では、さまざまな動物の「争い」についての話が書かれています。例えば平和の象徴とされるハト(キジバトとジュズカケバト)のオスとメスを広い籠の中に入れて外出したところ、帰って来た著者が見たのは無惨に羽をむしられ皮を剥かれて倒れたキジバトの上にのしかかり、瀕死の相手にさらに攻撃をしかけようとするジュズカケバトの姿。


争いのさいに、やはり相手の皮をはぎとる多くの魚類のほかには、私は同族の仲間をこんなにひどく傷つける脊椎動物をみたことがない。

『ソロモンの指環』より


これとは逆に、猛獣とされるオオカミの争いではこのようなことは起こらないといいます。睨み合いと、それに続く、相手の牙を目掛けた噛みつきあいで唇に多少傷を負うことはあるものの、負けを悟った敗者が頭を垂れ、急所である首筋を相手の前に差し出すと、差し出された相手は噛み付くことができない。本当は噛み付きたいのに、吠えたりうなったり、空中で歯をガチガチ言わせて相手をくわえて振り殺すような動作をしたりするが、服従の姿勢を示した相手に対しては、実際には噛み付くことができないのだそうです。これを「勝利者の社会的抑制」としており、オオカミのような大きな武器(鋭い牙)を持つ動物ほどこの「社会的抑制」が強い傾向にある。


ある種類の動物がその進化の歩みのうちに、一撃で仲間を殺せるほどの武器を発達させたとする。そうなったときその動物は、武器の進化と並行して、種の存続をおびやかしかねないその武器の使用を妨げるような社会的抑制をも発達させねばならなかった。


翻って人間はどうだろうか?と続くわけです。

人間は自身の体に牙やツノのような武器を発達させたわけではなく、道具としての武器を進化させてきました。体の一部を進化させるのにかかる時間は何万年、何十万年単位ですが、人間はたかだか数千年、数百年で相手を滅ぼしうる武器を手にしてしまったために、「種の存続をおびやかしかねない武器の使用を妨げるような社会的抑制を発達」させる時間がなかった。


人間は、ハトなのかオオカミなのか。

最初に読んだ時もかなり心に刺さる内容でしたが、アインシュタインとフロイトの往復書簡を読んでさらに考えることが増えました。


『ひとはなぜ戦争をするのか』については、本屋で偶然出会った本です。なぜか全然ジャンル違いのコーナーの棚に挿してあり、しかもとても薄い本なので、我ながらよく見つけたなと思います。
「この二人の戦争に対する考えをそれぞれ抜粋してまとめた本かな」と思って手に取ったところ、1932年にアインシュタインが出した書簡にフロイトが返事を書いたものでした。それに対し、養老孟司さんと精神科医の斎藤環さんがそれぞれ解説を付しています。解説の方がボリュームがあり、そちらもかなり読みごたえがあります。


大学で近現代史を専攻していたこともあり、「戦争」は自分の中でもかなり大きなテーマ。この本は、きっとこれからも繰り返し読むことになるでしょう。


そう言えば、フロイトって引用などではしょっちゅうお目にかかるけど、本としてはちゃんと読んだことがなかった気がする…
そんな感じでまたポチッとしてしまいそうです。



気がつけばただの読書日記になっていました。他のnoterさんの読書日記、読書感想文などを読むのが好きで、皆さんネタバレを避けながら、読んでみたい!と思わせるような文章を簡潔に書くのが本当にお上手で、羨ましい限りです。わたしはというと、とりとめのないことをダラダラ書いてしまい、うまくまとめられそうもないのでそろそろ終わります。


ちなみに、今読んでいるのはこちら。


『もものかんづめ』さくらももこ/集英社文庫


ずっとニヤニヤ、クスクスしながら読んでいます。(今までさくらももこのエッセイを読んで来なかった自分に驚いていますが)

つい最近まで坂口安吾の『暗い青春』(角川文庫)を読んでいたので、その反動で思いっきり明るいものを読みたいな~と思い、これをチョイスしました。積読は暗いものから明るいものまで幅広く取り揃えておくとこういう時にいいですよね。




noteを一通り書き終えて、いったん保存してから窓の外を見ると、雪が消え去っていました。

あれっ!?

これ、午後から普通に仕事できたんじゃない???

さっきまで「雪だからしょうがない」と休みを満喫していましたが、雪が解け去ってただの「晴れた冬の平日」になると、急に仕事のことが気になりだして、ソワソワしてきました。

『もものかんづめ』の続きを読んで、頭の中から仕事のことを追い出すことにします。

いいなと思ったら応援しよう!