⑰自分自身の心を読む ルアンプー・プラモート師
(続き)身体は苦でできているとはっきりわかるのです
身体が楽だけであってほしいと思う無知が無くなるのです
身体の苦が無くなってほしいと思う無知が無くなるのです
どうやっても身体は苦なのです
心は苦(ドゥッカ)であるという真実が観えるのです
すると無知が無くなるのです
心が楽・幸せを欲する欲が
終わりを迎えるのです
心が苦しみたくない
という欲の終わりを迎えるのです
なぜならば私達の心は苦(ドゥッカ)なのです
これが「苦(ドゥッカ)をはっきり観る」ということなのです
これにはヴィパサナーを使わなければなりません
身体と心の真実を
何度も何度も
心が定まり中間になるまで
観続けなければならないのです
ルアンポーがいつも言っていることです
「身体と心をサティをもって真実を知るまで知り
心が定まり中間になるまで観ること」
これが苦(ドゥッカ)をはっきりと観るということなのです
もし苦をはっきりと観ることが出来たならば
身体と心が苦で無いようにと欲する欲がもう生じないのです
身体と心が楽で幸せになりたいと欲する欲がもう生じないのです
欲しいという欲が生じないとき
私達の心は静けさ(サンティ)が訪れるのです
涅槃とは欲しいという欲が終わった状態です
欲が終わった心には静けさ(サンティ)が訪れるのです
これが仏陀が残して下った教えの全てなのです
それは四聖諦の事
苦(ドゥッカ)と呼ばれるもの
それは
私達の身体と心に
生じたそのままを知る
というのが私達の役割なのです
よく自分自身を観てみて下さい
身体は苦でしょうか
本当にそうでしょうか
心は苦でしょうか
本当にそうでしょうか
観たとおりに知っていくのです
そして最後には真実を知ることになるのです
身体は苦(ドゥッカ)で満たされていて
あるものは
小さい苦か大きな苦だけである
心は苦(ドゥッカ)で満たされていて
あるものは
小さい苦か大きな苦だけである
もしもこの段階まで観えたのならば
欲するという欲が終わるのです(続き)
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